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Double bind  作者: 佐々木研
灰色のオセロー
131/148

SUPER YELLOW

 知らない人に裸を見られる感覚は、どうも慣れそうにない。

 ただの自意識過剰なのかもしれないけれど、それでも目が合ってしまうとどうしても意識してしまう。

 同性だとしても不愉快だわ…

 急いで体を洗い、体を隠すために湯船に浸かる。

 …。

 43℃…

 温泉の温度は、家の設定よりだいぶ高かった。


 湯船に浸かっているのは4人。

 3人の年齢は40~50代、残りの1人は20代くらいに見える。

 洗い場にいる2人はどちらも2~30代くらいのよう。

 きっと10代は私だけ…

 だから余計に目立ってしまう。

 …。

 辺りを見渡す。

 20代の女とおばさんの1人は知人関係らしく、私の方をチラチラ見ては二人でひそひそと話していた。

 …。

 何よ。

 言いたいことがあるなら直接言いなさいよ。

 …。

 そう言えば、チェックインの時の受付も物珍しそうに私達を見ていたわね…

 私は実年齢よりは大人に見られることが多かったけれど、それでも大学生か二十歳そこそこ。

 アイツは一応成人してはいるけれど、若いことには変わりない。

 温泉旅行なんて渋い選択をしている変わった大学生カップル。

 そんな風に見られているのかしら?

 「はぁ…」

 自分で考えていて溜息が漏れる。

 …。

 不本意だわ。


 今回の旅行はただの気分転換を兼ねた慰安旅行。

 アイツの体も目に見えるところは大体治ったようだけれど、酷く損傷した左太ももの筋肉はまだ本調子ではない。

 運転中も辛そうにしていたし、荷物運びも大変そうだった。

 日常生活で重労働な掃除や洗濯は私が代わりにやっているから、そんな素振りは見せなかったけれど、やはり日常生活に制限が掛かっているのでしょう。

 …だから。

 今回の旅行は『気を利かせた私の献身的な提案』。

 健気で慈愛に満ちた年下の女が尽くしてくれる、という状況は、きっと男冥利に尽きる。

 アイツは私に惚れ込んで、最終的には私の傀儡に。

 そうなってしまえば私の未来は明るい。

 裕福で従順な奴隷が、未来永劫私を養ってくれるのだから…

 …そう。

 今回の旅行は、そんな将来設計を見越した布石。

 …そう。

 そうなのよ…



 …。

 あれっ?

 ここは…

 布団…?

 「おっ。起きたね」

 声のする方を向くと、額から生ぬるいタオルが落ちた。

 …えっ?

 「のぼせたみたいだね。内務係?が大慌てにしてたよ」

 大丈夫?と私の顔を覗き込んで、タオルを新しいものと替える。

 「…」

 「水もあるよ。飲めそう?」

 ストローの入ったペットボトルを傾けて微笑んでいる。

 …。

 「えぇ。お願いするわ」

 髪を耳にかけて、ストローを咥える。

 ゆっくりと水を吸うと、冷水が火照った体を緩やかに冷やした。

 …。

 間抜けだわ。

 私はこんなに抜けていたかしら?


