第八話 たった一人の私の親友
「えっと、確かこっちだったはず…。」
園香は西泉中学校の正門を出ると自分の記憶をたどり右に曲がった。
深夜であるため、あたりはとてもシンとしていて、人の気配を一切感じさせなかった。
真っ直ぐ歩いていくと交差点に出て、左側にコンビニが見えた。
二十四時間営業ということは承知の上だが、深夜に営業しているコンビニに入店する客がいるのかと思ってしまう。
コンビニに目をやると客だと思われる男性二人がおやつコーナーを物色している。夜食だろう。
こんな時間に来ている人がいるのは正直驚目を丸くした。
交差点の信号を渡りそのまま右へ曲がった。
途中欠伸をしながら歩いている人を見かけたが、視線が明らかにこちらを向いていて早くよそを向いてくれと願った。
数十メートル歩くと高さが高く、長さも長い階段が見えた。
この校区では有名な「函端階段」だ。
よく運動部の生徒やウォーキングをする人がここに来て悲鳴を上げている。
園香は渚の家に行く以外、ここの階段を殆どと言っていいくらい上らないため、途中で横腹が痛くならないか心配になってきた。
__まあ私ならある程度の筋肉はあるから大丈夫でしょ。
自分にそう自信を持たすと階段を上り始めた。
一歩、一歩、また一歩と着実に上っていく。
足が地面につく音と自分の呼吸以外何も聞こえない。
沈黙の世界が支配する。
度々、ガサッという音が聞こえ、爛々と光る双眸がこちらを捉えている獣を確認できる。数匹いる時もある。
中間あたりでだんだんと心拍数が上がってきた。
額に一滴の汗が湧き出ては、頰をなぞって落ちる。
だが、自分に体に鞭を打ちながら歩き続ける。
そして、ハアハアと息が上がってきた頃、ようやく階段を上り切ることができた。
上から上ってきた方向を見下ろすととても高い。
ここを自分が上ってきたんだと思うと、自然と自分が誇らしげに思えてきた。
新調されたばかりだと思われるベンチがそばにあったため、そこに座り数分休憩した。
右手につけてある腕時計の時間を見ると、もう深夜二時を回ろうとしていた。
もうじき丑三つ時である。
はぁーっと深い溜息をつくと空を見上げた。
今日はとても晴れていたので夜空も雲が見当たらないくらいすっきりとしていた。
さらに、幸いにも街灯のみ朧げに光っているので星もよく見えた。
__そういえば小学校の時、渚と理科の授業で『夏の大三角形』とかした時にここに来て実際に見てたなぁ。
__もう結構前になるんだね。
まだ幼かった頃の記憶が蘇ってくる。
このベンチではないが、どこかに座って一緒に眺めていた。
星座早見盤と懐中電灯を各自持ち、今ほどではないがかなり夜が深い時間まで一緒に話しては笑っていた。
もう一度あの頃に戻れるなら、私は__。
つい昔の記憶ばかりに意識が向き、本来のここへ来た目的を危うく忘れかけそうになった。
__危ない危ない、私ってばいつもこうなんだから。
ベンチから立ち上がると、背中がポキリと嫌な音を立てた。
長時間座っていないのに、なんでだろうなと思ったが、最近よく眠れていないことを思い出し、原因はそれだろうと仮定した。
渚は確か、「住宅街の中の青い屋根の家でソーラーパネルを付けている」とか言っていたはずなので、住宅街の中から探そうとした。
「前に来た時はこっちだったよね…。」
以前来た時__かなり前の話だが、その時はこの場を左に曲がり、五軒ぐらい進んだところでさらに右に曲がり手前から数えて四番目の家が渚の家であったはずだ。
この記憶が正しければたどり着けるはずなので、記憶だけを頼りに歩き進めた。
自分がここら辺に来ていない間に、外見のリフォームや引っ越し、整備工事などが行われているのを耳にしていたので、以前とは少し見た目が違っていた。
__確かここは内藤先輩の家だけど引っ越して村田になってるね。最近来た人かな。
__この家は前は白塗りの見た目だったのに黄色になってるね。派手なのが好きなのかな。
周りの住宅を見ながら歩き進めているうちに、気がつけば渚の家の前まで着いていた。
「ここで合ってるよね…?」
表札を見るとしっかりと『水上』と彫られている。
間違いない、ここだと確信した。
しかし、どう話しかけようか迷った。
