それで十分酒は美味い
海鮮がふんだんに散りばめられた和食が並ぶ。
煮物や活け造り、しゃぶしゃぶ用の出し汁…
どれも家庭では並ぶことのない凝った料理だった。
…良かった。
なぎの家は貧乏だと言っていたから、こういった経験はあまりなかっただろう。
いい気分転換になって欲しいものだ。
いつもは家で刺激のない生活を強いられているのだから…
対面にはなぎが座っている。
倒れた時はそれなりに心配をしたが、今は顔色もいい。
「コチラは雲丹を使った茶碗蒸しです。卵は今朝取れた名古屋の…」
なぎは目の前の料理に目を奪われつつも、仲居の料理説明を真面目な顔で頷きながら聞いている。
…大丈夫そうだ。
僕では無理でも、これならなぎを楽しませられる。
一通りの説明を終えた仲居が帰り、部屋は二人だけとなった。
なぎは浮ついた様子で僕を見ている。
「食べなよ。この旅行を計画したのはなぎなんだから」
そう伝えるとなぎは小さく溜息をついた。
「それもそうね」
いただきます、と小さく呟く。
こういう所は律儀な子だ。
箸を持つ。
「こんなに食べられるかなぁ」
なぎは小食だし、僕も大食漢と言うほどではない。
「勿体ないわ。ゆっくりでもいいから食べきりましょう」
…。
やはり、なぎは母親のようだった。
旅行というのは退屈だ。
いつもやっていることが出来ないため、どうも時間を持て余す。
必然的に煙草を吸う回数が増えた。
「アンタ、吸い過ぎじゃない?」
ゆっくりと食事を続けていたなぎが障子窓にいた僕に忠告する。
「暇でさ。これくらいしかやることがないんだ」
教科書でも持ってくれば良かったな…
「…そんなにいいものかしら」
進んでいた箸が止まっている。
「なぎは駄目だからね?」
本人は二十歳になったと言い張っているが、多分嘘だろうし…
「いらないわよ…」
なぎは蔑んだ目線を向ける。
「…ねぇ」
「何?」
「お酒は頼まないの?」
酒、か。
きっとまた呑んでみたいのだろう。
「なぎは体質的にあまり呑めないよ。止めておこう?」
適当な理由を述べる。
子供だからと宥めると怒りそうだし…
「私が呑むなんて言ってないでしょう?…ただ、アンタが呑むのに付き合ってあげるだけ」
どうしても呑みたいようだ。
…。
まぁ、いいか。
「そうだね。折角の旅行だ」
もう運転をする用事もないだろう。
「日本酒でも頼もうか。食事も進むし、ね」
なるべく呑みやすいものは…
…。
仲居に聞けばいいか。
「うぇええ」
お猪口を傾けたなぎが眉を潜ませて舌を出した。
「美味しくないでしょ?」
「…えぇ」
水を飲んで口を直している。
「少しずつ呑むんだよ。口を湿らせるくらい。その内味覚が麻痺して味がしなくなるよ」
「まだるっこしいのね…」
なぎの顔はすでにもう赤み掛かっていた。
「やっぱりなぎには向いてないね。体重もないし、女性だし…。水もしっかり飲んだ方がいいよ」
呑み慣れていないと言うより、遺伝多型が原因だろう。
「…そうね」
なぎはそう言って素直に頷いた。
…珍しい。
普段ならもっと突っかかってくるのに…
猫のようにお酒を舐めながら、水を一口飲んでいるなぎ。
「…楽しい?」
「馬鹿にしてるの?」
…ははっ。
「なに笑ってるのよ」
「いや可笑しくって…。僕も回ってるみたいだ」
アルコールが程よく脳を侵す。
「そうなの?…変わらないのね」
そうだろうか…
「まぁ、酔うと判断力も落ちるし足元も覚束なくなるから、気を付けてね」
「はいはい」
なぎが煩わしそうに返事をすると、船に乗っていた刺身に箸を伸ばした。
「…アンタ、学校は楽しい?」
「どうしたの急に…」
「質問に答えなさい。…どうなの?」
「んー。楽しくはないね。楽しむために行く場所じゃないし…」
「それはアンタだけよ」
「なぎは違った?」
「…私も、かも…」
「なんだ。…なぎは学校、好きだった?」
「ぜんぜん。…いじめられてたし」
「…意外だね。どうしてって聞いても?」
「可愛かったからね。その癖に可愛げはなかったの。要はただの嫉妬」
「ふーん」
「女なんて色恋でしか生きられない馬鹿な生き物よ。こっちはそんなつもりなんてなかったのに…」
「なぎだって女の子でしょ?」
「何?立派なのがついてるじゃない」
「いや殆どないんじゃない?中学生男子みたいな…」
「成長期なの」
「二十歳で成長期って…」
「…文句ある?」
「いえいえ。滅相もない」
「それでね、私が美人すぎて…」
なぎは酔うと饒舌になるらしい。
いつもは澄まして隙のない雰囲気を漂わせているが、お酒が入った途端、愚痴っぽくて荒々しくなった。
…相当溜まっていたのだろう。
発散させる相手もなぎにはいないのだから…
…。
なぎは机に伏して小さな寝息を立てている。
三杯目のお猪口はもう残り僅か。
凍て返る時期にも関わらず、酔いに任せてはだけさせていた浴衣からは青白い脚が覗く。
無防備だなぁ…
流石にもうお酒は控えさせよう。
酔っ払いを抱きかかえて布団に寝かせる。
襟を正して帯を結び、掛け布団で覆うと、なぎには暑かったようで足で布団を蹴り飛ばした。
「はぁ…」
きりがない。
「…なによぉ」
仰向けのなぎが目を擦りながら譫言のように喋る。
「わたしにきやすくさわらないでよぉ」
「はいはい。ごめんね」
顔に掌を置いて目を閉じさせた。
「やぁ、やめてよぉ」
それを剥がそうと手を添えて、そのまま力尽きるように眠り込んだ。
…はぁ。
手間がかかる。
「妹がいたらこんな気持ちなんだろうか…」
…今度、桜井にでも聞いてみるか。