占領
大日本帝国、帝都東京、首相官邸
八月一〇日に成立した宇垣内閣には重要課題がいくつもあった。陸海軍の武装解除と解体を遂行し、連合国軍の占領を受け入れ、降伏文書に調印する。それはポツダム宣言受諾に伴う義務の履行であり、降伏そのものであって、遅滞は許されない。だが、軍は降伏に納得しておらず、抵抗は大きいものと予想された。実際に、降伏を決定した前内閣は叛乱軍の襲撃を受けた。
本土で叛乱が起きたのだから、外地の出征軍の挙動はさらに不穏かも知れない。無事に武装解除が進んでも、除隊した兵隊を帰国させねばならない。さらに、帝国解体に伴って分離する台湾と朝鮮などの旧領土と占領地の居留民の引き揚げもある。この時、外地や占領地には三百五十万の兵と三百数万の一般人がいた。
国民は、敗戦という未曽有の事態に直面して混乱している。それまで帝国の勝利を信じて戦争遂行に協力して来た国民の真意は奈辺にあるか。これまでの辛抱は何だったのか。父や夫や子を兵隊に取られ、家を焼かれた女子供はどう生きていけるのか。そこへ戦勝の連合国軍が進駐して来て占領するという。とても承服できるものではあるまい。
混乱は言論界や知識層も例外ではなかった。新聞は、たった一枚、二枚の紙面の中に相反する記事や論説が混在している。宮城の前で膝まづいて慟哭する光景で敗戦を強調する一方で、その結集と一致を以て、敗れてはいないと強弁していた。ポツダム宣言についても、誠実に履行すれば新日本が建設できると結論づけている。それは、国民の将来を左右する諸条件の詳細が判明していないからであろう。
宇垣首相は、国体安泰を声明したほかは、一般論を述べるだけに留めていた。新聞が言うように、ポツダム宣言は大綱だけであって、適用・方法・細目についてはすこぶる疎であったからだ。迂闊なことは言えなかった。新聞に言質を取られても検閲で削ることができる。しかし、連合国軍はそうはいかない。彼らとて放送は聴いているし、進駐した後に新聞を入手するだろう。
この先、どう転ぶかは誰にもわからない。不用意な言説は禁物だった。もちろん、この国難に大命降下を賜ったのだから、打つ手はあるし、打ってある。最も困難とみられた陸軍の武装解除のためには、外地三総軍に皇族の特使を派遣した。連合国軍の占領政策を探るためには、外務大臣に命じてマニラの連合国軍最高司令部に特使を派遣した。ほかにもあった。
宇垣首相は、定時に官邸の執務室から公邸の日本間に移ると、葉巻を燻らす。昼間は多忙で紙巻きばかり、考えをまとめるまではいかない。ゆっくりと思考する時間が欲しいのだが、当分は無理だ。情報を収集して選択肢を絞る要員たちは、数年前から組織してある。その時の選択肢には時の首相の暗殺まであった。それは実行されなかったが、さて幸いだったのか。
宇垣は強面でいくことに決めていた。しばらくは、だ。まもなく、連合国軍の進駐が始まる。今この時にやっておかなければ取り返しがつかないことは山積していた。占領がいつまで続くのか。対米戦は四年近く続いたのだから、それより短いということはないだろう。強権を発揮できるのも、あと十日ほどしかなかった。
失意の国民は、この先の日本の指標がさぞかし欲しいだろう。新聞や識者はそれを批評したいだろう。そして、右翼や左翼はそれを理由に暴れたいだろう。しかし、それを宇垣は許さない。戦時中に敷かれた統制を解除しなかった。例外は根こそぎ動員で召集された三一歳以上の兵隊を動員解除したぐらいである。それでも、国体護持の確証を得た宇垣の強権は許容された。
「御前、皆様お集まりです」
「わかった」
伊豆から連れて来た執事の言葉に返事して、葉巻を灰皿で押し消す。日本間を出て洋間に入ると、すぐに用件が始まった。
「一億総懺悔の件ですが、宮様の背後が判明しました」
山崎内務大臣が報告する。宮様とは東久邇大将宮のことである。
