序盤は本のように
まずいことになったわ。
こんなところに知り合いがいるなんて…
撫子は私と話したがっていた。
昔話に花を咲かせたいのは私も同じ。
けれど、状況はそうも言っていられない。
…。
アイツは殺人鬼。
私の存在が明るみになることを極端に嫌う。
私に危害が加えられると感じただけでも人を殺すような…
そんな人間の前に、私の知人が現れたらどうなる?
多分、口封じのために殺されるでしょう。
アイツは私に一定の信頼を寄せているみたいだけれど、撫子にはそれがない。
私がどれだけ信用に足ると言っても、漏洩する危険がある以上、何も策を弄しないなんてことないはず。
…死なせたくない。
親友と言うほどの間柄でもなかった。
撫子には友達が沢山いて、私はただその中の1人。
彼女にとってかけがえのない存在でもないし、私だって今日まで、撫子のことなんて忘れていた。
そんな程度の相手だけれど…
「…できないわよ」
見殺しになんて…
「ん?何が?」
アイツが間抜けな表情で私を見る。
その顔が油断できないということは、嫌と言うほど理解していた。
…。
「何でもないわ。前を見て運転して」
冷静に、冷静に…
『メール届いたよ~!てかSNSやってないのぉ?』
『やってないわ。…時間、大丈夫なの?』
『今、休憩中~。なぎちゃんは部屋?』
『買い物中よ。折角の旅行だもの』
『そうなんだぁ。あっ!ウサギのお饅頭とかけっこー人気だよ?ネコのクッキーもおいしいんだぁ』
『ありがと。買って帰るわ。…撫子は休みとかないの?』
『明々後日が休みなんだぁ。なぎちゃんは帰っちゃうんでしょ?』
『えぇ。時間を作るのは難しいかしら?』
『夜か朝なら大丈夫!なぎちゃんは?』
『早朝なら都合がいいのだけれど…。忙しそうなら遠慮するわ』
『全然っ!!明日の朝でもいーい?遅番なの』
『構わないわ。詳しい時間とか集合場所は撫子に任せる』
『おっけー!彼氏さんによろしく~』
『…彼氏?』
『宿泊者名簿見たんだぁ。橘蓮さんってなぎちゃんの彼氏でしょ?』
『…誰にも言わないでよね?』
『分かってる分かってる。明日、詳しく聞かせてよねっ』
「最近の子は携帯が友達みたいだ」
スマートフォンをいじっていた私に、アイツが寂しげに呟いた。
…。
「いいお土産がないか調べていたのよ。アンタどうせ、そういうのはなんにも知らないのでしょう?」
そう伝えると、アイツは不思議そうに私を見ていた。
…絶対、怪しんでいる。
そもそも、アイツが寂しがるなんておかしい。
普段は何も言ってこないくせに、今日に限って釘を刺すなんてあり得ないわ。
…。
「お土産?誰にあげるの?」
「アンタの知人に、よ。私が誰にあげるって言うの?」
これでスマートフォンを使っていても不審ではないでしょう。
撫子へ返信に頭を割く。
「いや、そうかもしれないけどさ。僕だって渡す相手なんていないよ?」
…寂しい奴ね。
「こういうのは日頃お世話になっている人に渡すのよ。アンタ、怪我したときに沢山の人に迷惑をかけたのでしょう?そういう人にあげなさいよ。親御さんにも」
そんなことを私が言う筋合いはないけれど、あえて提案することで私が『アイツのために行動している』ように演出できる。
悪い手じゃあないわ。
「…」
アイツはまだ懐疑的。
でも、まだ私が『旧友と偶然出会った』という事実に繋がる根拠にはなっていないはず。
まだ、少し怪しいくらいの認識しかないでしょう。
「…そうだね。たまにはなぎに従おうか。お勧めは?」
「えぇっと、確か…」
撫子のメールに書かれていた商品を指差す。
買ったお土産は3つ。
一つは郵送するようで、のし紙で包んで、店員と手続きをしている。
…。
今日はあと、洋服を買いに行って昼食を済ませて旅館に帰るだけ。
夜は旅館でゆっくりと過ごして、アイツが寝ている朝方にこっそりと抜け出して撫子に会う。
…撫子にはなんて言えばいいのかしら?
「私の保護者が殺人鬼だから気を付けて」なんて言えないし、「アイツと会わないで」も少し無理がある気がする。
込み入った説明をする羽目になりそうね…
知れば知るほど、撫子には危険が付きまとってしまう。
…最善手は何?
どう振る舞うのが正解?
…。
考えなさい。
チェスではアイツに勝てるのだから…