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Double bind  作者: 佐々木研
物語も半ばを過ぎて
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Feel so good

 「…来週も?」

 アイツは来週もこんな朝早くから大学に行くらしい。

 研究が終わってからはしばらくのんびりした生活だったけれど、アイツはさらに忙しくなった。

 夕飯時にはもうウトウトし始めて、食べながら寝てしまうこともある。

 …まるで子供ね。

 自分の体力も分からないのかしら?

 「これから毎週ってことになったんだ。だからなぎの相手も出来そうにない」

 まるで私が相手して欲しいかのような口ぶりね。

 そんなこと、いつ頼んだかしら?

 「そう。いつも通り夕飯を用意しておけばいいのでしょう?」

 「うん。面倒だったら別にいいけどね」

 「1人分も2人分も変わらないわ。…材料も私が買いに行っていいのよね?」

 「うん、なんでもいいよ。…でも」

 アイツが言葉を溜める。

 「この家から出て行くなら、せめて一言言ってくれると嬉しいかも」

 その笑顔からは疲労感が隠しきれずに滲み出ていた。



 肌寒くなり、衣替えの季節。

 慣れていない都会のショッピングモールは人が多かった。

 今年は大震災で多くの人が亡くなったにも関わらず、世間はそれを忘れて人生を謳歌している。

 …当たり前ね。

 辛いことは早めに忘れたいだろうし、そもそも、自分の身に降りかかったことでもないのだから辛くもない。

 私も被災の影響を受けているけれど、その時の記憶は薄れつつある。

 逞しいのか、愚かなのか…

 後ろばかり振り返るのは愚かだという者もいれば、愚者は歴史から何も学ばないという者もいる。

 何が正解なんだろう…

 時と場合によるなんて分かり切ってはいるけれど、少なくとも正解はあるはず。

 私の現状にも…

 掛けられた服を手に取り、値札を見る。

 …1万4000円か。

 高い。

 これは少し、手が伸びないわね…


 冬服やコートを買って、帰路に着く。

 冬服を買うなんて、アイツとの関係がこれからも続くと見越している気がして複雑になるわ。

 …でも、これが最適解のような気もする。

 女が社会的に高い地位につくことは難しい。

 一般的に、出産がある女は社会から離脱する時期があるし、会社としては責任の多い仕事を任せるにはリスクが伴う。

 当然、出世もしにくいでしょう。

 女自身も、『結婚して仕事を辞める』という謎の共通目標があるのだから、当然の結果と言えばそう。

 …。

 私達『女』は生まれながらにして、他者に依存しなければ裕福な人生を送ることは難しい。

 寄生相手を間違えれば貧しい生活を強いられるし、かと言って裕福な相手と結婚しても、人生には弊害はあるでしょう。

 性格が良くても金がない人もいれば、お金があっても正確に難ありの人もいる。

 そう考えれば、私のお母さんは前者で、今の私は後者。

 最も、お母さんの相手は性格的にも経済的にも難がある奴だったけれど…

 アイツの顔が思い浮かぶ。

 …この半年、アイツは私に危害を加えていない。

 確かに害が全くないというわけではないけれど、二人で生活していれば起こりうる些末なことばかりで、実害というほどではない。

 ここまで共に過ごせば、信用できないと断言するほどの人間ではないことは分かる。

 …確かに、最初の出会いは最悪だった。

 気絶した私を誘拐して、拘束して、監禁して…

 …でも、それだけ。

 不運にも私は誘拐されても困りはしなかった。

 拘束されても、監禁されても、今の恵まれた環境を与えられれば惨めに尻尾を振る貧者の1人。

 …アイツからしたら幸運なのでしょう。

 被害者が被害を受ける前から被害者だったのだから…

 …。

 ん?

 私の身の上ってアイツに話したかしら?

 記憶を遡る。

 「…はぁ」

 そう言えば、年齢も名前も、境遇も心情も、アイツには何も話してない。

 …。

 よくアイツは見知らぬ人間の前で眠れるわね…

 肝が据わっているのか、単純に諦めが早いのか、それとも、ただの間抜けなのか…

 …。

 あの時の言葉を思い出す。

 アイツが全身に怪我をして、私を解放したあの日。

 『出て行って構わない』か…

 そう言えば、最近のアイツはどこか投げやりな雰囲気だったわ。



 虚ろな瞳で食事を摂るアイツ。

 面倒そうな顔で食べ物を口に運んでいる。

 少し前は美味しいと言ってくれていたけれど、最近はめっきりない。

 別に言って欲しいわけではないけれど…

 「…ねぇ」

 いつも通り、私から話しかける。

 「何?」

 眠そうな目を擦って作り笑顔になった。

 「アンタ、最近何してるの?」

 「…大学で勉強だよ。最近、成績が下がっちゃってね」

 頭を掻きながら笑う。

 …その言葉が出るまでに数秒の間があった。

 「そんな根を詰める必要なんてあるのかしら?」

 ゴミ箱にあった通知表を見たことがあったけれど、なかなかな成績だったような…

 医学部94人中、11位。

 だいたい上位10%…

 日本でトップの大学の、その中でも最高難易度である学部でさらに上位。

 欲張りにもほどがあると思うけれど…

 「詰めてないよ。だから僕の心配より自分の心配をして」

 アイツは食事を終えると、空いた食器を持ってシンクに運んだ。

 ポケットから煙草を取り出して、換気扇を回す。

 「…いい加減やめなさいよ。一箱だけじゃなかったの?」

 煙が換気扇を越えてリビングにまで漂ってきた。

 「そうだね」

 私の言葉を肯定しながらも、アイツは口に手を運ぶ。

 「…何で吸ってるんだろ?」

 アイツはそう言ったまま宙を眺めて黙ってしまった。

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