五 シンガポール
英領マラヤ、シンガポール
シンガポールの最高地点はブキテマ高地の北の峰であるが、百七十七メートルしかない。その南から発するシンガポール川の流れはゆっくりで、下流では淀んでいるかのようだ。東の河口から最初の湾曲部ボートキーの南岸がラッフルズの上陸地とされる。次の湾曲部がクラークキーで、荷揚げ用の桟橋と倉庫が立ち並ぶ。上流部はリババレーと呼ばれ、川の長さはおよそ三キロである。
クラークキーを出た六台のトラックは西のリババレーに向かっていた。日は傾いていたが、日没まではまだ二時間もある。暑い。トラックが止まった。柳井は、荷台から降りて収容所の門をくぐる。立哨のインド兵は捕虜の群れに無関心だった。すでに腕時計は奪いつくしたからだ。同じように日本兵の方も無関心だ。疲れ切っている。朝からずっと荷物の積み下ろしだった。昼の休憩は三十分しかなく、そして今日も昼食はなかった。
ぞろぞろと進む百名あまりの列、それが突然詰まって柳井は前につんのめりそうになった。先頭が停止したらしい。顔をあげるとリババレー収容所第八中隊長が立っていた。
「第八中隊作業隊、点呼」
作業隊長の伍長がびくりとし、前に出ると号令をかける。
「番号!」
くたくたの作業隊員はあきれたが、それでも自分の番になると大声を出す。点呼が終わった。
「第八中隊作業隊一一八名、全員帰営しました」
「ご苦労だった。作業隊には特別給与がある。各自受領せよ」
「はっ、ありがたくあります」
驚いたことに、本当に机の上に箱があった。チョコレートが一人に一個、まるまる配られる。作業隊員は、すぐに食べはじめた。それから気がついて、中隊長に敬礼する。少尉は嬉しそうに答礼した。
リババレー収容所の日本兵は、まとまった部隊ではなく、英軍の上陸時に居合わせた者たちを集めたもので、所属や原隊はバラバラだった。英軍の管理の都合で二百名の中隊編制としてあるが、階級も兵科も考慮しない並んだ順という乱暴なものだ。士官も下士官も不足で、何より英語を解する者がいなかった。柳井は英軍の要求でマラヤ軍政総監部総務部から派遣されて来た。もう二ケ月になる。
日本がポツダム宣言を受諾した時、南方総軍はビルマ方面の敗勢を受けて海峡部の防衛を固めている最中だった。マラヤ軍政総監部は第二九軍司令部と同じ、ペナンの南西のペラ州タイピンにあった。軍はここから半島山岳部に拠点を置くつもりであった。第七方面軍直轄のシンガポールでは、防衛兵団で決戦を行うべく兵糧弾薬を備蓄していた。
シンガポールは陸海軍の兵站の要で連絡交通の結節点だったから、各級の連絡事務所や倉庫がいくつもあった。降伏となれば出先の兵隊は原隊に復帰しなければならないが、後の管理のために少数を留める。それらの残置された兵隊が集められ、十人、二十人の塊にされ、端から収容された。なにしろ、言葉が通じない。同じ事務所や倉庫の者も、僅差でばらばらにされたらしい。
柳井はポケットの中で特別給与を確かめながら自室に向かう。米軍の軍用チョコレートは、これぐらいの暑さで溶けることはない。柳井はギュッと握りしめる。それから笑った。さっきまで死ぬほどと感じていた暑さが、これぐらいまで格が下がる。食い物に余分ができただけで現金なものだと自嘲した。
部屋には同じ軍政総監部から派遣された黒木と矢田部がいた。なんだか表情が明るい。柳井が微笑みながらチョコレートを見せると、二人は笑った。
「特別給与は柳井くんのものだよ」
「それよりも、柳井さん。聞いてください。話が通ったんです」
「これから部屋替えだ。さ、早く」
柳井は面食らった。
「何のことです。訳を話してください」
「昼間、総司令部の参謀が連絡に来ました。英軍司令部が南方軍の言い分を容れてくれるようです」
「やっと、部隊編制に戻る。軍医や衛生兵も派遣される」
「ほんとですか。今日はいいこと尽くしだ」
