桔梗
桔梗
私があなたと出会ったのはもみじ散る秋のことだった。あの日、私は久方ぶりに京の街を歩いていた。角を見られるわけにも行かないので、出かける時はフード付きの外套を羽織っていく。私は人間の世界が好きであった。賑やかな往来、きらびやかな装飾品、美味しそうな食べ物。そのどれもが私の心を掴んで話さない。
でも、そんな私の心とは裏腹に世界は残酷で、、、
人間は私のことが嫌いだった。古来より鬼は邪なものとして扱われていることは、人間の本を見て学んだ。それでも幼い頃の私は人間を信じていた。私がこんなに人間を好きなんだから、きっと人間も私を好きでいてくれるだろう。我ながら甘い考えであったと思う。自分がどう思っていようが相手には関係ないことなんて少し考えればわかるだろうに。私は幼かったが故に人間のことを信じて疑わず、一人で人里へ降りていった。
それからは酷いものだった。角を見るや否や鬼だ鬼だと追い立てられた。私は必死で逃げた。石を投げられ、矢を放たれ。そして私は捕まった。その後のことはよく覚えていない。気がついたら家の布団の上に寝ていた。はじめは夢かと思っていたが、傷だらけの体を見て現実だとわかった。後に両親はその時のことを話してくれた。父親が助けてくれたこと、そして生死をさまよう傷であったことも。
それからしばらくの間、私が人間の町や村へ行くことはなかった。
けれど私が人間を嫌いになった訳では無い。私はただ両親に心配をかけたくなかった。悲しむ顔をもう見たくなかったのだ。
けれども、私は人間の世界に憧れ続けた。
その日から10年の月日が経った頃、私は両親の目を盗んで京の町へと下った。
往来を一通り歩いて満足した私は、神社の裏でひと休みすることにした。誰もいないことを確認してフードを脱ぎ、芝生の上に寝転がった。なんて気持ちが良いのだろう。こうしている分には人間の街も鬼の村も何も変わらないように思える。それどころか私には人間にも鬼にもつの以外に違いはないとおもう。共に生きることが出来たらどれほど幸せだろう。
微睡みの中人間と鬼が共に暮らす世界が浮かぶ。皆が楽しそうに歌って、踊って、とても幸せに暮らしてる。ああ、こんな世界に行きたい。
気がつけば空が緋色に染まっていた。どうやら眠ってしまったらしい。私は大きく伸びをする。コツン、と右手に何かが当たる感覚があった。見ると幼い男の子が目を擦っている。瞬間私の脳裏を様々な思いが走った。人間に見つかった、フード被ってない、角を隠さなければ。私は一種の混乱状態に陥っていた。私がそうこうしている間に男の子はすっかり目が覚めた様子で私に言った。
「お姉ちゃんはなんでツノがあるの?鬼さんなの?」
私はどうすれば良いか迷った。すぐにこの場を逃げ出せば良かったのかもしれない。けれど、この時逃げ出さなかったことを今では良かったと思っている。
「そうだよ。私は鬼なの。怖い?」
私は少し怖がらせたら逃げてくれると思った。でも男の子は怯える素振りもなく言った。
「ううん、怖くないよ。だってツノはかっこいいし、お姉ちゃんも優しそうだから。」
私は驚いた。この歳で怖がらなかったこともさる事ながら、鬼を嫌わない人間がいたことに。そう考えたら涙が溢れて止まらなかった。年端のいかない男の子のその一言だけで胸がいっぱいになった。私が泣いていると男の子は困った様子で
「お姉ちゃん大丈夫?どこか痛いの?」
と心配していた。私は答えた。
「ううん、痛くないよ。うれしいの。嬉しい時にも涙は出るんだよ。」
絶え絶えの言葉であったがそう答えた。
小一時間が経った後、男の子は晩御飯の時間だからと言って帰っていった。また会おうね、とも。男の子を見送り私も家へ帰ることにした。
それから私たちは時々その神社で遊んでいた。私は弟ができたみたいで楽しかったし、人間と一緒にいられることにも喜びがあった。
それにしても人間の成長は早いもので、
身長もいつの間にか抜かされてしまっていた。(角をいれれば私の方が高いのだが。)
彼が成長するにつれて、神社ではないところも行くようになった。彼は私をたくさんの美しい場所へと連れていってくれた。
そんな日々が過ぎたある日、その日は雪が積もって世界には白だけだった。雪だるまを作ったり、雪玉を投げあったりしていた。帰り際、彼は私を近くの山の上へと連れていってくれた。何もない山の上に連れてこられて少し不満で不機嫌な私に、彼は「夜になればいいものが見れるから。」と言っていた。その日の空を私は今でも鮮明に覚えている。暗い闇の中に幾千の星々が輝いている。私は、生命の輝きにも見えるその光景に夢中だった。不意に彼が真剣な顔で私の方を向いた。そして、
「僕と結婚してくれませんか。」
と言った。私の心を驚きと喜びが渦巻いていた。でも彼のことは弟のように思っていたし、何より私は鬼。私と一緒にいれば彼も人間に嫌われるかもしれない。私はその旨の言葉を伝えたが彼は聞き入れなかった。それでもいいと。私のいない世界では生きる意味が無いとまで言ってくれた。瞬間、涙が溢れた。彼が、それ程までに自分のことを認めてくれたから。私は嗚咽の中何とか共に生きる旨を伝えようとした。
それからというもの私達はとても幸せな時間を過ごした。種族が違うので子供こそできなかったが。それでも、彼と居るだけで幸せだったし、彼もきっと幸せに思ってくれているだろう。
睦月。二人で新年を迎えた。年が明けてからあの神社に参詣し、これからも共に過ごせるように祈った。彼に何を願ったか聞いたところ私と同じことを祈っていたらしい。ついつい顔が緩んでしまうので、彼に見えないようにそっぽを向いた。
