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Double bind  作者: 佐々木研
物語も半ばを過ぎて
119/148

昨日の僕とは少し違う

 朝からテレビを見て、勉強をして、チェスをして…

 そんな毎日だった。

 「クリスマスね…」

 「うん」

 短い返事ね。

 「…アンタはどこか行ったりしないの?」

 「うん。足が痛くなるし、予定もないからね」

 「…顔はよくなったけれど、足はまだ痛むの?」

 「うん。激痛って言うより、鈍痛って感じだけどね」

 …違いが分からないわ。

 「…髪、大分伸びてきたわね」

 「そうだね。…なぎは?」

 「私は自分で切ってるもの」

 「ふーん」

 「ねぇ」

 「何?」

 「切ってあげましょうか?」

 「…うん。お願い」


 コイツの頭はボコボコだった。

 特に後頭部は酷い。

 「これ…。椎名って人と監禁された時のでしょう?」

 「うん。…今は全く痛くないけどね」

 お風呂場で上半身裸のコイツは笑う。

 「何であの時に言わなかったのよ」

 「弱みを見せたら逃げられると思ってさ」

 逃げないわよ。

 …。

 「今、アンタは丸腰で私は凶器を持ってるわ」

 「本当だ、危ない」

 鋏を大袈裟にかざしても無表情で笑うだけで、アイツは全く動く気配がなかった。

 …。

 伸びた髪を束ねて櫛で梳く。

 その間、アイツはずっと黙っていた。


 チェス盤を挟んで向かい合う。

 ここ最近は毎日、アイツとプレイしているわね。

 いつもは夕飯の片づけなどの雑務を賭けているけれど、今回は負けられない。

 「…それで?今日は何を賭ける?」

 ほとんど負けているくせに…

 …。

 「この間貰ったアレを賭けましょ」

 紙袋に入ったままキャビネットに仕舞ってある貰い物を指差す。

 「…なぎっていくつだっけ?」

 「偶然にも今日成人したわ」

 …嘘だけれど。

 「ふーん。そうか…」

 アイツは少し考えると、重い口を開いた。

 「それじゃあ、今回は負けられないね」

 …。

 コイツは私に従順って訳じゃない。


 「…アンタ、今まで手を抜いてたの?」

 夕飯の支度を手伝うアイツに言う。

 「いやいや、ずっと本気だよ。まぁ、今日も負けちゃったけどね」

 テーブルを布巾で拭きながらアイツは答えた。

 「あーあ、もう少しで勝てたのに。…あの時、ビショップのピンを外さなければ勝ってたかなぁ」

 「もう遅いわ。とにかく、あのワインは私の物ね」

 「別にいいけどさ。…あまり一気に飲んじゃ駄目だよ?」

 「…そうなの?」

 お酒なんて飲んだことないから分からないわ。

 「そうだよ。まぁ体質に寄るけど、多分なぎじゃ一本空けられないよ」

 「そう。なら、アンタも付き合いなさい」

 「…まぁ、そっちの方が僕も安心できる、かな?」

 「決まりね。…早くレシピを探して」

 「仰せの通りに」


 テーブルには豪華な食事が並ぶ。

 ブルーチーズのサラダに、トマトマリネ、チキングリルなど、今日は洋風に仕上がった。

 アイツが調理して、味付けは私。

 全てが私好みの塩加減だった。

 「何か、お洒落な感じだね」

 席に座るアイツが呟く。

 「誕生日だもの」

 「ははっ。…そう言えばそうだったね」

 家にはワイングラスがなかったので、コップにワインを注ぐ。

 濁った赤が器を満たす。

 …。

 「そう言えば、僕も家で飲むのは初めてだな」

 コップを回すアイツが、独り言のようにそう漏らした。


 「…あんまり美味しくないわね」

 消毒液みたいな匂いが口の中で広がる。

 仄かにブドウの甘さがあるだけで、こんなものを飲むなら、グレープジュースを飲んだ方がまだまし。

 「そうだね。お酒なんて酔うために飲むようなものだし…」

 「へー」

 我慢してもう一口飲む。

 …。

 慣れればどうってことないわね。

 「結構いいやつっぽいね。…美味しい?」

 アイツもコップを傾ける。

 「さぁ?…分からないわ」

 「じゃあ誰にも分からないね」

 …。

 そうか。

 アイツはもう味が分からないのだったわね。

