思い出?記憶?
記録じゃね?
私が私として認識したのは、幼稚園の入園の時だ。
軽トラで母親が運転していた。助手席に乗せられて幼稚園に向かったのが私の最初の記憶。
記憶とは、人間的な言葉では思い出とされる。
だけど、人間はとにかく改竄が好きのようだ。思い出も改竄する。
言葉を変えると記憶を封印しているように聞こえる。
そりゃそうだ。
記憶なんて当てにもならないし、必要性を感じない。だって、要らないものではないか?
記憶を深く掘り下げたくないのが人間の基本的な行動である。
嘘…
…誠
この言葉の中間にいるのが現実ではないのか?
難しい質問だなー
久しぶりだね。
疲れないのか?無理な創造と戦うのは?
疲れているよ。
記憶ねー。記憶はなんで保管されてるのか…
思い出があるから記憶されるんでない?悪い思い出も、良い思い出も記憶される…これは、記憶することで個人を己を認識しようとしているのではないか?
いやいや、それは無い。認識だけだったら、補うことや嘘を必要としないだろ?
確かに。あったことをそのまま記憶すればいいからね。
恐らく記憶と思い出で若干違うのでないか?
記憶と思い出…
恐らく記憶は数字、漢字の書き順とか、数があるものが記憶として認識される。いわゆる、数字で出せるデータじゃないか?
思い出は、色、会話、風景とかじゃない?だから、微妙な嘘や改竄ができる。無意識だから尚更ね。
はぁ?数字だって改竄は可能じゃないか?
だから、無意識なんだよ。故意の意識の中では改竄なんて余裕だろうが…
あーそうか。君にまた、教えられた気がする。
でも、また何故1番古い記憶…思い出を見たんだい。
わからないけど、懐かしさに惹かれたんじゃない?