隠せないな、もう
アイツは保護者気取りで私を守っていたらしい。
まぁ、よく考えれば震災があったあの日も、曲りなりには救ってくれていた。
今回は殺人を犯してまで…
きっと相当焦っていたのでしょうね。
イカれたストーカーに狙われていたわけだし、恋人?を殺されたわけだし…
それにお金の工面まで…
男の妙なプライドなのか分からないけれど、私に秘密にしてまでこの生活を維持したかったみたい。
…言ってくれれば私だって節制したのに。
「なぎ、味の確認お願い」
鍋を混ぜるアイツが私に言う。
「今、手が離せないの。見て分からない?」
野菜を切っているんだから自分でやってよね…
そう言われたアイツは、眉を潜ませて「あぁ、そうか」と呟いた。
「僕、入院してから無味覚症になったんだ。頭を打ったのが原因らしいんだど…」
アイツが笑顔で頭を撫でる。
「…ってことでお願い。ネギは僕が切っておくから」
そう言って私から包丁を丁寧に奪い取った。
「…ねぇ」
遅めの夕食を食べているアイツに語り掛ける。
「何?」
黙々と作ったうどんを啜っている。
「味がしないってどんな感じなの?」
何でコイツはこういう重要なことを言わないのかしら…
「うーん、どうだろ?…噛んだガムを食べてる感じかな?」
想像して少し吐き気を催す。
あの不快感を今までずっと続けていたの?
誰にも言わずに?
「…アンタ、それで最近痩せてきていたの?」
「ん?そんなことないと思うけれど…。体重計なんて家にあったかな…」
アイツが襟を引っ張って自分のお腹を覗き込む。
「…どうするの?何なら食べられそう?」
やっぱりお粥みたいなのがいいのかしら…
「いや、どうするって…。別に今のままでいいでしょ。どうしようもないし、そもそも困ってないしね」
アイツは気抜けた顔で私を見る。
「…何で言わないのよ」
言えば私だってそれなりの配慮もできるのに…。
楠本って子の事件だって、私に相談すれば少なくとも殺す必要なんてなかった。
どこかに引っ越すなりして逃げることも可能だったはず…。
アイツに目を向ける。
「これからは隠し事はしないよ。たとえ僕に不利益な情報でも伝えると約束する」
美味しくもないはずのご飯を笑顔で食べるその姿に、不安が残った。
「アンタ、休日くらいは休んだ方がいいわ」
二人で皿を洗いながら、ふと呟いた。
「…何で?僕は別に平気だよ?」
隣で私の洗った皿を拭きながら、アイツはまだそんなことを言っている。
「無理よ。アンタ、鏡を見たことないの?」
夏休みの時に比べてアイツは大分やつれてきた。
自覚はないのでしょうけれど、やっぱり無理をしてきたのね。
足だって、言っていなかっただけで本調子ではないらしいし…
「神様だって日曜日は休んだのよ?アンタにはおこがましいわ」
アイツの宗教なんて知らないけれど、適当な言葉を引き合いに出す。
「…」
また黙る。
「私も最近暇なの。週一回くらいは相手しなさい」
そんな気は毛頭ないけれど、そうでも言わないとアイツは休みそうもない。
…少しくらい私の自由がなくなっても仕方がないわ。
アイツを見ると、大きい目がさらに開かれていた。
「ははっ。…そうだね。それなら、日曜日くらいは休もうかな…」
隣人には愛されたいしね、とアイツは笑顔でそう言った。
「もう少し近寄りなさい。落ちちゃうわよ」
私とアイツの間にはもう一人眠れそうなくらいの溝がある。
「いや、なぎが嫌がるかなって…」
「私から言い出したの。…別に初めてってわけじゃないでしょ」
楓さんって綺麗な人と淫らな関係だったらしいし…
そう言うとアイツは恐る恐る近寄った。
「…変な気を起こしたら殺すわよ」
「しないよ。…なぎこそ、僕は明日も早いし相手してあげられないよ?」
「はぁ?」
思わず声を荒げてしまう。
「ごめんごめん。冗談だって」
反対側に向けていた体をこちらに向けた。
「…」
コイツの冗談は面白くない。
私が黙ると、アイツは申し訳なさそうに体をあちらに向けた。
背中合わせでベットに眠る。
2、3分もすると、アイツの寝息が聞こえてきた。
少し体が動いて体を丸める。
自分の体を抱えるようにして眠っているアイツは、それからも寝返りもうたずに静かなまま…
私が寝返りを打つと、アイツの背中が肋に当たった。
隣を見ても、アイツは相変わらずそのまま寝息を立てている。
その顔は見えない。
触れ合った部分から僅かな体温を感じる。
「…なんで」
不思議と思ったほどの不快感がなかった。
アイツを思って提案したことだけれど、私は自己犠牲の思いが強かった。
…気まぐれ。
コイツも頑張ってるし、少しくらい私も我慢してあげようって思っただけ…
…なのに。
「…なんなのよ」
アイツは私にとってなんなのよ…
そんな言葉がずっと頭を巡った。
目が覚めると、アイツはもういなかった。
急いで体を起こして、時計を見る。
…寝過ごした。
パジャマのまま寝室を出ると、キッチンにはアイツがいた。
「おはよう。…よく眠れた?」
顔色がいいアイツが笑顔で挨拶してくる。
「…いいえ」
起こしてくれてもいいじゃない…
「いやー、久しぶりによく眠れた気がするよ。なぎのおかげだね」
朝からテンションの高いアイツについていけない。
普段は逆だったのに、今日は私が寝不足。
…むかつく。
テーブルにはすでに焼かれたパンが置かれていて、アイツは付け合わせのスクランブルエッグを焼いていた。
「…」
眠くて話す気もしない。
…きっと、アイツもそうだったのね。
「はい。出来たよ」
テーブルに朝食が並んだ。
「…頂きます」
スクランブルエッグを口に入れる。
見た目は普通で私が作ったものと大差がない。
まぁ、アイツから習ったのだから当たり前だけれど…
「…少しだけ甘いわね」
自分が作るよりも、僅かに甘い。
アイツはあまり甘いものを食べないから、やはり…
「やっぱり?いつもやってたから、出来ると思ったんだけど、無理だったね…」
アイツも自分の作ったスクランブルエッグを食べた。
「…どう?」
私が作ったものでもないのに感想を促す。
「うーん。…分からないね」
アイツは二口目に手を伸ばした。
「たまにはなぎを休ませてあげようと思ったんだけど…。かえって無駄になったね」
アイツはそう言って黙々と食べ続けた。