三 張家口
中華民国、察哈爾省張家口市
張家口市は長城の大境門の内側にあり、東西北の三方を険しい山に囲まれていて、京張鉄路は南から敷かれている。北山の切れ目から市内を南北に貫く清河は洛北まで流れる温楡河の支流で、張家口駅はその東岸の新市街にあった。男は背嚢を背負い、左右に雑嚢を提げると、駅前広場を出て西に向かう。通りには日本語の看板が掲げられた商店が多いが、男は店には寄らず、橋を渡って西岸に入った。
西岸は旧市街で、蒙古自治邦政府や大使館事務所もここにあった。しかし、男は政庁の通りには入らず、下堡を左手に見ながら新民大街をずんずんと進む。道はすでに坂道だ。途中で若い女子の集団とすれ違う。見知った顔があり、お辞儀をされた。男は笑ってお辞儀を返す。回民女塾の女学生だ。この辺りはイスラム教徒が多く住む。回教寺院から木邦子の音が聞こえてきた。もう夕方だ。
山を背にして立派な建物があった。門には『西北研究所』とある。中から蒙古人の警衛が出てきた。男を見ると、にっこり笑って敬礼をする。
「お帰りなさい、椙本隊長。お疲れであります」
「うむ。変わりないようで何より」
「お入りください、理事長がお待ちです」
「ありがとう。これは皆で分けてくれ」
椙本は雑嚢の一つを警衛に渡す。
「ありがたくあります」
門を入ると外院という庭で、書庫や食堂などの小房が建つ。中国式屋敷の四合院では使用人が居住する区域だ。中門を兼ねる門房を潜ると中庭だ。門房と左右の廂房は一段高く、主人の家族が住むが、研究所では事務棟と研究室である。中庭の奥はさらに一段高くなって、主人夫婦が住む正房がある。中央の部屋が会議室で、左右が所長室と理事長室になっていた。正房、廂房、門房の四つが中院を囲んであるから四合院だ。
椙本は門房の右の部屋に行く。総務部長に挨拶をして、背嚢を渡した。それから中庭を突っ切って正房の理事長室に入る。理事長は机から立って待っていた。
「椙本、戻りました」
「うん、お帰り。ご苦労だったね」
飯島満治は満面の笑顔で椅子を勧める。給仕がお茶を持って来て、椙本は一服点けた。
「副長がここにおられるということは、機関で買い取ったのですか」
「理事長だ。満映の基金だから、みんな察しているだろうが」
「はい、理事長。少し訛ってませんか」
「はは、ここにいればなあ」
西北研究所は、東京の民族研究所と蒙古文化研究所が企画して、張家口にあった蒙古善隣協会調査部を改組したもので、大使館の助成金も受けていた。研究員のほとんどは京都帝大の東洋文化研究所からで、関西弁が共通語だ。給与は大東亜省や京大から出ていた。敗戦になって大東亜省が廃止となり、京都帝大も京都大学と改称される。
それで一時期、西北研究所の解散が検討されたが、研究員の多くは残って研究を続けることを望んだ。フィールドワークを実践する日本の研究所は唯一、ここだけだからだ。北京の楠本公使は甘粕に相談し、蒙古善隣協会を運営していた基金そのものを、満映が買い取ることになった。実質は日本政府からの現物払い下げで、満映は資本金の一部で西北善隣基金を設立した。
「よく中国政府が承知しましたね」
「ああ、本当に学問をやっているのかどうか審査に来たよ」
やってきた北京大学の教授たちは面接を始めて、まず研究員らの中国語に驚いた。蒙古語や西域の言葉にも堪能である。次に蒙古学の造詣、西域学の研究進展に脱帽した。人文科学も自然科学も、追いつくには十年はかかるだろう。目の前で審査報告書に太鼓判を捺してくれた。
「頼まれて北京大学に講座を開いた。月に二度、講師を出している。盛況だ。来年は共同でフィールドワークを行う」
「へえ、まるで学術研究所ですね」