仏印の南方軍総司令部からは、参謀総長や参謀が南方各地の収容所を視察して廻っていた。特にシンガポールは、東南アジア連合軍最高司令部があって頻繁に訪れる。南方軍は連合軍に、日本兵の処遇や収容所の改善について再三にわたり要請した。柳井も連絡の参謀に一度会ったことがある。彼によると、リババレー収容所はまだいい方、ビルマや蘭印の収容所は劣悪で食事が出ないところもあるらしい。
東南アジア連合軍の主力である英軍は、降伏した日本軍将兵をJSPと称し、戦闘時の捕虜であるPOWと明確に区別して扱った。Japanese Surrendered Personnelは、降伏を受け入れ自主的に武装解除した自分たちにふさわしいと日本兵は解した。Prisoners Of Warではまさに虜囚で受け入れ難い。英軍の方針は最初、歓迎された。しかし、これはジュネーブ協定の捕虜待遇規定を免れようとする英軍の策略だった。
東南アジア連合軍の管轄はインド・ビルマ・タイと英領マラヤであるが、七月になって蘭印と仏印が追加された。八月下旬に計画していた海峡部上陸作戦ジッパーは不発に終わった。日本がポツダム宣言を受諾したからである。マウントバッテン最高司令官は、雪辱の機会を失って残念であったが、反面で安堵もする。しかし、終戦処理の課題は大きかった。
この時、管轄内には七十万以上の将兵と五万を超える民間人、合わせて八十万近い日本人がいた。降伏と同時に、敗戦国将兵に対する全責任は戦勝国に移る。全員を管理統制し、食糧を給与し、日本本土に送還しなければならない。さらに、占領下だった東南アジア全域の復興の責任も連合国に移る。仏蘭は、ともに本国が戦場になって疲弊しており、当分の間は派兵できない。英軍だけで進駐しなければならなかった。
POWであれば丁重に処遇する必要がある。脱走を義務とする将校を兵士と区別して厳格な監視下におかなければならない。戦闘で破壊された道路や設備の復旧作業に雇用する際は、階級と作業に応じた賃金を支払う義務がある。これでは負担が大きいから、本国政府と陸軍省が指示して来たのがJSPである。JSPであれば、管理と維持を日本軍の責任に転嫁することができる。将校も兵士も区別する必要がない。賃金を支払うことなく労務を指令できて、拒否する者の射殺も可能となる。
東南アジア連合軍最高司令部は、南方軍総司令部に対して、日本人を『管理下にある降伏者』、『管理下にない降伏者』、『戦争犯罪者』の三つに分類すると通達した。『管理下にある降伏者』は、憲兵、特務機関員、情報員と戦犯の容疑者で、尋問の必要があるから拘束して管理下におくのである。『管理下にない降伏者』は、『戦争犯罪者』以外の全日本人であり、軍人・軍属・民間の区別も、将校・兵士の区分もない。
降伏文書署名から一ヶ月も経ってからのこの通達に、南方軍総司令部は驚き、慌て、そして猛烈に抗議した。しかし、連合軍は降伏文書の『すべての連合軍の指令に従う』の条項を形にとって、一切の抗議を容れない。総参謀長の沼田中将は徒労に終わるとわかっていても、頻繁にシンガポールを訪れざるを得なかった。そして、マウントバッテン提督は最高司令官として、英軍の負担を軽くする責務がある。
シンガポールの政庁や公機関は、ボートキーの北岸から北東に延びるノースブリッジロード沿いに集中してある。アデルフィホテルはコールマンストリートとの交差点にあり、シンガポール川からはすぐで五百メートルもない。その三階の貴賓室で、二人の軍人が熱心に議論している。英軍大尉はマイク・アンドルーズ、中国軍中校は甘粕正彦だ。
「まったく。米国人を中心に作戦計画した意味がない」
「根本中将は義勇日本兵を前線に出すべきと警告した」
「却下したのはエデマイヤー将軍のスタッフでした」
「彼らが中共に通じていたとなればな」
