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Double bind  作者: 佐々木研
物語も半ばを過ぎて
113/148

初めての恋が終わる時

 「椎名さんっ!クリスマスって予定ありますか!?」

 公衆の面前で挙動不審な人に話しかけられてしまった。

 「…すみません、予定がありますので」

 特にないけれど、この手の人間を相手にしていたらきりがない。

 「誰ですか?…まさかあの3年の?」

 「貴方に関係あります?」

 少し威圧するように忠告する。

 …誰?

 名前も名乗らないで…

 「椎名さんが松本にやられたことは知ってます!…俺は、あなたのことが…」

 「迷惑ですっ!」

 男を背に、研究室に逃げ込む。

 …はぁ。

 好き勝手に言って…


 「…蓮君」

 研究室には彼がいた。

 最近は会う機会がめっきりなくなっていたけれど…

 「お久しぶりです。椎名さん」

 少し、顔を合わせづらいな…

 「…うん。…久しぶり」

 二カ月ぶりくらい、かな?

 「蓮君、研究室にはよく来るの?」

 私も時々来るけれど今まで会わなかった。

 「今日はたまたま教授に呼ばれて来ただけですよ」

 …そうか。

 蓮君がここで研究してたのはただ単に私の手伝いってだけで、正式にはここの所属じゃなかった。

 私の研究が終われば、それでおしまい。

 彼は医学生で、卒業論文の提出義務はないのだから…

 「椎名さんはどうしてここへ?」

 どうしてって…

 …そうだ。

 「ちょっと嫌な人に絡まれてしまって…」

 なるべく蓮君の気を引くように言葉尻を濁す。

 「…どうしました?」

 思惑通り、蓮君の顔が真剣なものになった。

 「実はついさっき…」

 彼が模範的な対応を取っているのは分かっているけれど、それでも聞き返してくれたことが何より嬉しかった。


 「…そうですか」

 さっきのナンパの件をかいつまんで話すと、蓮君は安心したように頷いた。

 「…どう思う?」

 普通、見ず知らずの人にあんなしつこく来るかしら?

 「どう思うって言われましても…。それ位椎名さんが魅力的だったってことじゃないですか?椎名さんは下級生の間でも有名らしいですし…」

 …意外。

 彼は噂なんて俗物的なことに無関心だと思ってた。

 …。

 あれ?

 「蓮君、下級生と交流なんてあるの?」

 「えぇ、最近は…」

 蓮君が続きを話そうとした最中に研究室の扉が勢いよく開かれた。

 「おっ、橘!…っと、椎名さん…」

 そこには桜井君と二人の女の子が立っていた。


 「ねー雅君。この人達はー?」

 軽そうな女の子がこれ見よがしに桜井君に身を寄せて私を睨んだ。

 …誰?

 「あー。同じ研究室の仲間だよ」

 桜井君が私達を見る。

 「僕は一応違うけどね」

 蓮君があははっ、と余所行きの笑顔を二人に向けた。

 「僕は橘。桜井と同級生だ。隣はこの研究室の長の椎名さん。こう見えても4年生だよ」

 目線で私に挨拶を促す。

 『こう見えても』って…

 「…椎名菫、です」

 思わず敬語になってしまった。

 ここに居る人は皆下級生なのに…

 「…あー、この人達が…」

 桜井君に擦り寄ってない方の女が私達を見ると、納得したような声を漏らした。

 「桜井、お前も教授に呼ばれてたのか?」

 「…ということはお前も?」

 女の子と私を余所に、蓮君と桜井君の二人が話を進める。

 「…その二人が?」

 「あぁ。サークルで教授の話を漏らしたら、見学したいって言いだして…。まぁ、手間は増えないだろ?」

 「あぁ。効率的だろうな」

 …なんの話だろう?