椙本が知っている西北研究所は特務機関の表看板だった。理事長と調査部長は陸軍から出ていて、各地の兵要地誌や政情民情を調査してきた。善隣協会の前身である財団法人日蒙協会が設立されたのは昭和八年、やはり陸軍少将が理事長だった。東京には専門学校もあり内蒙古からの留学生もいた。現地財団法人として独立したのが蒙古善隣協会である。
「うん、蒙疆学院や文化研究所も引き受けた」
「え、徳王公司の分も引き受けたのですか」
「それが大使館事務所を譲り受ける条件だった」
「ああ、なるほど。元の鞘ですね」
蒙古自治邦政府のことを現地の日本人は徳王公司と呼んだ。その官吏の養成学校が蒙疆学院である。張家口の大使館事務所は、大東亜省ができるまでは興亜院蒙疆連絡部だった。興亜院は支那占領地の行政指導機関だが、蒙疆連絡部ではもっぱら阿片政策を扱っていた。すなわち、甘粕機関の本業である。
「もちろん回民女塾や興亜義塾、同仁病院もそのままだ」
「えー」
同仁会は清国の医療普及を目的に明治三五年に設立された団体で、支那各地に医師を派遣していた。張家口同仁病院は数年前から経営が苦しくなり、協会が運営していた。回民女塾と興亜義塾はもとから協会が設立したものである。門房の事務室には回民女塾の卒業生がいた。興亜義塾は調査員、つまり情報員の養成所だ。
「総務部だけでは手が回らないから、管理部を作ってその下に入れた。警備室と調査所もね」
蒙古善隣調査所は元の調査部で、本来の情報機関であり、椙本が考える特務機関の本体である。
「ちょっと整理しないといけませんね」
「うん、頼むよ。ああ、辞令だ」
「あ、どうも。あれ」
飯島が差し出した辞令には『椙本唯郎、管理部長に任ず』とあった。
その夜、椙本の復員と入所の祝いが内輪で行われた。研究員用の第一宿舎と本部職員用の第三宿舎は北の城外にある。研究所から四キロあって徒歩だと一時間かかるが、トラックが出た。北京大学から寄贈された米国GMC製だ。大境門を出て左に折れ、西溝を登る。元は河床でラクダしか通れなかった筈だが、戦車兵だった梅澤の運転する六輪駆動トラックは、すごい勢いで突っ走る。
第三宿舎の食堂のテーブルが一つに合わせてあった。料理は折詰弁当と背嚢にあった缶詰や瓶詰だ。飯島理事長の紹介の後、椙本が立って挨拶をする。大西所長が乾杯を音頭して宴会が始まった。
「椙本はん、えろう長かったですな。ま、どうぞ」
「しつこく中国軍に誘われまして」
所長からの酌を受けて、椙本は答えた。
「うんというまで出れないんじゃないかと思いましたよ」
「そんなんあったかな」
「所長は予備役少尉で、隊長は現役の少佐や。その違いやおまへんか」
脇から文系主任研究員の藤江が銚子を差し出す。大西は銚子を奪って別の席に立つ。椙本は藤江に酌をする。
「守備隊長が途中で消えはるからわしら兵隊はびっくりしましたで」
「突然の命令が入りまして。あ、どうも」
「あれでしょう。どっか探検に行っておられた」
「え、まあ」
張家口の日本人が防衛召集されたのは八月七日の午後だった。大西少尉は独立混成第二旅団の工兵隊副官、藤江一等兵は第四独立警備隊の椙本の大隊だった。
「いつもの隊長さんでやれやれと思うとったら、三日も経たずに本部小隊を連れてドロンや。逃げたんや言うて大騒ぎでしたで」
「いやいや、申し訳ない」
椙本は大いに汗をかく。
「ま、前後して北京から四個師団も増援が入ったから、みんな安心ですわ」
「そう、それで女房に荷造りは早いと言いに来たんです」
ビール瓶を持った理系研究員の梅澤が空いた椅子に座る。
「梅澤君は戦車に乗って宿舎に戻ってきたんですわ」
「移動の途中ですよ。あはは」