「日本基督教連盟の加川に吹き込まれたようです」
「加川豊彦なら知っている」
宇垣の返事に山崎は頷き、手に持った冊子を端折った。
「そう悪い奴でもありません。帝室崇拝者で、神道も否定しない」
「そうだな、ふむ」
部屋の全員が宇垣を注目する。決裁の時だ。
「大将宮は真摯なお気持ちだろうが、占領軍には戦争責任の所在を曖昧にする方策だと誤解される。一億総懺悔を政府は執らない。が、否定もしない。どうかな、外相」
指名された重光外務大臣が答える。
「はい、首相の決断が穏当です。米国は軍部を糾弾して、国民とは分離する方針です。政府施策として国民総懺悔は不適当です」
重光は米国の対日政策を一通り復習していた。開戦時の駐日大使だったグルー特別補佐官の一九四二年のシカゴ演説から、伝単で撒かれた今年五月のトルーマン大統領の声明まで。一貫して日本の軍国主義を非難しているが、軍部と一般国民は明確に区別してあった。つまり、軍部と国民を一体化する一億総懺悔は占領軍に容れられない。
「うむ。文相にお願いするか」
「わかりました。私から前田大臣に伝えます」
「頼む、山崎内相。次は幣原さんらの戦争調査会か」
組閣から数日が経つと、東久邇大将宮や幣原元外相、貴族院や衆議院の議員など、要人たちが押し掛けてきた。内閣は戦後日本の明確な目標を掲げることを避けているとみたからだ。彼らが建策する内容は似たようなものだった。共通するのは開戦責任と敗戦責任を明確にすることである。程度の差はあるが、裁判による責任者の追及と処罰を求める声も多かった。
「幣原さんが言うように、戦争責任を問う声は国民に共通している。戦争調査会は設置しようと思う。しかし、問題は調査のあり方と結果の扱いだ」
全員が頷いた。岩田司法大臣が手を上げる。
「調査会のあり方は幣原さんに任せてよいと思います。しかし、責任者の訴追や処罰は法的に無理です。事後立法を行えば国の根本を揺るがす。裁判には反対です」
「軍法会議ならできるかも知れないが、軍人だけだし、軍は解体される」
国務大臣の小畑敏四郎中将が意見を言うと、ざわめきが起きた。大蔵大臣の津島寿一が真顔で聞く。
「小畑大臣は戦争調査会には賛同されるか」
「無論。開戦に至った事由は私も知りたい」
「満州事変まで遡ると思いますが、よろしいですか」
「かまいませんぞ。責任は軍人だけではないと思うが、私にあるとなれば責任はとる。自決は禁じられたが、ま、やり方はある」
内相が発言する。
「連合国のいう戦争犯罪容疑者は相当に広範で大規模に亘るようです。つまり、我が裁判に召喚する前に占領軍に拘束される者は多い。裁判の成立は難しいと思う」
「それはあります。占領軍の戦争裁判と並行して独自に裁判するのも誤解を招く。総理、自主裁判はだめです」
「わかった。幣原さんには再考してもらおう。自主裁判は不可、敗戦責任も表立っては不可。他には」
「総理、軍人は委員に参加させない方がよろしい」
小畑大臣が言うと、岩田法相が首を傾げる。
「しかし、軍法や軍令はともかく、戦術作戦を文官が読み解けますか」
「必要な時だけ呼び出して聴取すればよろしい。幸いに総理の先見で書類は保全されてある。退役将校でもいい。それと。総理、名称も再考が必要かと。戦争調査会だと、まるで他人事、一段上から眺めているように誤解されかねません」
ほうっと息をついて、岩田法相は感心する。それから思いついた。
「重光外相、法的に、いま日本は降伏にありますか」
咄嗟に重光外相は問われた意味を考える。それから、あっと思った。
「そうでした、いまは停戦ないし休戦です。降伏文書に調印するまでは法的には降伏していません。失念するところでした」
「支那や南方各地での武装解除は、戦線ごとの停戦合意書や休戦協定書に基づくものだ。が、本土ではまだない。つまり、占領軍は戦場に進駐してくる」
