消せない罪は痛むけれど
デスクの中に仕舞っていた手紙をもう一度開く。
差出人の名前はなく、宛名には『楠本青紫郎様』と
『貴方の娘は殺人鬼だ。証拠は同封したCDを聞けば分かる。私は菊花とは同級生で仲が良かったから分かるが、菊花は異常だ。彼女には今、想いを寄せている人がいる。しかし相手には恋人がいて、それを好ましく思わない彼女は、暴力団に属する人達と懇意になって、その恋人を殺した。送付したCDは菊花と非合法な人との会話を盗聴したものだ。信じるかどうかは貴方に任せるが、目位は通した方がいい。なるべく一人で聞くことを勧める』
手紙はここで終わっていた。
手紙の文字は雑誌か何かの切り抜きでしたためられており、筆跡は分からない。
『あの女はね?ずっとてーこーしてたの!イヤだよねー。しつこい女ってさぁ。お腹を刺してもずぅーっと暴れたんだよ?だから押し倒して馬乗りになったの。…知ってる?お腹に穴が開いてる人の上に座ると、ブクブク泡が出るの。泡の出るお風呂みたいにねっ。●●君に触れた指もていねーにていねーに切ってさー。そのたびに気持ち悪い声を出すの!あーやだやだ。汚い手で、指で、唇で、●●君の体を汚す楓って年増っ!!思い出しただけもイラついてきちゃった!!』
CDの内容は数日前、近隣で萩原楓を殺したこと、他の誰かを殺そうと嬉々として計画しているものが、菊花の声でしかと入っていた。
…にわかには信じがたい。
だが、娘の異常性には心当たりがあった。
菊花が小学生のころ、大切にしていた人形を友達に取られて喧嘩になり、その子の手に鋏を突き刺してしまったことがあった。
菊花は『わざとじゃない』と泣きじゃくって、友達やその両親に謝り続けていたが、友達の家から出た直後にはその涙は止まっていた。
人を傷つけたことを叱っても菊花は「私の物を取る方が悪い。取らなければ怪我しなかったのに」と言って、私の言葉に聞く耳を持たなかった。
その時の顔は今でも度々思い出す。
妻が菊花のお茶碗を割った時、携帯の弄りすぎで取り上げた時、娘のシャンプーを誤って使ってしまった時…
菊花は自分の大切なものを奪われることを極端に嫌い、取り返すためならどんな手段も厭わない性格の子だった。
それがたとえ自分の物ではないとしても、あるいは…
…もう一枚の手紙を開く。
『ここ最近の菊花さんは、想い人の恋人を殺すために暴力団の人間に接触を図っていた。私は心配で、放課後の彼女を尾行した。彼女は廃屋で、見るからに怪しい男達と密談をしていて、その話を聞くと、どうやら彼等は貴方からお金をせしめるために狂言誘拐をするらしい。これが明るみに出れば、貴方は社会的な立場を失うし、菊花にも重罪が課されるだろう。それは私も好まない。…私は菊花が好きだ。少し怖いところもあるが、優しくて一途で、真面目なところもある可愛い子だ。…どうかこの事を穏便に済ませて欲しい。…これは私からの願いだ』
…手紙はこれで全部。
届いた日はこれを与太話だと一蹴していたが、今ではそうとは思えない。
実際に菊花は誘拐され、その亡骸は仲間割れの末にリンチに遭ったとしか思えない姿で発見された。
…思い出しただけでも惨い。
もはや、この話を信じるしかないのか…
…菊花は人殺しに加担し、その費用を狂言誘拐で賄おうとした。
しかし菊花の仲間達は警察の介入に気付き、交渉場所から逃げ出して、娘は口論の末に殺された。
…。
なんでこんなことになってしまったんだ…
私の育て方が間違っていたのか?
…。
…。
妻は手紙の内容は知らず、菊花の死を悼んでいる。
…言えないな。
これ以上の重荷は背負わせられない。
…。
ライターで火を灯す。
手紙はゆっくりと炎に侵食されていった。