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Double bind  作者: 佐々木研
灰色のオセロー
133/148

花咲く

 頭ががんがんする。

 …痛い。

 重いまぶたを上げると、辺りはほんのりと明るかった。

 …最悪の目覚ましだわ。

 隣の布団で丸まって寝ているアイツを見て、昨日の夜を思い出す。

 断片的な記憶は全て恥ずかしいものばかりだった。

 …。

 迂闊な自分の口を縫いたい。


 部屋を出て渡り廊下を歩く。

 朝方の回廊は静かで、手入れの行き届いた中庭には数匹の小鳥が競うように木々の実をついばんでいた。

 …飲み物が欲しい。

 自動販売機は…

 旅館の中をさまよっていると、厨房らしき場所に出た。

 中では包丁でまな板を叩く音が聞こえる。

 旅館の朝は早いのね…


 何とかロビーについて割高のお茶を買った。

 不経済な行いに罪悪感が芽生える。

 …。

 ペットボトルの蓋を開けて口に含む。

 「…環境は人を変えるものね」

 これくらいの贅沢は、なんて思えてしまうのだから…


 回廊には、学校で着るような安っぽいジャージを着た人がいた。

 陸上選手のように構えて、そのままの恰好で廊下を蹴って進んでいる。

 …掃除中?

 雑巾掛けかしら。

 古臭くて疲れそう。

 モップとかの方が楽だと思うけれど…

 雑巾掛けをしている人が私を見て立ち止まった。

 膝立ちから正座になって、私が通り過ぎるのを待っている。

 …奴隷みたいね。

 そこまでして客を立てる必要なんてないと思うわ。

 近づくにつれてその奴隷の姿が判然とした。

 ジャージは薄汚れていて、裾や袖が黒ずんでいる。

 …女の子?

 それもかなり若い。

 私と同じくら…

 「…お客様?」

 少女が顔を上げた。

 立ち止まっていた私と目が合う。

 髪は短く、凛々しいけれど垢抜けていないしょ…

 「…なぎ、ちゃん?」

 なぎ…?

 そんな呼び方をするひ…

 「やっぱりなぎちゃんだよねっ!?絶対そう!!うそぉ~!全然変わってない!!」

 私の両手を掴んで勢いよく振った。

 「久しぶり~。小3以来だから、えーっと…7年?8年ぶり?懐かし~」

 小学三年生?

 確かクラス替えがあってその後に…

 「えっ!?なんでなんでぇ?旅行!?すっごい偶然じゃない?あっ、なぎちゃん、3月が誕生日だったもんねぇ?」

 矢継ぎ早な話に思考がおいつ…

 「えっ!てか震災大丈夫だったぁ!?こっちの方はそんな揺れなかったけど、そっちは大変だったんでしょ!?」

 …。

 思い出したわ。

 このまくし立てるような早口は…

 「…撫子なこ?」

 「なんだよぉ~。忘れてたの~?」

 屈託のない眼差しで私を見る。

 その目は、8年の月日を経ても変わっていなかった。


 懐かしい人に出会った。

 撫子は小学校からのクラスメートで、別段仲が良かったわけじゃない。

 柊の友達で榊原君の幼馴染…

 明るくてお喋りな彼女は、裏表のない性格なことも相まってクラスの上位グループに属していた。

 男子とも仲が良くて、昼休みは男の子に混じってサッカーをやっていたり、私達とお喋りをしたりと、活発的な子だったと思う。

 帰り道は途中まで一緒で、撫子の習い事がない日は榊原君と一緒によく3人で帰った。

 榊原君は多弁と言うわけではなかったけれど、撫子がいるときは彼女に釣られてよく喋った。

 二人の会話は傍から聞くと喧嘩をしているように見えて、可笑しかったわね…

 …。

 彼女が転校したのは3年生のときだったと思う。

 転校先は東京の方だと聞いていたけれど、具体的な場所は子供で分からなかった。

 まさかこんな所で再会するなんて…

 「おーい。なに感傷に浸ってるのさ。そんなに私に会えたのが嬉しかったぁ?ねぇ、ねぇねぇねえっ」

 …。

 「変わらないわね」

 「なぎちゃんは変わったよねぇ。お嬢様みたいな話し方になった」

 いつの話をしているのよ…

 「8年も経ったのよ。女だって刮目して見ないと」

 「わけ分かんないよぉ~。相変わらず秀才さん?中卒のなこにはむずかしー」

 勉学の方も相変わらずなのね。

 「皆ももう受験かぁ~。羨ましくはないけどさぁ、ちょっと複雑な感じ」

 撫子の姿を見る。

 「…進学はしなかったの?」

 「うん。おとーさんが不況でリストラされちゃってね~。長女としては弟の学費を稼いであげたいのさ」

 「りーまんしょっく!」とふざけた手振りで笑ってのける撫子。

 その姿が不思議とやせ我慢に見えないのが、彼女の凄さだった。

 「…偉いわね」

 「家族だもん。助け合うのが当たり前でしょ~」

 …。

 「そうらしいわね」

 ただ、私の家が違っただけで…

 「あぁ、なぎちゃんの家も大変だったっけ?いやぁ、お互い苦労者ですな」

 快活に笑って私の肩を叩く。

 その手はあかぎれにまみれていて、厳しい水仕事の跡が見られた。

 「あぁ、そうそう!なぎちゃん、なんでこんなとこに?求人を見たってわけじゃなさそうだけど…」

 撫子が私の恰好を眺めながら呟く。

 「ただの宿泊客よ。雇ってくれるのならやぶさかではないけれど…」

 今の私には戸籍がない。

 そんな人間が働ける場所なんてあるのかしら?