夜があけてからは大きな神社を訪れた。大勢の人で賑わう参道は私の心を弾ませた。彼と一緒に食べたお餅は今までで一番美味しかった。
真冬の寒さの中、つないだ手が暖かいーー
弥生。桜がちらほらと花をつけ始めた。だんだんと暖かくなって春の訪れを感じる。麗らかなある日のこと、私達はお花見に出かけた。お花見の場所は幸せそうな人で溢れていた。お団子を食べる人、絵を描く人、大切な人と過ごす人。楽しみ方は人それぞれだが、桜は人々に春の幸せを振りまいていた。2人で桜を見ながらたくさん話して、気がつけば空には月が登っていた。満月と桜が織り成す景色は、言葉ではあらはせないほどに綺麗だった。月を見てふとかぐや姫のお話を思い出した私は、ちょっとした悪戯心から彼に尋ねた。
「ねー、もしさ、私がかぐや姫みたいに遠くに行かなければならないって言ったらどうする?」
なんて言うかなーと思いながらニコニコと彼の返事を待っていた。
「お前がどこかへ行くなら俺は絶対ついて行く。絶対に離さないから。」
彼は真面目な顔でそう言った。まさかそんなに真面目に返されると思ってなかったので、途端に恥ずかしくなってきた。私は小声で、
「ありがと...」
と言った。俯きながら言ったせいか、彼には聞こえていなかったようで、
「なんか言った?」
と聞いてくる。
「なんでもないっ」
私は彼の手を引いて家へと走った。
皐月。私達は山上りをしていた。一週間前から彼が計画を立ててくれていた。なんでも今日は流星群が見れるらしい。山を登る途中では、たくさんの花や虫や動物を見ることが出来た。高いところにあった花がとても綺麗だったから彼にとってもらった。山の頂上に着く頃には辺りは闇に飲まれていた。私達は軽い夕食を取りその時を待った。そして、一筋の光が流れて行った。それを追いかけるように、無数の光が降り注ぐ。とても美しい光景であったのだが、同時に悲しくもなった。光の儚さに何故か胸が苦しくなった。
文月。陽炎が揺らぐ炎天下。波の音が涼しげに耳をうつ。この日は海に来ていた。しかし、泳ぎに来た訳では無い。そのため砂浜ではなく岩場である。涼みがてら貝を取りに来たのだ。貝を探しながら岩場を歩いていると小さなカニがいた。可愛いと思い眺めていたら、ふと面白いことを思いついた。私はカニをつかまえて後ろからそっと彼に近づいた。その時彼が急に振り向いた。私はびっくりして後ろに転がってしまった。彼がニヤニヤしている。悔しい。
帰り道ずっとむすっとしている私に彼は謝ってきたが、ニヤニヤしていたのできっとまだ引きずっているのだろう。家に帰って
貝を食べるまで私の機嫌は治らなかった。
神無月。木々も緑色から紅色に変わり、暑さも和らぎ始めた。私たちが出会ったのもちょうどこのくらいの頃だったろうか。あの時と比べると、今の生活が奇跡のように思えてくる。もしかしたらあの神社のおかげかもしれない。そう考えたらいてもたってもいられなくなって、あの神社へと向かった。神社はあの時より少し傷んでいた。年月というのは無情だ。それでもこの神社は私にとって特別なものであることに変わりはなかった。お賽銭を入れて一通りの動作をし、私は芝生の上に寝転んだ。
空に浮かぶ綿菓子みたいな雲が私を見ている。あの日、彼に出会ってからの幸せな日々が思い浮かぶ。ああ、なんて満ち足りた日々だろうか。子供の頃の私に今の私の話をしたら、きっと目を輝かせて話を聞くに違いない。ああ、願わくばこんな日々がずっと続きますように。
目が覚めると空は黒く、十五夜の月が空に浮かんでいた。
「あ、やっと起きた。」
声の方を見ると彼が私の横に寝転がっていた。
「帰りが遅いからむかえにきたんだ。ほら、帰ろう。」
彼の差し出した手を取って、私達は2人の家へと帰った。
それから幾つもの四季を経た。別れとは必然。生き物である限り、命の限りが訪れる。その日は暖かな春の日だった。1年前から体調を崩しずっと床に伏していた彼が天国へと旅だった。彼を失った私にとってはここにいることもつらい。そこであの日以来帰っていなかった実家へと帰った。
両親は私を見るなり泣いて出迎えてくれた。勝手なことをした私に対し暖かく迎えてくれたことはとても嬉しくて、涙が溢れた。それからこの70年間のことを話した。彼との思い出を泣きながら一つ一つ話した。そうしているだけで彼を感じることが出来た気がした。両親はそんな私の話を真剣に聞いてくれた。話終えたあと私は疲れて眠ってしまった。
次の日、私は母と話をした。驚いたことは、母も昔人間と恋に落ちたらしい。そして今の私のような状況になった後に父と出会ったそうだ。母は私に
「鬼の生涯は長いから今から新しい人を探してもいいのよ。」
と言ってくれたがそんな気にはならなかった。私は彼との思い出を大切にしたいから。見えていなくてもきっと私の近くに居てくれている気がするから。
微睡みの中で思い返した思い出は、今でも色褪せずに私の記録に刻まれていた。雲ひとつない秋空の下、山で貰った桔梗の押し花を眺める。
ひんやりと心地の良い秋風が、そっと私の頭を撫でた。
まずはここまでお読み下さりありがとうございます。
嬉しいです。
短編を書いてみました。
まだまだ拙い文章ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。
楽しんでもらえてなければこれからも精進するので見守っていただきたく思います。