中国共産党が中国政府の中枢まで浸透していることを前提にして、延安包囲作戦は米軍内で立案された。義勇日本兵が戦闘に加わったのは包囲作戦の後、掃討戦に移ってからだが、後方支援ばかりだった。疑問を感じた根本中将は上申したが、なかなか上まで通らない。エデマイヤー少将が知ったのは、一〇月も終わろうという頃だ。尋問が終わって拘束を解かれた秋草少将が、特務機関復活の必要性として伝えたのだ。
「ディキシーミッションを率いたバレッド大佐ですね」
「政治分析担当のサービスが首領だろう」
日本が米英に開戦すると、米国は中国・ビルマ・インド(CBI)戦域米陸軍を創設し、その司令官と同時に東南アジア連合軍副最高司令官としてスチルウェル将軍を任命した。劣勢が続く中でスチルウェルは蒋介石の戦争指導と国民党軍の戦闘能力に幻滅し、中国共産党との直接協同を望むようになった。国務省から派遣されていたサービスは本国に具申を続け、実現したのが米陸軍視察団、通称ディキシーミッションである。
「ミッションの派遣を決裁したのはウォレスだ」
「スチルウェルの解任もその時に決まった。これは政治です」
蒋介石もスチルウェルの離反を察知しており、ルーズベルト大統領に解任を要求した。昨年六月、ウォレス副大統領が蒋との直談判に派遣された時、問題は拗れて深刻化していた。中国政府内の対立は米国大使館と米軍にまで波及し、分裂して反目し合っていたのだ。ルーズベルトは、次に個人特使のハーリー少将を送り込んだ。視察団の報告を待って、国共合作と米共協同を判定するためである。スチルウェルの後任はマウントバッテンの参謀、エデマイヤーに決まる。
「サービスは中共を称賛し賛美する報告書を送り続けた」
「バレッドも国民党軍の腐敗と堕落をレポートし続けました」
「だが、ハーリーもエデマイヤーも軍人だ」
「政治よりも軍事を優先させたのです」
党教義の理論や洗練度、中共軍の清廉や公平性などは戦闘に何の関わりもないことを、二人の将官は熟知していた。軍隊と将兵は作戦の巧拙、戦技の練度、何よりも実戦の内容で判断されるべきだ。そして、二人は知った。中共軍には目立った戦績がない。最後の大規模戦闘は百団大戦で、三年以上も前だった。決断は下された。
「国民党軍が華南やビルマで苦戦している間も、中共軍主力は温存されています」
「戦塵を浴びていない軍隊はさぞかし清廉潔白なものだろう」
秋草少将は帰国を望まず、中国居住希望者として義勇日本兵に応募した。身分と待遇は、甘粕が用意してある。根本中将らと共にエデマイヤーのスタッフとして雇用された。秋草は、まず居場所の掃除から始めた。上官や同僚となる米軍将校や米外交官の素性や行動の調査である。ハーリーとエデマイヤーが求めたエビデンスとプルーフは早いうちに得られた。
「エデマイヤーも配下の部隊に探らせていたはずです」
「AGFRTSは諜報部隊ではなく特殊部隊だ」
CBI戦域米陸軍の主力である第14空軍は、米国人義勇部隊のフライングタイガースを改編増強したものだ。空輸した兵糧弾薬を中国軍と米軍とに分配するために空陸軍資源技術部隊を持っていた。空軍出撃時の直接支援、すなわち戦地周辺の情報収集や航路支援、不時着時の乗員救出も行う。タイに進出した米統合参謀本部戦略情報局との交流はあったが、情報員はおらず、なにより部隊長のバート中佐が中共シンパだった。
「軍人は階級と権限で処断できますが、外交官はそうもいかない」
「ハーリー大使は陸軍長官だったが、国務省では外様だ」
「チャイナハンズの天下です。帰国したデイビスもサービスも出世、逮捕も誤認に終わりそうです」
「そうなのか。大使も将軍も追い込まれたな。なかなか興味深い展開だ」
「しかし」
「ワシントンのアカ掃除より中国だ、在中国米陸軍を独り立ちさせたい」
エデマイヤー少将が、解任されたスチルウェル中将の後任として着任したのは昨年の一〇月だった。戦域米陸軍の司令官として第14空軍や第5307混成連隊などの指揮を執ると同時に、中国国民党軍の総司令官でもあった。中国共産党軍の指揮も依頼されたが、これは断った。日本が降伏すると、米軍部隊はビルマ・インドから撤収し、在中国米陸軍に再編される。
