表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Double bind  作者: 佐々木研
物語も半ばを過ぎて
114/148

欲しいものは全部あって

 「何読んでるの?」

 寝そべっていたソファの下になぎが座った。

 「…後輩のレポート。意外と面白いよ」

 梅野って子は他分野ながら頑張っていると思う。

 椎名さんの論文ははっきり言って高度過ぎる。

 …多分、椎名さんの学年でも理解できない人は多いだろう。

 論文は誰にでも分かるように書かなければならないものだが、椎名さんのテーマは難解だ。

 きっと、多くの人に手伝って貰って相当調べて書いたのだろう。

 それに対して富樫って子は苦戦しているようだ。

 椎名さんの論文の要約が難航しているようで、彼女がまとめた結論は椎名さんが序文で暗に示した前提条件だった。

 本文を理解していない。

 …だが、薬物の分子構造の対称性から幾何学解析を行い、薬効の差異を研究すると言う案は面白い。

 医療従事者は数学者ほど科学に堪能ではないため、学問の幅を広げると言う目的もあるし…

 一通り目を通してそれをなぎに差し出すと、顔を歪めて押し返された。

 「読んでも分からないわよ」

 「そうかな?…この家にある本は大体読んだでしょ?なら簡単だよ」

 「概要が分かっただけで理解はしてないわ。…あまり興味を惹かれなかったし」

 …そうか。

 「暇なの?」

 最近の日曜日はなぎと話すのが日課になってきている。

 するのは他愛のない会話…

 距離が近くなっているのを感じる。

 「…えぇ」

 なぎが点いていないテレビを見ながら呟いた。

 何故か屈辱にまみれた表情を浮かべる。

 「久しぶりにチェスをしましょう」

 彼女は徐に立ち上がった。


 「リザインだ」

 「情けないわね。一向に上達しないって…」

 いやいや。

 「なぎが強すぎるんだって。自慢じゃないけれど、僕はこの手のゲームで負けたことないんだ」

 「…そうなの?」

 「うん。大体、このチェスボードだってキャンディデイトマスターとまでは言わないけれど、相当な腕の人に勝って貰ったものだし」

 教授のレーティングは確か2000は越えていた。

 教授に勝った僕も多分それ位なのだろう。

 けれどなぎはそんな僕にハンディを付けて楽に倒せる。

 きっと、毎日勉強すればグランドマスターも夢ではない。

 「…キャンディ?…なにそれ?」

 「チェスのうまさを示した階級だよ。多分、日本には100人もいないんじゃないかな?」

 そこらへんは曖昧だが…

 「へー。アンタ、案外すごいのね」

 「いや、なぎの方が凄いよ。一回本気でやってみたら?」

 日本人のGMなんているのだろうか…

 「別にいいわよ。負けたらイライラしそうだし」

 そう言ってなぎが駒を並べ直す。

 「さっ、明日は休みでしょ?もう一局しましょ」


 「ねぇ」

 難しい盤面に頭を抱えていた僕になぎが話しかけてきた。

 「何?」

 「…アンタ、キスしたことある?」

 唐突だな…

 「あるけど…。何で?」

 「…別に。どんな感じなのかなって。アンタ、意外とモテるみたいだし…」

 平静を装ってるみたいが、顔がほんのりと赤い。

 「まぁ、そうかもね」

 「否定しないのね」

 「謙遜は将来的に自分の価値を下げるからね」

 もうなぎの前では謙遜する必要もないだろう。

 「立派な哲学ですこと。…それで?どうなの?気持ちよかったりするの?」

 控えめに言っているようで興味津々な態度に笑いそうになる。

 「いや。ただの接触だよ。冷静に考えれば意味の分からない行為だね」

 ポーンを2マス進める。

 「冷めてるわね」

 「皆、神聖なものと見なしてるからそう言う気がしてるだけだよ。僕は昔からそう言うことに共感出来なくてね。はは…」

 誘うように笑うが、なぎは釣られてくれない。

 「じゃあ何で私を攫ったのよ。…意味が分からないわ」

 孤立していた僕のビショップが、なぎのナイトに取られてしまった。

 「前も言ったでしょ?最初はなぎを使って子供を産んでもらおうと思ったんだけど、なぎが思いのほか面白い人だったからさ。もうそんな必要ないかなって思って…」

 なぎが生んだ子供をしっかり育成して、その子に僕の孤独を埋めてもらうという計画が、今では全く無用なものになった。

 なぎは僕より頭が回る。

 まだ知識は僕の方があるが、それだってただの年齢の差だ。

 そう思わせてくれる将来性がなぎにはある。

 「最低な人間ね。…それじゃあ私はもう不要ってわけ?」

 「それは困るなぁ。なぎ以上に魅力的な人間を探すのは面倒だ。もう少し居なよ」

 クイーンを囮に活路を作る。

 「買い被り過ぎて気味が悪いわ。私のどこにそんな魅力を感じるのよ…」

 なぎがクイーンを取った。

 「誘拐犯の身の回りのお世話をしようなんて、そんな面白い人いないでしょ。僕だったら絶対そんなこと考えつかない」

 それだけで十分、なぎは魅力的だ。

 「…一応、私なりの感謝の現れなのだけれど」

 「感謝?…やっぱり面白いこと言うね」

 犯罪者に感謝するなんて…

 「何よ。ふざけてるなら出て行くわよ」

 「ごめんごめん。冗談だって…」

 油断したなぎにチェックをかける。

 「えっ…」

 「…久しぶりに僕の勝ちだね」

 あと13手でなぎのキングが落ちる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