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Double bind  作者: 佐々木研
ブリキと蛇達
122/148

気付かないふりする秘密

 2月11日。

 期末テストも終わり、赤点を取った学生は再試験に追われ、四苦八苦している。

 それは僕のグループも例外ではない。

 「せんせぇ…、私はどうすれば…」

 「足りない点数は僅かだったのでしょう?…まだ時間はありますし、大丈夫ですよ」

 泣きそうな顔で縋りつく茶髪の下級生を宥める。

 「…本当ですか?」

 「はい。当日、緊張しなければ大丈夫です。テストで出来なかった部分は自分の苦手な分野です。平日は自分で重点的にやってみるのがいいでしょう」

 この子は確か、公衆衛生学が苦手だったな…

 「それでは先週の復習から…」


 「…今週も少ないですね」

 静かな講義室で生徒の一人である黒髪の下級生が呟いた。

 僕が一応受け持っている生徒も、今週は一年生の二人だけ。

 「もう春休みですからね。試験をクリアした人は休みたいのでしょう」

 「うぅ」

 赤点を取った茶髪の生徒が唸る。

 「…先生。平日も勉強を教えてくれませんか?」

 上目遣いの猫撫で声で媚びるように言う。

 「お給金も支払いますからぁ」

 …。

 「まぁ、構いませんよ」

 給料が出るならむしろありがたい、か。

 「ほんとですか?」

 「えぇ。…再試までの間、ですよね?」

 「はい。…いいですか?」

 「大丈夫ですよ。場所は二人にお任せします」

 そう伝えると彼女は嬉しそうにペンを握って、ノートに向かい合った。


 休憩時間に入ると二人は昼食を買いに出て行った。

 講義室は数人の人間だけを残して閑散としている。

 …。

 バックから教科書を取り出して開く。

 「…ねぇ」

 呼ぶ声に応じて顔を上げると、そこには伊吹がいた。

 いつもは堂々とした立ち振る舞いだが、僕と話す時はいつもどこか臆している。

 「何?」

 また何かしたのだろうか?

 冬休み前に話した時は怒鳴られたからな…

 伊吹を見詰める。

 「お前さ、…何やってんの?」

 要領を得ない質問だな…

 「何って、勉強だけど?」

 「そうじゃなくって!!…このあいだのテスト、成績は?」

 …あぁ、そう言えば。

 「伊吹は一位だったんだって?おめでとう」

 きっと自慢したかったんだろう。

 自分の生徒達にも自慢してたようだし…

 「おめでとうって…、おまえっ!…悔しくないの?」

 伊吹が机から身を乗り出して僕を睨む。

 「いや、別に。僕は前回よりは大分順位を上げたからね」

 前回は確か10番代だったけれど、今回は2位だった。

 自分でも不甲斐ない結果だとは思うが、それだけ伊吹が努力したと言うことだろう。

 「なんでっ!」

 伊吹の怒声が講義室に響く。

 「何でよっ!前回だって、お前は何も感じてないみたいな顔してっ!!…あたしを馬鹿にしてるの?」

 顔の距離が縮まっていく。

 「してないって。伊吹は前回も一位だったんでしょ?僕は今回も前回も必死に勉強したんだ。これが結果だよ」

 今回、時間は十分あった。

 講義や実習も集中して取り組んでいたし、復習も怠らなかった。

 前回は怪我で仕方なかったとしても、今回の結果は言い逃れ出来ない。

 人を見下していた自分を改めなければいけないな…

 「…馬鹿みたい。何でこんなヤツにあたし…」

 伊吹の声に籠っていた力が次第に小さくなっていった。



 「ここです。…どうですか?」

 「いい部屋ですね」

 茶髪の女生徒の部屋はそれなりに広かった。

 独り暮らしにしてはやや贅沢だと思うが、大学からも近いし便利そうだ。

 …まぁ。

 それは僕もそうか…

 「いつもはもっと片付いてないんですよ?」

 「いっ、言わないでよっ!」

 長髪の下級生が茶髪とじゃれつく。

 「それでは、早速始めましょうか」

 小綺麗な机に教科書を広げる。


 適当に休憩を挟みながら勉強を続ける。

 赤点を取った茶髪の子は熱心に机に向かっているが、試験をクリアした方の長髪の子はそこまで根を詰めていないため、キッチンで昼食を作る役を名乗り出て料理をしていた。

 「あやめー。これ、使っていいの?」

 「冷蔵庫にあるヤツならなんでもいーよ」

 …茶髪はあやめと言うらしい。

 「先輩の好きな食べ物って何ですか?材料があれば作りますよ?」

 「僕はなんでも構いません。お二人の好きなものを作って下さい」

 「うーん」

 エプロンを縛りながら女生徒が唸る。

 「あいりちゃんのオムライス食べたいなー」

 …比較的勉強が出来る長髪の方があいりか。

 「また?…しょうがないなぁ」

 まるで聞き分けの悪い妹の我儘に付き合うかのような返事をすると、あいりはフライパンを取り出した。


 テーブルにはお洒落な喫茶店で出そうなオムライスが置かれた。

 卵は半熟で、チキンライスは茶色がかった赤。

 二人はじっと僕を見つめて、僕が食べるまで動こうとしない。

 …凄い重圧だな。

 スプーンで掬って口に入れる。

 匂いは分かるが…

 「…美味しいですね」

 味が全くしない。

 「本当ですか?」

 あいりが嬉しそうに微笑む。

 「はい。料理、上手なんですね」

 多分、それなりに普段から作っているのだろう。

 ここから見ていた手際は悪くなかった。

 …大体、なぎと同じくらいか。

 「先生、隠し味分かりますかー?」

 自分で作ってもいないあやめが自慢げに問う。

 …隠し味、か。

 多分、色と匂いからオイスターソース辺りだと思うが…

 「僕は料理をしないので分かりませんね。…何ですか?」

 「ふふっ、実はオイスターソースなんですよー。先生も料理をする時は試してみてください」

 …その笑顔が少し、楓さんに似ていた。


 「…先輩、これ」

 帰る仕度の途中で、あいりが僕に封筒を渡してきた。

 …あぁ、バイト代か。

 「先にお支払いさせてもらいます。確認してください」

 中には一万円札が7枚。

 「…多くないですか?」

 僕の日給は5千円。

 今週の平日と、来週の月、火曜日の七日間で、3万5千円のはずだけれど…

 「あやめと相談したんです。急な話でしたし、交通費も込みでこれくらいはって…」

 あいりは指をいじりながら、俯いて答えた。

 「…流石にこんなに受け取るわけにはいきません。お気持ちは嬉しいですが…」

 「受け取って下さい。…私は来年もあやめと一緒に居たいんです。…だから」

 あやめをお願いします、と、僕の手を握る。

 「…分かりました。任せて下さい」

 …。

 なぜか、そんな無責任な言葉が口に出た。

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