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SR満州戦記3  作者: 異不丸
第一章 昭和二〇年
5/31

一 長春


中華民国、吉林省長春市洪熙街


 降伏と同時に、新京市は独立前の長春市に戻った。進駐して来た東北行営は、旧関東軍総司令部に入って満州国の解体と行政府の確立を開始する。といっても、十数年の間、ここに中華民国の実体はなかったのだから、支那本土のように旧に復するわけではない。満州国の行政機関を引き継ぐ形になる。東北行営の長である熊式輝上将の喫緊の仕事は、各地の省長や市長の人事発令であった。

 しかし、乗り込んだ政治委員と経済委員だけでは足りない。旧満州の官僚・役人たちが引き続き行政にあたることになる。問題は人員の不足だけではなかった。旧満州国の行政は南京政府のそれより相当に高度で、法令の体系も緻密である。短期間でそれらを習得し消化できるとは思えなかった。ならば、すでに知悉していて経験豊富な者に任せたが良い。

 東北行営の目的は占領ではなく、東北の統治であった。皇帝を廃して南京の中央政府に伏す、その政治的な命題は譲れない。だが、産業経済は今すぐにでも隆盛してほしい。これまで日本の軍需に回っていた分が南京政府に移るだけでも絶大なのだ。東北行営の優先課題が再確認される。それは関東軍と満州国軍の武装解除であり、農工商業への復員だ。


 旧満州国の政府機関はすべて接収されて、所有権は中華民国政府に移っていた。学校や公堂などは引き続き東北行営が使用するが、軍事用でない建物や施設のいくつかは払い下げが始まる。旧満州国の要人たちが公示価格の数倍でそれを購入した。公示価格分は東北行営の口座に入り、差額分の貴金属は南京に送られ、しかるべき口座に忠誠の証として仕分けられる。満州映画協会は甘粕が買い取り、満州映画株式会社として存続が許可された。代金は銀で支払ったという。

 満映撮影所の第三スタジオでは、会議机に座った閑院少将宮春仁王が壁の大東亜地図を見つめていた。今日の少将宮は麻の背広で、隣に座る秘書の乙穂もブラウスにスカートだ。すでに総司令部、第三方面軍の受降処理は終わりつつある。長春では総司令部の将校らが軍人会館に収容されていた。書類や資料はすべて差し出し、聴取に応じて、自決する者もいなかったので、収容といっても軟禁であり、外出もできる。少将宮の場合は、政府特使で実質は全権であり、特別扱いだった。東北保安軍から見張り兼護衛の上尉が一人ついている。

 机の反対側には夏用の協和会服を着た男たちがいた。揃って困惑した表情だ。ソ連侵攻の直前に邦人避退を計画して成功させた宮沢、成田、日笠の三人だ。少将宮に第一回総力戦机上演習の続きをしようと宣言されて、対応に窮していた。宮沢ら総力戦研究所の第一期生はちょうど四年前に机上演習を行って、ソ連参戦で敗北必至となる結論を提出している。



 模擬内閣で朝鮮総督だった日笠が言う。

「殿下、第一回演習の結果と今の状況はかなり違うと存じます」

 少将宮は顔色を変えずに答える。

「提出した報告書ではない。あの続きもやったではないか」

 三人は頷くしかない。机上演習で青国は一年の継戦後に降伏するしかない状況となったが、日本降伏の報告書は提出できない。そこで模擬内閣の総辞職で終わりとした。しかし、実はその後の半年ほども検討されている。聴講生だった少将宮はそれを知っていた。

「青国降伏後に東亜の情勢は大変動を起こしたと記憶している」

「そうでした」

 興亜院総務長官だった成田が答えた。

「今、日本は占領下だから、青国の将来を占うわけではない。あれほどの精度は要らないし、結論は複数でもかまわない。ゲームと思ってくれ。力を抜いて東亜の変動を予想してみよう」