「掘り起こした道を所長の工兵隊が均して」
「あ、それで道がよくなったんですね」
「逃げ道の確保や」
「あっはっは」
総務部長の音井がコップを持ってやって来た。
「椙本少佐が来られてよかった。やっぱ、管理部長は軍人さんがええ」
「そうなんですか」
「はい。大小の調査隊を年に六回は出してます。遠征だと政府や軍と詰めることが山ほどありますわ」
「ああ、そうですね」
飯島が北京大学との共同を承諾したのは、その含みがあったようだ。
「これまでは駐蒙軍だけで済んだけど、もう、そうはいきません」
うんうんと梅澤が頷く。
「今度は新疆の奥ですからね」
「えっ、そんな遠くまで」
「北京大学の方から言うてきたんですけど、大歓迎ですわ」
椙本は焦げた匂いを嗅いだと感じた。
「人が要るんだったら言ってください。豪傑がわんさか」
「北京に佐藤さんがおるわ」
「下西も復員して東亜同文にいるぞ」
そう言ったのは副所長の石畑だった。
「前の総務部長ですわ。東亜同文書院もうちに来るんですわ」
「えっ。あれは大学でしょう」
椙本は飯島の隣の席に移動する。
「理事長、東亜同文も協会が引き受けるのですか」
飯島はおくびをしてから答える。
「東京の東亜同文会のことは知らん。近衛公が逮捕されたから無事には済まんだろうが」
「はい」
「上海を追い出された東亜同文書院なら、今、教授や学生は北京にいる。長春の建国大学で吸収できないか検討中だ。北京大学になるかも知れん。研究室と研究生の一部はすぐそこにいるぞ。もちろん管理部に入れる」
「えええ」
椙本が驚いても、飯島は顔色を変えない。
「同仁会もそうだが、ああいう日清、日中友好の歴史を示す組織や団体は残すべきだというのが、甘粕社長の持論だ」
東亜同文書院が大学になったのは昭和一四年だが、前身の南京同文書院の創立は明治三二年、まだ清国の頃だ。腕を組んで考え込むと、飯島は続ける。
「それにな、学問は金になるのだ」
その瞬間、部屋の全員がにんまりと笑った。
「小説を読んでも数日しか感動は続かない。しかし、先人が研究した学理を説いた教科書はいつまでも使える。数十人がそれぞれ数十年もかけた成果を、一冊の読書で得ることができるのだ」
飯島の話は長く、演説に近かった。審査のために覚えたのだろうか。だが、部屋の全員は真顔で聞いている。
「ええ話や、いつ聞いても」
大西所長が感激して言った。
「工事現場からえらい進歩でんな」
「あっはっは」
着任当時の飯島はフィールドワークを現場工事と思っていたらしい。それで大西所長をはじめ、研究員が代わる代わる講義をした。西北研究所は、北は蒙古とその周辺、西は新疆、西蔵、トルキスタン、アフガニスタンまで扱っている。それらの地理や歴史、博物をひと月も履修したという。椙本はまた汗をかく。
「甘粕社長が阿片利権を中国に渡されはったから、機関の資金は苦しいんですわ。映画だけではね」
音井の話に椙本はぎくりとした。
「新疆でお宝を中てたら楽できまっせ」
「え」
その時、大西が立ち上がった。
「宴もたけなわでんが、これでお開きです。ほな」
研究員らはぞろぞろと、西溝をはさんで向いの第一宿舎に帰って行く。
第三宿舎は元は隊商宿だというが、拡張が続いたらしく、建物の形はそれぞれ違った。椙本は音井の後に続いて房の一つに入る。入った土間が厨房とオンドルの焚口で、三間の中央は改造されて風呂と便所だ。椙本の部屋には官舎に残していった行李が運ばれてあった。肌着だけ着替えて、待っていた音井と一緒に理事長の房に行く。
「音井と椙本です」
「座ってくれ」
暖房はペチカだ。おそらくは主人の房だったのだろう。燃える薪は見るだけで暖まる。椙本が顔をあげると、飯島は頷き、ゆっくりと話し始める。