先程のことがあって、本人はおそらく自分の正体がバレてなかなか話題に入りづらいだろう。
なんとかこっちから話しかけて本題に入れようとするが、他の話題が思いつかない。
__渚と…こう二人で話し合うのって結構久しぶりだな。やっぱり時が過ぎると色々と関係が気まずくなっちゃうのかな…。
渚とに距離感に寂しさを感じていた。
__どうしようかな…実際に会ってから何も話せなかったら。
会うことに不安を感じ始めていた。
いつもなら…いつもなら普通にインターフォンを押して「渚ー、来たよー」などと言えるのに、何故だが肩に重りが乗り、口を開こうとしているのに外から塞がれたように開けず、喉が渇き、腕が重力に引っ張られ何も出来ない。
__どうしよう、このまま帰るわけにはいか__
「あ、園香。」
前方の方から声がかかった。
ハッと顔を上げるとそこには制服を着たいつも通りの渚がいた。
顔は相変わらず無表情で黒縁の眼鏡の奥からは水晶のような純粋な黒き双眸がこちらを捉えている。
「渚…。」
園香は渚の姿に名前を呼ぶことしかできなかった。
「…とりあえず、家に入ってくれる?ここで話すのも暗いし…。」
園香は渚の家へと入った。
部屋に入ると驚いたことに、前回来た時は数年前なのにほとんど家具や私物等があまりと言っていいほどに変わっていなかった。
趣味はコロコロ変わる人がいれば、変わらない人もいるんだなと初めて知れた。
渚は戸棚からコップを二つ用意すると、冷蔵庫から冷えているペットボトルに入った麦茶を注いだ。
コポコポと軽快な音を立てながら二人の空気を貫く。
麦茶を注いだコップをテーブルへと運ぶと渚は椅子に座り、園香は渚に座っていいよと目線で言われるとその場にあった椅子に座った。
二人が同時に麦茶に口をつけ少し飲んだ。
人の家と自分の家では麦茶の味が違ったりするので、結構これがおもしろかったりする。
しかし、このまま黙っていてはまた妙な空気になるためなんとか話題を持ちかけた。
「あ、あのさあ渚。この前のテレビで『クイズ・オブ・クイズ』見た?」
「うん、見たよ。あの問題正直解ける人なんていないと思ったんだけど…結構解けている人いたね。」
「そうだよね。私もあんな問題出されたらすぐに頭が痛くなるよ。あはは。」
この前、それも三日前だがテレビでやっていた番組を話題に出すと偶然にもそれを渚は見ていたらしくなんとか話を繋げることはできた。
あとはこの空間を途切れないように意識するのみだ。
「それでさー、あれ中学生でも出来るらしいよ。こっちの中学校で誰か行く人いないのかな?」
「多分私たちの学年だと石橋君とか田中さんが行ってもおかしくないんじゃないかな。あの二人はこの学校きっての秀才だしね。」
「確かに。私その二人出たら応援しに行くよ。」
だが、こうして会話をしていても何か妙は雰囲気が流れていた。
__こうして会話してるのもいいけどなんだかね…。
話の続きを考えるためもう一度麦茶を口へと運んだ。
徐々に喉が潤っていく。
だがこのままで良いのだろうか。
妙な違和感のまま本題へ入り、そのまま話を進めなあなあに終わり、明日からもこの関係が続くのならばもう二人の距離はこのままか、あるいはさらに離れてしまうだろう。
園香は一度考えてみた。
もしかすると今まで私が他の子とよくいるからそれで話しにくかったんじゃないかな。
渚って割とそういうところ昔からあるし。
そう、昔っから。三つ子の魂百までとかいうからありえるよね。
渚も多分自分がそういう性格だって理解しているはずだしね。
…………いや、違う。そうやって私は、渚が渚がって自分に都合の良いように見ようとしてたんじゃないか。
いつからか知らないし分からないけど…いやこれも違う。
自分で知ろうとも分かろうともしてないんじゃないか。
自分でそれを認めて受け入れてしまうのか怖いのではないか。
それを目や耳で体感して事実を見ようとはしなくなかったのではないか。
__自分で『水上渚』と溝を作っていたのではないか。
いつも一緒にいた渚なのに何故こうも溝を作ってしまったのか。
今の渚とは何故だが大きく分厚い冷たい壁があるように感じる。
今改めて考えると、その壁もなんだが自分が無意識に立てたようにしか思えない。
自分で無意識に築き上げてそれを相手との距離と勝手に仮定して、勝手に自分から隔てていた。