 「だめだめぇ~。うちは全然はやってないからそんな余裕ないって~」

 じゃあ何で言ったのよ…

 「それになぎちゃん頭良かったじゃん。こんなところじゃなくてもっとイイとこ勤めないと」

 …そうか。

 撫子は私が今、どんな状況にいるのか分からないのよね…

 まさか高校を中退して誘拐犯の家にお世話になっているなんて、彼女が聞いたらなんて言うのかしら?

 「懐かしいなぁ~。…藤也とか瑞樹たちは元気?」

 撫子の屈託のない笑顔が、心をざわつかせた。


 私たちの思い出話は仲居頭と呼ばれる2、30代の女性が来るまで続いた。

 撫子はポケットに入っていたメモ用紙に自分のアドレスを書いて渡し、大急ぎで仕事に戻る。

 『後で連絡してねっ』

 目配せをして立ち去る彼女を思い出す。

 …。

 遠い記憶が蘇る。




 小さい頃の私は、ここまで捻くれた性格ではなかったと思う。

 家は相変わらず貧乏で、田舎の何もない所だったけれど、沢山の友達に囲まれて過ごす日々は、私の人生の中でも少ない至福の時期だった。

 クラスのリーダー的立ち位置だった柊と、愛されキャラの撫子、男子の中心にいた榊原君と私…

 自惚れているわけじゃない。

 純然たる事実として、私たち4人はクラスの中心で、羨望の目を向けられていた。


 私を取り巻く環境が変わったのは撫子が発端。

 中心人物だった彼女が転校して、クラスの実権は柊に集中した。

 私はあまり自分の意見を言うタイプではなかったし、榊原君も女子同士の話には口を挟まない。

 柊の取り巻きは、彼女の機嫌を取って自分の立ち位置を確保しようと躍起になって、相容れない子達はせめて目を付けられないようにと怯えて暮らして…

 そうやって柊の独裁体制は完成した。

 彼女自身、そんなものを作ろうとしていたわけではないでしょう。

 現に私や撫子と話していた頃の柊は、少し我儘で自分勝手だけれど友達思いの普通の子だったと思う。

 それが降って湧いた権力に溺れて、自分が偉くなったと勘違いを起こした。

 思い返せば、私とそりが合わなくなったのはそれからだったな…


 決定的な溝ができたのは小学校5年生の頃。

 撫子がいなくなってからも、榊原君との下校は習慣的に続いていた。

 途中から榊原君は地域のサッカースクールに通いだして、毎日ではなくなったけれど、それでも大体は私と二人で下校していた。

 …多分、私は彼が好きだったんだと思う。

 それを口にしたことはなかったけれど、多分、この気持ちは彼にも伝わっていた。

 私の想いに応じてくれなかったのは、彼の気持ちが撫子に向いていたから。

 撫子が転校した日の彼は、私たちのように涙を流すことはしなかったけれど、お別れ会の席には出ていなかった。

 …あの日からだと思う。

 彼を意識するようになったのは…

 榊原君は勉強もできてスポーツもできて恰好よくて、欠点と言えば口が悪くてぶっきらぼうなことくらい。

 誰からも慕われる人間で人望もあった。

 そんな彼と親しくしている私を、柊は次第によく思わなくなった。

 『うざい』『ちょっと可愛いからって』『貧乏人のくせに』『藤也君に近づくな』『瑞樹ちゃんがかわいそう』

 柊にそそのかされた取り巻きたちの嫌がらせは、私たちが二次性徴をすると共に悪化した。

 榊原君と距離をおいても、中学に上がっても、嫌がらせは収まらない。

 陰口や無視で終わればまだよかったけれど、教科書をカッターナイフでズタズタにされたり、リコーダーを便器に捨てられたり、体操着を男子達に…

 私の家が新しいものを買う余裕がないのをいいことに、彼女たちは陰湿な嫌がらせを続けた。

 最初は先生や榊原君に助けを求めたけれど、すればするほど、私の状況は悪化する一方…

 親は初めから私なんかを助けてくれない。

 …きっとその頃だわ。

 今の私が完成したのは…


 なんてことはない。

 私が綺麗だったから嫌われた。

 私が身の程知らずだったから嫌われた。

 私が不愛想だから嫌われた。

 私が人に頼ったから嫌われた。

 …そう。

 私は運が悪かっただけ。

 家が貧乏なことも、クラスで爪弾きにされたことも、恋が実らないことも…

 よくある話で、他愛もない話。

 そう。

 震災に遭ったことだって、誘拐されたことだって、世界規模で見たらありふれた話だわ。

 ただそれが重なっただけの不幸な人生。

 …。

 だだ、それだけなのよ…

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