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Double bind  作者: 佐々木研
ブリキと蛇達
125/148

問い説いてよ?

 先生は思っていたほど悪い人じゃなかった。

 先生の噂はこの大学で有名で、この間の誘拐事件でさらに一躍トップになったみたい。

 私の学年でも3年生の先輩にヤバい人がいるって持ち切りだったし、そういうのを気にしないあいりちゃんでも知ってるくらいの大ごとだった。

 学校にも警察が何度も来たし、取り調べを受けた友達もいる。

 …でも。

 それはやっぱり、ただの噂だった。



 日曜日の勉強会は憂鬱だ。

 留年は免れたけど、私の成績は芳しくない。

 おとうさんにも釘を刺されたし、進級できた喜びもそっちのけで春休みも毎日、半強制的に勉強会に参加していた。

 あいりちゃんもそんな私のために一緒に受けてくれているけど、それでも、先生のいない日曜日は憂鬱だった。

 「…あやめ?ちゃんと集中してる?」

 ぼーっとしてた。

 「しっ、してるよっ!?」

 「シャーペンを鼻の下で挟んでるような人が勉強に集中してるの?」

 …。

 「ほらっ。図星を突かれるとすぐむくれる」

 …。

 「進級できて気が緩んじゃうのは分かるけどさ、またのほほんとしてると危ないよ?」

 「…あいりちゃん、おとうさんみたい」

 頼りになるとことか…

 「せめてお母さんにしてよ…。それかお姉さんとか…」

 あいりちゃんは私より3つ上。

 面倒見がよくて優しい、本当におねえちゃんみたいな人。

 「おねぇちゃ~ん。ここ教えてー」

 「私も分かんないって。…他の先輩に聞いてみなよ」

 人生の先輩は、生き方しか教えてくれなかった。

 「うぅ…」

 今日来てるのはキザで女の子を何人も侍らせている棗先生と言い方のキツい伊吹先生の二人。

 棗先生は来たり来なかったりまちまちだけど、伊吹先生は毎回来てる。

 「先輩も言ってたよ。『自分以外から教わるのも勉強になる』って。私達は馬鹿なんだから、素直に聞こ?」

 そうだけどさ…

 「…先輩に操を立ててるもんね」

 「違うからっ!!」

 もう知らないっ!

 教科書を畳んで席を立つ。

 えぇっと…

 「いっ、いぶっき!…せんせい…」

 …。

 話しかけるテンションをまちがえちゃった…


 「アンタ、橘の…」

 伊吹先生が鷹みたいな鋭い目で私を睨む。

 …怖い。

 「あのっ、…そのっ…」

 睨まれて言葉が思うように繋がらない。

 「…衛生学?」

 伊吹先生の目線が私の胸元で止まる。

 「えっ?あっ…その…」

 「今日は橘、いないもんね。…貸してみなさい」

 抱きかかえていた教科書を乱暴に取る。

 「どこ?」

 ペラペラとすごいスピードでページを開いている。

 「あっ、ここ、です…」

 「消毒液の種類と抗菌作用ね」

 こんなのただ憶えるだけじゃない、と下らなそうにそう言った。


 「まずは成分とか構造から分類しなさい。IヨードとかCl(塩素)とかはハロゲンでしょ?ベンザルコニウムとかは界面活性剤だから両親媒性を有してる。クロライドの脱離がカチオン性に関与しているのは分かるわよね?だから…」

 …頭がグルグルする。

 「だからっ!何で分からないの!?こんなの初歩の初歩の初歩よ?アンタどうやってこの大学入ったの?」

 …。

 「これくらい高校生でも知ってるヤツは知ってるっ!はぁ…」

 伊吹先生が溜息をついた。

 「…アンタ、留年しなさい。その方がアンタの為だわ」

 …ぅ。

 涙が零れる。

 …確かに私は馬鹿かもしれない。

 センター試験も憶えることを憶えただけで、二次試験の結果は芳しくなかった。

 何とか合格ラインギリギリの入学で、授業のことはさっぱり分かんない。

 確かに入学できたことに浮かれていたかもしれない。

 私には分不相応だったかもしれない。

 それでも。

 そんな言い方って…

 「泣くなっ!それじゃあ何の解決にもなんないでしょ!?」

 怒鳴り声が静かな教室に響く。

 …この人は人の気持ちが分かんないんだ。

 天才だから。

 もうやだ…

 「…うっ……ぅうっ…ひっ……っ」

 流れる涙が止まらない。

 鼻水と嗚咽も…

 …。

 「先輩。言い過ぎです」

 私と伊吹先生の間にあいりちゃんが割って入った。

 「ホントのことじゃない。…何?」

 あいりちゃんを睨みつける。

 「本当のことなら何でも言っていいんですか?」

 あいりちゃんも食い下がった。

 「当たり前でしょ。否定される謂われはない」

 やめて…

 「…なら先輩は、指導者に向いてないと思います」

 「なに?何が言いたいの?」

 バチバチと火花が散ってる。

 「本当のことです。伊吹先輩は指導者に向いていません。教える側は最低限、相手の理解度を認知していないといけないと思います。知識があっても教える能力がないのなら先生としては二流では?」

 「はぁ!?二流?あたしが?ふざけないで。この大学に入って胡坐をかいてたのはそこの馬鹿でしょ?ここまで無知なヤツは流石に許容できないから。スタートラインにすら立ってない」

 「じゃあやっぱり、先輩に資格はないですよ。この制度はそういう子の救済が目的のはずです。それができないなら…」

 「だからっ!資格がないのはっ…」

 「やめてくださいっ!!」

 …。

 自分でも驚くほどの声が出た。

 教室にいる全員が私を見る。

 「…わっ、わかって、ますから…。私がばかだって…。…だから」

 だから、もう言わないで…

 私なんかのために怒らないで…

 …。

 「…かえります」

 伊吹先生に頭を下げる。

 「あやめっ!!」

 …。

 ごめんなさい…

 何も持たずに教室を飛び出した。


 せんせい…

 先生、先生、先生っ…

 …。

 上着のポケットに入っていた携帯を握りしめる。

 …せんせいっ。

 電話帳を開く。

 …。

 呼び出し音が続く。

 …。

 …。

 『…只今、電話に出ることができません。ピーっという発信音の後に、お名前と…』

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