「日本は敗戦し、満州国も蒙古自治邦も無くなった。甘粕機関も解散する頃合だった。しかし、支那満州には軍民合わせて三百万人の日本人がいた。放ってはおけなかったし、満州と蒙古の行く末も知らんぷりはできん。そう、甘粕は決めた」
二人は頷く。それを見て飯島は続ける。
「俺達は甘粕に付き合う。目的は大きく二つ。まず、中国残留を決めた邦人の安住だ」
百五十万の邦人が華北と東北に居住する。そのうち五十万が義勇兵として中国軍に志願した。帰国を希望した百五十万人の内地送還はすでに始まっていて、年末までに完了する予定だ。
「次に、満州と蒙古の安定だ」
音井がため息をつく。
「厄介な問題ですわ」
旧満州は東北行営の下で『復興』中であるが、興安四省と熱河省は東北から分離された。この処遇をめぐって、南京政府内で民国憲法と国境に絡む政争が起きた。一九二三年の憲法は、奉天派に勝利した直隷派が制定したもので、ドイツのワイマール憲法を倣った連邦制だった。清国崩壊と同時に蒙古も西蔵も新疆も独立を宣言して内乱状態だったから各省の自治を認めたのだ。
ソ連との間では、一九二四年の中露協定と一九三六年のモトロフ返書によって、外蒙古は独立国ではなく中国の一部であることを再確認してある。しかし、昨年、新疆と外蒙古との境界部で起きたアルタイ事件ではソ連機が飛んできた。今年六月からの中ソ友好同盟条約の交渉も、蒋介石がヤルタ密約を知って決裂した。外蒙古の現状維持、すなわち独立と国境の固定は認められない。
そして徳王公司が健在である。満州国は降伏声明直前に、興安軍の指揮下離脱と徳王の自治邦軍への合流を宣言していた。東西蒙古連合軍を率いる徳王に、東北行営の熊式輝も綏遠省の傅作義も妥協するしかない。日本指導下で高度な自治を経験している徳王は強かで狡猾だった。蒋介石の苦境を突いて、蒙古合同自治政府を組織した。
「つまりは、大日本帝国の後始末だ。占領下の日本政府は動けんし、外交権も停止された。在外政府資産と引き換えで請け負ったが、接収に来る連合軍との競争だ。甘粕はずっと南方を回っている」
「満州と蒙古はどう収めますか」
「独立は無理だろう。自治州にいけるかどうか」
椙本もため息をついた。一九三六年に蒋介石が提示した憲法改訂案では旧清国領全てが中央政権の版図であり、自治は認められない。中共との内戦中は憲法を停止していられるが、統一と同時に、内政と外交の懸案が蒋介石の背に圧し掛かる。いったい、どう収めるというのだ。
「そう気を落とすな。中国にあった陸海軍の資金は抑えた。哈爾浜特務機関と満鉄調査部も甘粕機関に吸収する。関東軍の秘密兵器は高く売れるぞ」
「ひょっとして警備会社もやりますか。義勇兵を受け入れる」
「その通りだ。満鉄よりでかくなるぞ」
高笑いする飯島を背に、二人は部屋を出る。
音井の部屋で飲み直すことにした。出してくれたブランデイをぐっと呷る。
「音井さん、どう思われます」
「ええ話やおまへんか。わしら新参が花形になれまっせ」
「は」
「蒙疆支部は阿片の集荷と出荷の日陰者やったが、これからは違う。西北は核心や」
椙本は驚いた。音井は的確に理解している。
「知ってまっか。北京の楠本中将も太原の澄田中将もGHQから召喚されたんが、甘粕社長がイテマエヤー将軍に掛け合うてもみ消したんや。関東軍も満鉄もお偉いさんは帰国したら捕まるんですわ」
「えー」
「せやから、札びらでビンタ張って業務命令や。こりゃ、うまくいきまっせ。わしら中米ソの紛争のど真ん中におる」
「ですから」
「花形になるんや!」
音井は口元を逆三角形に歪め、ほほほーと笑った。