ひたすら心に檸檬を抱いた
9月も半ば。
アイツはまた忙しくなった。
高校生かと思うくらい朝早くから大学に行って、帰ってくるのは夕方頃。
実習も始まったみたいで、帰りが20時を回ることもしばしば。
私の家は、再び静寂と安寧が約束された。
休みにはアイツはずっと家にいるけれど、それさえ耐えれば後は悠々自適な生活を送ることができる。
…でも。
私の生活は警察が来る前と後では何も変わらない。
朝、アイツよりも早く起きて朝食を作って、アイツが帰ってくるまで勉強をして、チェスをしたり、テレビを見たり、夕飯の準備をしたり…
スーパーへの買い物も、気付けば私の仕事になっていた。
アイツは何の躊躇いも見せずに財布を差し出して…
「…どうかしてるわ」
ベットの下に隠した封筒の中身を見る。
…。
少しずつ抜いたお金は、もう一万円ほどにまでなった。
「今週の金曜日は夕飯いらないよ」
夕食の最中、アイツがふと呟いた。
…。
珍しいわね…
「そう。…飲み会?」
興味はないけれど。
「うーん。まぁ、そんな感じ」
…どうやら違うらしい。
「そう言えばアンタ、火曜日に出かけなくなったわね」
一時期は毎週のように出てた気がするけれど…
「あぁ…。…まあ、ね」
アイツは歯切の悪い曖昧な返事をした。
「…何?別れたの?」
確か椎名って女とは終わっているって言っていたから、きっと別の人なんだろうけれど…
アイツの顔を見る。
「まぁ、そんなところだね」
しおらしい態度は珍しいわ。
「その人もきっと、アンタの異常性に気付いたのね。よかったじゃない」
その方が相手も幸せね。
普段とは逆に、私がアイツを馬鹿にする。
たまには私の憂さ晴らしに付き合ってもらおうかしら。
「…そうだね」
アイツはそう言ったきり口を開かなかった。
9月30日。
今日、アイツは帰って来ない。
…夜に一人きりなのは久しぶりね。
いつもは妄想で済ませていたけれど、私はあまり想像力が豊かではない。
スマホの扱いにも慣れたし…
リビングのソファでの行為は、緊張感と背徳感があってたまらない。
おあつらえ向きな動画を見つけ、ソファに寝そべって…
…。
…アイツの匂いがする。
勢いよく体を起こす。
疲れて眠ってしまったみたい。
…えっ?
毛布…
時計は朝の5時を回って止まっていた。
リビングを見渡す。
…はぁ。
「起こせばいいじゃない…」
テーブルに突っ伏して寝ているアイツが、静かな寝息をたてて眠っていた。