SUPER YELLOW
知らない人に裸を見られる感覚は、どうも慣れそうにない。
ただの自意識過剰なのかもしれないけれど、それでも目が合ってしまうとどうしても意識してしまう。
同性だとしても不愉快だわ…
急いで体を洗い、体を隠すために湯船に浸かる。
…。
43℃…
温泉の温度は、家の設定よりだいぶ高かった。
湯船に浸かっているのは4人。
3人の年齢は40~50代、残りの1人は20代くらいに見える。
洗い場にいる2人はどちらも2~30代くらいのよう。
きっと10代は私だけ…
だから余計に目立ってしまう。
…。
辺りを見渡す。
20代の女とおばさんの1人は知人関係らしく、私の方をチラチラ見ては二人でひそひそと話していた。
…。
何よ。
言いたいことがあるなら直接言いなさいよ。
…。
そう言えば、チェックインの時の受付も物珍しそうに私達を見ていたわね…
私は実年齢よりは大人に見られることが多かったけれど、それでも大学生か二十歳そこそこ。
アイツは一応成人してはいるけれど、若いことには変わりない。
温泉旅行なんて渋い選択をしている変わった大学生カップル。
そんな風に見られているのかしら?
「はぁ…」
自分で考えていて溜息が漏れる。
…。
不本意だわ。
今回の旅行はただの気分転換を兼ねた慰安旅行。
アイツの体も目に見えるところは大体治ったようだけれど、酷く損傷した左太ももの筋肉はまだ本調子ではない。
運転中も辛そうにしていたし、荷物運びも大変そうだった。
日常生活で重労働な掃除や洗濯は私が代わりにやっているから、そんな素振りは見せなかったけれど、やはり日常生活に制限が掛かっているのでしょう。
…だから。
今回の旅行は『気を利かせた私の献身的な提案』。
健気で慈愛に満ちた年下の女が尽くしてくれる、という状況は、きっと男冥利に尽きる。
アイツは私に惚れ込んで、最終的には私の傀儡に。
そうなってしまえば私の未来は明るい。
裕福で従順な奴隷が、未来永劫私を養ってくれるのだから…
…そう。
今回の旅行は、そんな将来設計を見越した布石。
…そう。
そうなのよ…
…。
あれっ?
ここは…
布団…?
「おっ。起きたね」
声のする方を向くと、額から生ぬるいタオルが落ちた。
…えっ?
「のぼせたみたいだね。内務係?が大慌てにしてたよ」
大丈夫?と私の顔を覗き込んで、タオルを新しいものと替える。
「…」
「水もあるよ。飲めそう?」
ストローの入ったペットボトルを傾けて微笑んでいる。
…。
「えぇ。お願いするわ」
髪を耳にかけて、ストローを咥える。
ゆっくりと水を吸うと、冷水が火照った体を緩やかに冷やした。
…。
間抜けだわ。
私はこんなに抜けていたかしら?