 「…二人だけで納得してないで私にも説明してよ」

 「えっ?」

 私の言葉に桜井君が急に慌てだした。

 「橘、椎名さんに説明してねーのか?」

 溜息をついて呆れている。

 「あぁ。今日は僕だけだと思ってたからな」

 蓮君の言葉に桜井君がまた深い溜息をついた。

 「…あっ、えー。…今日は教授から研究室の希望者を募ろうかって話をするつもりだったんすよ。それで…」

 「悪い。遅れた!」

 声のする方向を振りむくと、快活な教授が立っていた。


 「桜井!話が早いな。それに比べてお前たちは…」

 教授が溜息交じりに私と蓮君を見る。

 「誰からも慕われていないなんて、なんのためにその頭が付いてるんだ?」

 …酷い罵倒だ。

 「いや教授。今日は話だけってことではありませんでしたか?」

 「いや橘。お前たちの推薦で研究員を増やすとは前から言っていただろう?少し頭を回せば何人か連れてこようかと、気を使うことも出来たはずだ。自分の人望のなさを棚上げするな」

 蓮君の反論を教授がねじ伏せた。

 …普通、これだけ理不尽なことを言われれば怒ると思う。

 「ですが僕は医学部で、他の学科の下級生とは縁がないのですが…」

 「同じ学科にもいないだろ。…いや、そう言えば最近はいるのだったな」

 教授が意味深な言葉を残す。

 「まぁ、そうですが…。それより、本題に入りましょう。せっかく有能な桜井が人を集めてきたんです」

 蓮君が大人しく座っていた二人の女の子に話を振った。

 「あぁ、そうだったな。…お前たちは?」

 さっきまで愉快そうだった教授が急に眼の色を変える。

 「梅野でーす」

 「富樫、です」

 「名前なんてどうでもいい。学部は?」

 教授が威圧するように二人に尋ねた。

 …これだ。

 教授の研究室の人間が少ない理由…

 そう言えば、蓮君の時も桜井君の時もこんな感じだった。

 「経済学部です」

 「薬学部…」

 二人とも完全に委縮してしまっている。

 「梅野は駄目だ。富樫、来週までに椎名の論文の感想と、幾何数学が薬学にどう応用できるかをまとめた紙を、箇条書きでいい、いくつか提出しろ。それで判断する」

 「ちょっと待ってください!」

 そう言ったのは、さっきまで桜井君にべったりだった梅野さん。

 「何で私は駄目なんですか!」

 「お前は分野が違い過ぎる」

 「雅君だって経済学部です。何で私だけ…」

 「見どころがない。どうせ落とすだろうからお前の手間を省いてやったまでだ。…まぁ、どうしてもと言うのなら見てやる。さっき梅野に伝えた内容を来週までに提出してもいいぞ?」

 …。

 なんでこんな喧嘩腰なんだろう?