 「…アンタはお酒、好きだったの?」

 「いや別に。嫌いってほどじゃないけど、好んで飲むことはないかな」

 サラダやお肉を取り分けながら、アイツが言う。

 …。

 「味がしないって大変?」

 「慣れれば便利なことも多いよ。嫌いな食べ物だってなんの苦も無く食べられるし…」

 なぎと楽しみを共有できないのは悲しいけどね、とアイツが言う。

 その顔に、嘘を付いてるという後ろめたさが微塵もない。

 …。

 きっと本当にそう思ってるのでしょうね。

 「何よ。私だって一応、アンタの心配をしているのに…」

 言っても仕方のない言葉が口から零れた。

 「…心、配?…なんで?」

 アイツの手が止まる。

 「何でって…」

 …今まで散々考えてきた。

 それを言うのかどうかも…

 …。

 言葉にしてしまえば、後戻りができない気がする。

 話すメリットなんて何もないし、付け入られる隙を与えるだけで何かを得られることもない。

 …なのに。

 つい話してもいいような気がしてしまう。

 …そうよ。

 余りにもみっともない目の前の男が哀れに見えただけ。

 少しくらい、私も弱みを見せてあげようっていう施しよ。

 …そう。

 …。

 「私は両親から疎まれていたの。ただの穀潰しだって…」

 …。

 それを酷いことだとは思わない。

 裕福な家庭もあれば当然貧しい家庭もある。

 仲の良い家庭もあればそうではない家庭だって…

 ただの不運ってだけ。

 「私の家は貧しくてね。両親からは家事を強いられていたわ」

 父親は放蕩癖の抜けない愚かな人間で、母親はそんな父に縋る哀れな人間。

 どちらも私になんて興味がなくて、私がしっかりしなければ家がまともに機能しなかった。

 …。

 お金がないのに高校に行きたいと駄々をこねたのは私なのだから、これくらいは仕方がない。

 捨てられないだけましだと思っていた。

 …けれど。

 「やっていることは変わらないけれど、私の家よりはましなの。私がここに居るのはそれが理由」

 …そう。

 「アンタみたいな富裕層には分からないと思うけれど、家があって、食事が摂れるということは、それだけ幸福なことなの。アンタは私に不自由な生活を送らせてしまっていると思っているでしょうけれど、そんなことないわ」

 …歯止めが利かない。

 「…だから、私の生活基盤を築いているアンタが、…心配なの」

 顔が熱くなっているのが分かる。

 …そうよ。

 これはお酒のせい。

 少し、本音を漏らしてしまうのも…

 「そっか…」

 私の長い話をアイツは最後まで聞いていた。

 「僕はやっぱり幸運だ」

 味がしないであろうつまみを食べながら、嬉しそうに静かに笑った。


 「…なぎ。飲み過ぎだよ」

 空いた皿を下げながら、突っ伏していた私にアイツが言う。

 「…うるさい」

 頭がぐるぐるする…

 …気持ち悪い。

 「吐くと楽になるよ」

 「嫌っ!」

 自分の言葉が頭に響く。

 うぅ…

 「…取り敢えず水を入れてくる。こまめに飲みなよ」

 私の前にコップを置くと、アイツはそのまま私の隣に座って残りのお酒を飲み始めた。

 「…よくそんな飲めるわね」

 「ん?…あぁ、開けちゃったからね」

 答えになってない。

 アイツは黙ったまま何をするでもなく、コップを傾けている。

 …その目は何も映していない。

 真剣な顔でも、思い詰めた顔でも、心配した顔でもない無表情…

 私の隣に座って、自分が呼ばれるのをただ待っている。

 助けに呼ばれれば即座に動くし、呼ばれなければそれでいい。

 …きっとそんな、慣れない気遣い。

 今まで使ったことがないから、どうしたらいいか分からないのね…

 …。

 「…アンタ、変わったわ」

 始めて会った時と比べて、少しだけだけれど…

 「…やっぱりそうなのかな」

 アイツが顔色を変えずに答えた。

 「なぎは今と前、どっちがいいと思う?」

 …。

 「今、かしら?昔のアンタなんて知らないもの」

 「そっか。…そうだよね」

 なら問題ない、ともう一度コップを傾けた。

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