軽いめまいはすぐに引いた。
それでもまだ、手に力が入らない。
…。
「いつまでそうしてるのよ?」
30分くらい遠い目のまま黙っていたアイツに問いかける。
「えっ?…なぎが良くなるまで、かなぁ」
何で自分のことが曖昧なのよ…
「ならもう十分よ。さっさと出て行って」
「うん。もう少ししたらね」
動く気配が全くない。
…。
きっと、私の容態が良くなるまでずっとここにいるつもりなのでしょう。
何をするでもなく、ただ私を想って無為な時間を費やしている。
…いつもそう。
アイツの気遣いは独りよがりで自分本位な独善…
無機質で、模範的で、心無い行為だと、今は理解している。
だから…
「…もう。勝手にしたら?」
だから、そんなことしかできないコイツが哀れで、目が離せなかった。
無言の時間は永遠のようにも思えた。
夕暮れの陽が障子を破って微かに差す。
襖で区切られただけのこの部屋が、夕暮れ時の赤い光で満たされてゆく。
…息苦しい。
普段なら隣にいてもずっと話さない時もあるけれど、それを苦に感じることはなかった。
だと言うのに、不思議と今は苦痛で仕方ない。
…。
「ねぇ」
「何?」
天井を眺めながら語りかけると、アイツはすぐに返事をした。
「何か、面白い話をしてよ」
「えー」
能面だったアイツの顔が歪む。
「僕はそう言うの、苦手なんだよ」
…知ってる。
だから言ってみたのよ。
「アンタ器用じゃない。それくらいできなくてどうするのよ」
いつものつまらない冗談でもいいから…
アイツが頭を掻いて愛想笑いを浮かべる。
「そうだけどさ、…難しいよね」
「何が?」
「何がって…、人を喜ばせることが、かな?」
素直ね…
まぁ、それは同意見。
「そんな一席設けろとまでは言ってないでしょう?暇つぶしに何かないの?って聞いているのよ」
変なところでいつも真面目なんだから…
「あぁ、そうだったの?…って言ってもなぁ」
最近は全部話しているしなぁ、と、言葉と共に溜息を漏らした。
腕を組んで、唸りながら目を瞑る。
「…」
次の言葉を待つ。
「懐かしい気がしたよ」
…ん?
「懐かしい?」
脈絡のない言葉だわ。
「うん。もう1年経ったんだなぁって」
そう言いながらアイツは私を見た。
…。
あぁ。
今日は11日だったわね。
私が誘拐されて今日で丁度1年…
「あぁ。アンタが犯罪者になってから、ね」
「違うよ。なぎがうちの子になって、だよ」
アイツが懐かしむように上機嫌で笑う。
何よ『うちの子』って…
「…それで?耄碌したの?過去を懐かしんでいたら老け込むわよ?」
「そうだね…。…脱衣所で倒れているなぎを背負って運んだ時さ、重かったんだ。テニスバッグになぎを詰めて林地を掻き分けて歩いた時と比べて。きっとこれが『なぎの重さ』なんだろうなって…」
えらく詩的ね。
気持ち悪い。
「太ったんじゃない?アンタの足もガラクタになったのだし」
茶化すように言うと、アイツはおかしそうに笑った。
「ははっ。…そうだね」
天井を見上げる。
「この1年、色んなことがあったね」
「そうね」
誘拐されて、怯える日々を暮らして、でもそんな生活にも慣れて、煩わしくも豊かな暮らしを送って…
「…それで、今は程よく贅沢な温泉旅行…」
「うん。そうだね…」
本当に、色々なことがあった。
…。
「ねぇ」
体を起こしてアイツを見る。
立て膝で座っていたアイツと目が合った。
そのまま視線を落として胸元で止まる。
「…どこ見てるのよ」
着せられた浴衣は少しはだけていた。
「いやっ。着崩れしてるから…」
「見るな変態」
ごめんごめん、と情けなく謝る。
…。
「…体調は?」
「もう大丈夫よ。それよりお腹が減ったわ」
素直に伝えるとアイツは嬉しそうに笑った。
立ち上がって襖を開ける。
「料理を運んで貰うよ。それまでは安静に、ね?」
そう言ってゆっくりと襖を閉めた。
…誘拐されてもう1年。
私はもう、世間では死んだ人間と見なされてしまったのかしら?
もうこの世に存在していない人…
存在を忘れられた人間…
けれど、不思議と寂しい気持ちはない。
人間関係は全部、あの津波が綺麗に洗い流してくれた。
過去の無様な私は死んで、今いる私は等身大の自分。
世間のしがらみから解放されて、不自由でも気ままな生活。
…。
悪くない。
幸せではないけれど、悪くはない。
馬鹿で愚直な精神異常者との共同生活でも、最悪ではない。
…。
給仕がせわしなく働いている音が、襖をまたいで聞こえてきた。
襖を叩く音と私を呼ぶ声。
「…なぎ。料理が届いたよ」
戸に寄り掛かって私の名を呼ぶ。
…。
「今行くわ」
…そう。
私はもう『なぎ』になった。