 軽いめまいはすぐに引いた。

 それでもまだ、手に力が入らない。

 …。

 「いつまでそうしてるのよ?」

 30分くらい遠い目のまま黙っていたアイツに問いかける。

 「えっ?…なぎが良くなるまで、かなぁ」

 何で自分のことが曖昧なのよ…

 「ならもう十分よ。さっさと出て行って」

 「うん。もう少ししたらね」

 動く気配が全くない。

 …。

 きっと、私の容態が良くなるまでずっとここにいるつもりなのでしょう。

 何をするでもなく、ただ私を想って無為な時間を費やしている。

 …いつもそう。

 アイツの気遣いは独りよがりで自分本位な独善…

 無機質で、模範的で、心無い行為だと、今は理解している。

 だから…

 「…もう。勝手にしたら?」

 だから、そんなことしかできないコイツが哀れで、目が離せなかった。


 無言の時間は永遠のようにも思えた。

 夕暮れの陽が障子を破って微かに差す。

 襖で区切られただけのこの部屋が、夕暮れ時の赤い光で満たされてゆく。

 …息苦しい。

 普段なら隣にいてもずっと話さない時もあるけれど、それを苦に感じることはなかった。

 だと言うのに、不思議と今は苦痛で仕方ない。

 …。

 「ねぇ」

 「何?」

 天井を眺めながら語りかけると、アイツはすぐに返事をした。

 「何か、面白い話をしてよ」

 「えー」

 能面だったアイツの顔が歪む。

 「僕はそう言うの、苦手なんだよ」

 …知ってる。

 だから言ってみたのよ。

 「アンタ器用じゃない。それくらいできなくてどうするのよ」

 いつものつまらない冗談でもいいから…

 アイツが頭を掻いて愛想笑いを浮かべる。

 「そうだけどさ、…難しいよね」

 「何が?」

 「何がって…、人を喜ばせることが、かな?」

 素直ね…

 まぁ、それは同意見。

 「そんな一席設けろとまでは言ってないでしょう?暇つぶしに何かないの?って聞いているのよ」

 変なところでいつも真面目なんだから…

 「あぁ、そうだったの?…って言ってもなぁ」

 最近は全部話しているしなぁ、と、言葉と共に溜息を漏らした。

 腕を組んで、唸りながら目を瞑る。

 「…」

 次の言葉を待つ。

 「懐かしい気がしたよ」

 …ん?

 「懐かしい?」

 脈絡のない言葉だわ。

 「うん。もう1年経ったんだなぁって」

 そう言いながらアイツは私を見た。

 …。

 あぁ。

 今日は11日だったわね。

 私が誘拐されて今日で丁度1年…

 「あぁ。アンタが犯罪者になってから、ね」

 「違うよ。なぎがうちの子になって、だよ」

 アイツが懐かしむように上機嫌で笑う。

 何よ『うちの子』って…

 「…それで?耄碌もうろくしたの?過去を懐かしんでいたら老け込むわよ?」

 「そうだね…。…脱衣所で倒れているなぎを背負って運んだ時さ、重かったんだ。テニスバッグになぎを詰めて林地を掻き分けて歩いた時と比べて。きっとこれが『なぎの重さ』なんだろうなって…」

 えらく詩的ね。

 気持ち悪い。

 「太ったんじゃない?アンタの足もガラクタになったのだし」

 茶化すように言うと、アイツはおかしそうに笑った。

 「ははっ。…そうだね」

 天井を見上げる。

 「この1年、色んなことがあったね」

 「そうね」

 誘拐されて、怯える日々を暮らして、でもそんな生活にも慣れて、煩わしくも豊かな暮らしを送って…

 「…それで、今は程よく贅沢な温泉旅行…」

 「うん。そうだね…」

 本当に、色々なことがあった。

 …。

 「ねぇ」

 体を起こしてアイツを見る。

 立て膝で座っていたアイツと目が合った。

 そのまま視線を落として胸元で止まる。

 「…どこ見てるのよ」

 着せられた浴衣は少しはだけていた。

 「いやっ。着崩れしてるから…」

 「見るな変態」

 ごめんごめん、と情けなく謝る。

 …。

 「…体調は?」

 「もう大丈夫よ。それよりお腹が減ったわ」

 素直に伝えるとアイツは嬉しそうに笑った。

 立ち上がって襖を開ける。

 「料理を運んで貰うよ。それまでは安静に、ね?」

 そう言ってゆっくりと襖を閉めた。


 …誘拐されてもう1年。

 私はもう、世間では死んだ人間と見なされてしまったのかしら?

 もうこの世に存在していない人…

 存在を忘れられた人間…

 けれど、不思議と寂しい気持ちはない。

 人間関係は全部、あの津波が綺麗に洗い流してくれた。

 過去の無様な私は死んで、今いる私は等身大の自分。

 世間のしがらみから解放されて、不自由でも気ままな生活。

 …。

 悪くない。

 幸せではないけれど、悪くはない。

 馬鹿で愚直な精神異常者との共同生活でも、最悪ではない。

 …。

 給仕がせわしなく働いている音が、襖をまたいで聞こえてきた。

 襖を叩く音と私を呼ぶ声。

 「…なぎ。料理が届いたよ」

 戸に寄り掛かって私の名を呼ぶ。

 …。

 「今行くわ」

 …そう。

 私はもう『なぎ』になった。

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