 三人は互いに顔を見合わせると頷いた。

「そういうことでしたら、やってみましょう」

「うん、少し考えてある。聞いてくれ」

 秘書から厚紙を切ったカードが十数枚配られた。

「ここに四人いるが、それぞれ米英中ソの首脳となる。ああ、乙穂さんは記録係だ」

 三人はメモを取りながら熱心に聴く。なにしろ、少将宮はスポンサーなのだ。抗うことはできない。


 宮沢は満州国政府、成田は北支那方面軍特務機関、日笠は朝鮮総督府と、それぞれ元の勤務先が消滅してしまった。三人とも大陸浪人となり、つまり無職だ。今いる官舎もいずれ追い出される。半年分の俸給はあるが、ぶらぶらしていると細君に睨まれる。最後の上司だった国民勤労部次長の半田敏治を頼ろうと、満映に顔を出したところを少将宮に捉まったのだ。

 全員を満映に世話してやると云う。総務部に連れて行かれ、その場で採用が決まった。総務部長は殿下のいいなりだった。どうやら甘粕社長に個人的に出資しているらしい。

「総研でやった演習は、つまりは青国内での資源分配と多人数の意思決定の問題だった。が、今回は多国間の鬩ぎ合いだから、新しいルールが要る」

「進行の方法ですか」

「うん。カードで出されたA国の行動に対して、BCS各国が対応するカードを出さずに一巡すれば、A国の行動は新しい状況として上書きされる」

「ああ。行動カードと対応カードの二種ですね。勝負の判定は」

「強度を決めておいて、差が三割を超えるとサイコロを振る」

「それだと五段階でいい。軍人合わせだ」



 四人は、カードの性格と中身を吟味していく。

「軍隊は陸海空と三枚ですね」

「新兵器はもう一枚になるだろう。原子爆弾は切り札だ」

「各国に及ぼす影響が想像できません」

 少将宮は手を止めて真顔で考える。

「原子爆弾は戦略兵器だ。米国が独占している間は、直接に武力衝突しようという国は出ない。日中英ソは原子爆弾の威力を実見した。お披露目はもうない。裏返すと、米国も使わないということだ」