相手ではなく自分が無意識に。
そう思うと自分に怒りの矛先が向いた。
その衝動で思わず自分を全力で殴りそうになったがそれはやめておいた。
殴るよりもっと大事なことをすべきではないか。
今目の前にいる『水上渚』に対して__。
「渚。」
渚は俯きかけていた顔を上げこちらを見た。園香は躊躇せずに話した。
「私もう耐えきれない。渚ともっと仲良くしたいはずなのにどうしてこうもなかなか自分から話しかけにくいのかな…。小学校の頃とかさ、なんでも話せるぐらい仲良かったでしょ…どうしてこうなったのかな…。」
園香は渚の顔を見て話しているうちにだんだんと言いたいことがまとまらなくなってついには本当に話したいことを忘れそうになった。
気持ちはもうまとまっていて言いたいことも決まっている。
なのに渚の顔を見たらなんだがこっちの気が弱くなって、思わず目を背けそうになって…。
「__園香、それは違う。」
今度は渚から声がかかった。
少し渚の顔からずらしかけていた視線を元に戻すと、
「…ッ。」
渚は目にうっすらと涙を浮かべていた。
今にもこぼれ落ちそうな涙が目をじんわりとにじませる。
「園香は…園香はさ、私がその、小学校の頃とか怪我した時にも『この原因は私のせいだ』って言ってたよね…。違うよ、全然違うよ。園香は…なんでも自分で拾おうとしてるんだよ。他人のことも、少し離れた人のことも、私のことも…。」
渚もだんだん視線がこちらからずれてきている。
しかし園香とは違い、そのまま話を終わらそうとはしていない。
「園香は自分でなんでもかんでも抱えすぎだよ…もっとさ、こう…他人に任せても良いんだよ。頼っても良いんだよ。そうじゃないと…なんだか私も…頼られていないようで、ちょっと心配しちゃうの。」
渚は麦茶を一度飲み干してから話を続けた。
「私だってさ、このことを昔っから薄々勘付いていたんだよ。最近なんか、特に自分で色々と抱え込みにいくようになってしまって…そういうのは嫌いじゃないよ。でも園香のことだからいつか大爆発起こしそうでね…。」
そう言うと、渚はクスッと笑みをこぼした。
同時に両目の涙が堪え切れないように頰を伝い流れた。
「私だって、園香の親友だよ?たまには頼ってよ。」
__…バカだ。
__私って大バカものだ。
渚の微笑みを見て心が長い時間の縛りを解いてくれたような気がした。
そうだ、自分はいつもなんでもかんでも自分で抱え込みにいって「みんなのため」「みんなを助けたいため」などと自分にそう言い聞かせてコントロールしていた。
特にそのことについては不満や不服は一切感じなかった。
むしろ快感を感じていた。
自分が他人を助けると、その人はいつか自分にその借りを返してくれるようになる。
そうすれば一種の関係にようなものが築け、いわゆる『友達』という関係に成り上がることができる。
それを繰り返すために、何事にも自分から行き、自分から行動する。
「助けるよ」と言い断られてもひたすら次の仕事を探す。
長い年月が過ぎるといつしかそれが自分の真の性格であり、これこそが自分を語れると思っていた。
いつしかその行動が自分のかけがえのない親友を傷つけいた。
その結果が今の現状である。
新たな人と友達になりある程度の友情を築く。
今の親友と少し距離を取り目を閉じて耳を塞いだ。
本当にバカだ。
バカでクズでどうしようもないくらい哀れだ。
だがそんな私をいつまでも渚は待っていてくれた。
『親友』という名の駅のホームでいつまでも帰ってくるのを待っていたのだ。
それに気づかず、いや、気づきたい意識を意図的に遠のけその駅を飛ばしていたのだ。
準特急とか快速急行とかに乗っても、心のアナウンスでは存在は確かめられているのに。
「渚…。」
何を言おうか考えるが言葉が詰まって出てこない。
一度落ち着こうと麦茶を少し飲んだ。
「園香、私は今からいろんなことを話すね。でもそのことは園香にとっては『一人の友達』としての思いで捉えているかもしれない。でもね、私の中では『たった一人の私の親友』として捉えているよ。園香はどう?今から私が話すことをどう捉える?」
笑顔で質問を投げた。
園香はそれに見合う答えを投げる。
「私は…私は、『たった一人の私の親友』として捉えるよ。」