マッカーサー太平洋陸軍総司令官とは微妙な関係にあった。米陸軍の組織上では、在中国陸軍は太平洋陸軍の指揮下にはなく、エデマイヤーはマッカーサー元帥の麾下ではない。しかし東北油田に駐留する二個師団は沖縄駐留の第10軍から分派されたものだ。そして、東南アジア連合軍は、東京の連合国軍最高司令部の指揮下にある。指導という名の指令を無視するわけにもいかない。
指揮系統を明確にするには、指揮下の兵団を東北油田に派遣すればいいのだが、在中国米陸軍にも中国軍にも余裕はない。なにしろ、降伏した日本軍から義勇兵を募るほどなのだ。そして延安包囲作戦は不完全に終わる。その原因が自分の幕僚にあったとなれば、エデマイヤーに手段を選ぶ余地はなかった。
「どうやりますか」
甘粕は腕時計を見る。
「今日はこの辺にしよう。続きは明日だ」
「そうですね」
アンドルーズが立ち上がった時、外で言い争いの声がした。部屋へ入ろうとした日本人をインド兵が咎めたらしい。招待客だと告げ、ビールを申しつける。
日本人は甘粕の陸士同期、南方軍総参謀長の沼田多稼蔵だった。仏印の総司令部で、アンドルーズは会っている。
「来たか、沼田。飲むぞ」
「その前に礼を言わせてくれないか」
「あらたまってどうした。だめだ。戦勝二ケ国が敗戦国の虜囚に酒を奢ってやるんだ。早く座れ」
「ひどい言われようだな、ありがとう」
二人がグラスを空けて煙草を吸いだすと、酔いが回る前にと沼田は首尾を告げる。
「賃金を放棄すると言った途端、前に進みだした。貴様が言った通りだ」
本土送還の船舶を待つ間の労働については南方軍も了解していたが、問題は作業のあり方だった。降伏日本兵を旧編制に戻し、兵団長の指示管理下で行う。食糧や作業目標は一括して受領し、兵団本部が分配し、割り当てる。その南方軍の条件は、無償で自発的に行うのだからと付言することで、ようやく受け容れられた。
「それはよかった。せっかく総司令部や軍政総監部が無傷で残ったのだ。兵隊は軍隊の規律で管理するのが一番だろう」
「うむ。傷病者の手当も自前でやれば、現地に恨まれずに済むからな」
方面軍が集積した物資のうち、一部の食糧と医薬品も返還された。停戦後も歩哨を立てて現地人の強奪から守っていたものだ。
「米国政府やGHQが圧力をかけたというのは本当らしい」
「はい。早期復員が連合国の義務です。日本人全員を送還して現地には残さないという点では、米国も英国も一致しています」
「つまり、八十万人を送還する船舶に目途が立った。意趣返しや欝憤晴らしをやっている暇は英軍にはないのだ」
送還までの日数が決まれば、奪還した各地の復興復旧も無期限でやる訳にはいかない。期限内に完了させるとなると、能率と効率が重要になる。大人数で一気呵成にやるためには、作業目標の工程、作業隊と資材の配置を線表で計画するのが一番だ。各兵団司令部にはその能力があって、軍政総監部は道路設備の損害状況を把握している。自発的に行うとはそういう意味だった。
「日本人を残さないのは賛成だな。脱亜入欧だ」
「しかし、貴様は中国軍の軍服を着ているではないか」
「甘正文中校だ。今回は英軍司令部に頼まれて日英通訳兵を二十人も引率して来た」
「半分は甘粕機関員なんだろ」
「今は中国人だ、何の問題もない。そのうちに満州人になる。あるいは蒙古人かもしれない」
「再独立か、そいつは愉快だ」
甘粕は煙草を消して、沼田に向き直る。
「くれぐれも、独立運動には深入りさせるな。仏印も蘭印もどこもだ。脱亜入欧をやり直すのは今しかない」
「政府の方針は竹林からくどいほど聞いている」
「中共の幹部工作員が東南アジアの各地に散っています。独立運動は、さらに激しくなります」
沼田は深く頷いた。