 「…課題は公平に見て下さいね?」

 梅野さんが恨めしそうに教授に言う。

 「無論だ。…まぁ、そう言うことを真っ先に疑うところが魅力がないのだがな」

 場が険悪なムードになる。

 「…よし、分かった。なら、提出した内容は橘に判断させよう。それなら公平だ。私は橘の意見に従う」

 「えっ?」

 そう言って蓮君が素っ頓狂な声を上げた。

 「何で僕が?」

 「お前はこれからいつでもここを自由に使っていい権利を与えてやる。プライベートルームが増えたと考えればいい取引だろう?」

 「結構です」

 「なら追加でバイト代を出そう。事務部でやってるヤツの三倍出してやる。…どうだ?」

 また知らない話…

 「…それならいいですけど」

 「よし、決まりだ!完成したら桜井に渡せ。合否は桜井を通じて知らせる。以上だ」

 梅野さんと富樫さんを追い出すように退出させた。


 「はぁ。…桜井、見る目ないなお前」

 教授が落胆するように、桜井君に言う。

 「あんな態度なら誰だってあーなりますって」

 「お前たちはヘラヘラしてたじゃないか。…誰だってああなるとは限らない」

 いつもの教授に戻っていた。

 「…二人ともあんな雰囲気だったの?私の時とは随分違うわ」

 私は確か二年生の頃、教授に声をかけられて、ここに連れて来られた。

 いくつか質問に答えて、そのままここに所属することになったような…

 「僕もあんな感じでしたね。…桜井の時はもうちょっときつかったよな?」

 「あぁ、泣きそうだった。…いや、実際あれは泣いてたね」

 「嘘つくな。私はいつも優しいだろ」

 三人の問答を見守る。

 「…そう言えば教授。なんで椎名さんに後輩を紹介させなかったんすか?事情すら伝えてなかったみたいっすけど」

 桜井君が教授に尋ねる。

 …そう言えばそう。

 ここでは私が最上学年なのだから、私にも言ってくれればいいのに…

 「適材適所だ。椎名にそんな高度なこと期待してない」

 教授が愉快に笑うと、なぜか二人とも納得したようにつられて笑った。

 …失礼だ。


 ゼミの人員問題は、桜井君を主力にかき集めると言うことで決着がついた。

 話が一通り終わると、桜井君は梅野さんと富樫さんのフォローに向かう。

 研究室には私達三人。

 「…教授。何で僕のバイトを知ってるのですか?」

 そう言いだしたのは蓮君だった。

 「あぁ。この前の教員の飲み会で聞いた。…事務員を口説き落としたそうだな?」

 …えっ?

 「いや、人聞き悪いので止めて下さい。誰ですか、そんな下らない噂を流したのは」

 「ただの憶測だ。…でもその事務員は感謝してたぞ?今度お礼を言いに来ると言っていた」

 「結構だと伝えて下さい。…どうせその方もいらしていたのでしょう?」

 「あぁ、分かった。だがそう言っても来ると思うぞ?」

 「…もういいです。それより、僕のバイトは一日5千円です。さっきの話、忘れないで下さいね?」

 「分かってる。2人分で3万だな。今渡す」

 教授が財布から三枚の一万円札を蓮君に乱暴に渡した。

 「…何で僕なんですか。椎名さんに頼めばもっといい結果になると思いますけど…」

 「だから適材適所だと言っただろう?椎名はなんだかんだ言って他人に甘い。それに椎名にはこれから本格的に私の助手として働いてもらうから、そんな学生の相手をしている暇なんてない」

 「…どういう意味ですか?」

 …。

 「なんだ言ってなかったのか?…まぁいい。本人から直接聞け」

 私は行く、と言って教授は研究室から出て行ってしまった。


 研究室で二人きり。

 あの日ディナーの気まずさが残り、思うように言葉が口に出ない。

 …。

 私から話さないと。

 「「あのっ」」

 蓮君と言葉が重なる。

 「…何?」

 「椎名さんから先に」

 「「…」」

 また沈黙…

 …もう。

 「私、院に進むことにしたの。裏の話だけれど、合否ももう決まってる。だから…」

 来年度もこの研究室で一緒ね、とは言えなかった。

 「あぁ、そうだったのですか。向いていると思いますよ」

 蓮君は無表情で私に言う。

 …向いている、か。

 「僕も椎名さんのおかげでこんな名門大学に入ることが出来ましたからね…。研究者になるにしろ、大学教授になるにしろ、椎名さんは学問に携わるべきでしょう」

 …思いがけない言葉だった。

 まさか、そんなことを今も覚えてくれていたなんて…。

 「…蓮君」

 「何ですか?」

 私のなんの意味もない呼びかけに、蓮君が反応する。

 …。

 「…私、やっぱり蓮君のことが諦められそうにないわ。蓮君は心変わりしていないの?」

 「はい。きっとこれからもないでしょう」

 …。

 「…そう」

 蓮君は困り顔ながらもそう断言してくれた。

 …そう。

 きっとこれは誠意。

 蓮君なりの優しさなんだ。

 きっと長い時間をかけても、身を預けても、それでも蓮君には響かない。

 …私にはもう一縷の望みもないんだ。

 どんな手段を使っても…

 …簡単には割り切れないなぁ。

 …。

 「…分かった。しつこくてごめんね」

 思わず目が潤む。

 …駄目だ。

 ここで見限られたら、きっと今のままの関係ですらいられない。

 もう恋仲ではいられないとしても、私は頼れる先輩ではありたいのだから…

 「謝ることではないです」

 蓮君がぶっきらぼうにそう言うと、時計を確認して去って行った。



 心の整理をつける。

 やはり、蓮君とはもうやり直せない。

 …今まで私が彼を振り回したんだ。

 彼が好きで告白して、彼の嫌な所を見て拒絶して、彼に助けられて見惚れて…

 …きっと私は、蓮君を忘れなければならない。

 今すぐには出来ないけれど、きっといつかは…

 堪えていた涙が零れる。

 「…そっか」

 私はもう、どうあがいても駄目なんだ。

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