ヴィーナスサステイン
「…まだ着かないの?」
助手席で肩ひじをついたなぎが不機嫌そうにそう言った。
「混んでるからね。後1時間位は掛かるかも」
「だから高速を使えばよかったじゃない。大してお金もかからないんでしょ?」
足にも負担がかからないんだし、となぎが続ける。
「そうだね。…まぁ、急いでないし、大丈夫でしょ」
「急いでるわよ。チェックインの時間が迫ってるの」
それはなぎが準備に時間をかけてたからでしょ…
「…何?文句あるの?」
「いえ。とんでもない」
目を細めて僕を睨んでいる。
「はぁ…」
小さな溜息を吐いて窓の外を見つめる。
「…無理して事故なんて起こさないでよね」
旅館には私が電話するから、と小さな声でそう言った。
今回の3泊4日の温泉旅行は全て、なぎが計画した。
そのプランを僕は知らない。
予算が10万円だと言うことは知っているため、それなりに豪華な旅にはなりそうだが…
「…ねぇ」
代り映えのしない景色を眺めていたなぎが語り掛けてきた。
「何?」
「電話、鳴ってるわよ」
なぎが指差す。
ダッシュボードに置いたままだった携帯が振動していた。
「出てあげましょうか?」
意地悪く笑うなぎ。
「やめてくれ」
面倒なことになりそうだ。
「出ればいいじゃない。どうせ渋滞で車は進まないのでしょう?」
あそこにコンビニもあるわよ、となぎが顎で場所を指す。
…。
「いやっ…。いいかな。電源切っておいて」
「何でよ。大事な用かもしれないじゃない」
なぎが手に取って携帯を開く。
「…菱川『あやめ』?」
…。
「切っておいて」
なぎは黙ったまま携帯を閉じると、そのまま後部座席に放り投げた。