「そこです!占領軍が進駐の際には、兵隊をずらりと並べて迎える必要がある」
小畑の声には重い響きがあった。
「いかん、どうも敗戦国と戦勝国の立ち位置を忘れがちだ。やはり新聞検閲は緩めるべきではない」
山崎内相が呟いた。今朝見た新聞には、降伏諸条件の詳細は存続する帝国政府と占領軍との折衝を待つと、まるで商取引のように論評してあった。知らず知らずのうちに感化されていたらしい。
「引き締めるべきだ。油断してはならない」
八時になると宇垣は会議の終了を告げた。各員の前にはスコッチのグラスが置かれる。乾杯はないから各自好きなように飲む。小畑は一気に飲み干し、日本酒を所望する。山崎も一気に飲み干すと、独り言のように喋りだした。
「これは内務省の一存で行うものですから、聞き流してください。大森に特殊慰安施設を開設しました。尤も、まだ開店休業ですが。あはは」
部屋の中がしんとなった。占領軍の兵隊向けの「そういう」施設であることは瞬時に察した。必要であることは満映から配給されたフイルムを待つまでもない。グラスをテーブルに置く音が続く。それにかまわず、内相はお代わりを呷ると続ける。
「学童疎開は、女子については継続を指示しました。女学校相当でなくとも・・・」
またグラスを飲み干す。
「その、男女関係の用に足ると思われる、うぅ、発育優良の女児については、必ず実行するようにと」
内相は頭を垂らし、肩を震わせた。全員が目を伏せる中で、部屋の隅にいた軍人が起立した。
「内務大臣閣下。学童のみならず都市部の若年女性の疎開を提言します」
「田中少将、都市部にあった会社の地方疎開は指示されてある。しかし、官庁は動けぬ。そして、タイプができる男子はそうそうはおらんのだ」
小畑は座ったままで告げた。叱責してるようでもある。
「国務大臣閣下、子の親として言っております」
小畑は黙った。大陸に世話している娘がいるらしい。
「官庁のタイピストだけではなく、府内の女子に徹底すべきです。髪を梳くな、化粧をするな、ズボンをはけ、つまりモンペです。鉄漿もいい」
席がざわめく。
「しかし、周知徹底はどうするのだ。新聞や雑誌では占領軍に知れる」
「こういう時のための隣組、回覧板でしょう」
「あっ」
「工夫しましょう」
宇垣首相が四谷の自宅に戻ったのは九時を過ぎてからだった。しかし、まだ終わっていない。洋間では数人が議論していた。宇垣が入ると会釈しただけで、再開される。
「要するに、自分らと同じような国と国民に改造したいのだな」
「異文化は異邦人には理解できない。しかし、同一文化なら、行動は読める」
「つまり日本が開戦するとは予想外だった訳だ」
「大正期の日本式民主主義も容れられない。あちら式の民主主義でないと」
「抽象は困る。端的に言うと?」
「分裂です。賛否万論があって千々に乱れている」
「なるほど。一致して静かに寡黙に迎え入れるのは難か」
「禍です。一致していれば、彼らは分断を謀る」
「例えば」
「解放された主義者を支援して騒擾を起こす」
「そうだな。米英も特務機関はある」
宇垣は葉巻に火を点けた。ここに集まった者たちは、占領の目的を理解していた。それは、ポツダム宣言履行の保証担保ではない、文化価値観を同一にするための洗脳だ。
「国民一致と秩序の源泉が国体にあるとわかれば、彼らは潰しにかかる」
「国体はポツダム宣言でも改造計画でも否定されていない」
「やり方はあります。皇太子を留学させて洗脳する。皇族男子に家庭教師として米英女性を配する、あるいは、不妊剤を飲ませる」
「宮様の皇族離脱など向こうの思うつぼです」
「よし。反動、反政府、華族反対、皇族反対もやろう」
「もう一つ、反占領軍もです」
その日、首相が就寝したのは深夜だった。
連合国軍の占領が始まった。日本は喧騒に満ち、日本人は無秩序だった。