「なるほど。他国のすべてのカードを制止できると」

「二番目に持つのはソ連だろう。すでに理論と技術はドイツから奪った。米国は三年かかったというから・・・」

 呟きながら少将宮はポケットからサイコロを出す。

「一年はあり得ないから、出た目に一を足すぞ。それ」

 サイコロが振られた。四だ。

「五年後にソ連は原子爆弾を持つ。その後は戦場での使用があり得る」

 三人は深く頷いた。

「ほかに新兵器カードはあるか。ジェット戦闘機やレーダーはどうだ」

「噴進式航空機や電探は日本も製造できました。戦場を変えるかも知れませんが、国際情勢を変えるとまでは思えません」

「卓見だな、同意する」


 出来上がったカードが四列に並べられて、比較される。

「S国の諜報員カードは内務省と参謀本部と共産党の三枚です」

「対応カードの枚数は警察予算で決める。A国とB国は二枚、C国はゼロ」

「ソ連が続けて三枚切れば、どこも単独では対抗できない。ふむ」

 宮沢には少将宮の目的がおぼろげに浮かんできた。自分の考えを整理したいのではないか。

「殿下、各国の国家方針や戦略はどうしますか」

「それは最初に決めてある。しかし、その進め方が混乱するのだ。他国の反応を考えながらだと、まとまらん」

「混乱というのは、進むうちに前提や判断基準がぶれて、一貫しないとかですか」

 宮様が顔を上げた。成田と日笠も二人を見つめる。

「そのとおりだ」

「われわれが加わるのは客観視するためですね。つまり、殿下は方程式が欲しい。それはカードやルールの内容です」

「驚いたな、図星だ」

 成田が頷きながら提案する。

「殿下、一回やってみませんか」

「そうです。回してみないと、足りないカードとか、ルールの不具合が出て来ません」

 日笠も賛同した。

「よし。やろう、諸君」



 サイコロが振られて順番と国が決まる。宮沢はA国だった。

「お、米国だ。グッモーニング、サープレジデント。ウォントジャパントゥービーインディペンデン?」

「おい、それはカードか」

「開幕のファンファーレだ。ええと、米国の国家方針は?」

 少将宮が帳面を見る。

「日独の再起不能だ。工業を禁じて農業国にする。米国製品の市場とするのだな」

「それでは。インポッシブル、ミスターバーンズ。ゼアラワーマーケット、フォーエバー」

 そう言いながら、宮沢は空軍カードをドイツに置く。

「シト。アゥ、ニェト」

 ソ連の成田は驚いたふりをして、共産党カードを合衆国に置く。空軍では機体も武装も勝ち目はないから、裏の稼業に注力するのだ。狙いは原子爆弾の情報だろう。

「キープピース、ジェントルメン」

 英国になった殿下は、しばらく考えた後、アフガニスタンの上にSISカードを置いた。英国の諜報カードはもう一枚ある。

「え、アイヤー」

 最後の日笠は中国で、カードの枚数は少ない。軍は海空はなくて陸の一枚だけだ。満州に進出した米軍に対ソ威嚇をやらせながら、中共を殲滅するのが戦略だった。しかし、宮沢米国は欧州に重点を置いた。英国殿下も早々と諜報カードを切ってしまった。日笠は考える。米英中は同陣営だから協調して成田ソ連に対抗しなければならないが、原子爆弾の重石があって、しばらくは戦争はない。


 成田がニヤニヤと笑う。

「どうした、中国。動きが鈍いぞ」

 日笠は睨みつけるが、なにしろカードがない。今、国外で使えるのは、米国政府に対するロビーカードだけだ。その他は、まだ使えない。といって、このままでは、ソ連の諜報員カードが活きてしまう。もちろん、宮沢は対応のFBIカードを使うだろうが、ソ連はあと二回分ある。

 英国の諜報カードが先行しすぎた。が、もう、遅い。中国は今使えないカードを活性化するために国内統合するしかない。

「ちくしょう」

 日笠は、陸軍カードを内蒙古に置いた。

「え」

「あ」

「満州じゃないのか」

「対ソ前面だ。中共殲滅は北から南へだ」

「そうだな、いや、そうとも」

 三巡め。欧州前面では米軍が圧倒的だが、中欧から東欧に進軍する訳ではないから、ソ連を恫喝するだけの意味しかない。一方で、諜報戦では米国が守勢に立った。英中が支援しないと原子爆弾の情報はソ連に渡ってしまう。何かが違うと全員が思う。何が違うのだろう。五巡終了。ソ連は情報戦に勝利していた。原子爆弾の情報を入手したのだ。



 数回繰り返されたが、不可解は同じだった。ソ連は常に諜報戦で勝利する。米英中三国の連携が機能しないのだ。英国はアジアの植民地に、中国は国内統合にカードを割かなければならない。そうしないとソ連に浸透される。どこも戦争には至らないから、強力な米軍は遊んでしまって、中東や北アフリカに回されることもある。四人とも違和感を覚える。

「意外ですね。欧州も東亜も焦点にならないとは」

「何かが足りない」

「一服しよう」

 お茶を淹れましょうと乙穂が立つ。

「ソ連を攻める手がありません」

 米ソ対立は確実に進行していた。米英中がソ連包囲網を構築するのは容易だと思われたが、机上ではソ連から攻勢を受けるばかりだ。ソ連は世界中でフリーハンドだった。資源で封鎖しようとしても、東欧を手に入れたソ連は痛みを感じない。

「これでは米国の負担が増すばかりだ。中南米に仕掛けられると、情勢急変に対応できない」

「英国がアジアの植民地を放棄すればいい」

「そうだな、中東も怪しくなっている」

「中国が弱すぎる」



 四人は煙草に火を点け、お茶を啜る。

「殿下、中国にもう一枚カードを足しましょう」

 少将宮が得たりと微笑む。

「うむ、国内と国外と両方で使えるカードがいいな」

「中国だけでなく、米英でも使えるような」

「あれ、同じかしら」

 四人は新しいカードを書き上げると中央に置く。そして、一斉に笑った。

「あはは」

 四枚のカードには同じ語句が書かれていた。


『義 勇 日 本 軍』








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