第3話「リコとルイ①」
次の日、リコは私を気にも留めない様子でいた。
昨日のことなんてまるでなかったかのように、普段と変わらない日常のままだ。
窓際に座るリコは、やっぱりぼんやりと外を眺めている。
長い黒髪は相変わらず綺麗で、その顔立ちはすこしキツめだが端正と言っていい。
無表情なのが逆に絵になる風貌。怒ったり笑ったりするところは見たことがない。
……その彼女が露わにした感情。あれはなんだったのだろう。
――――私に関わらないで。
忠告だと彼女は言った。私のためだ、とも。
まるでキスを見られたことより、見てしまった私の方を心配するような。
それに普通は口止めしようとするものだと思うのに、そんなことは一言も言ってこなかった。
私が誰かに告げ口をしたとして、それによって困るのは彼女であるはず。
なぜだろう、本当に危ういのは私の方だと感じるのは。
「チサ、チーサ! どうしたのー?」
「うんうん、ずっとボーっとしてさ」
「……あ、ご、ごめん」
里穂と有希が心配そうに声をかけてきた。
3人で話をしていたことを忘れるくらい、私はリコのことが気になっていたらしい。
ただ、私はあの事を誰にも話す気はなかった。
言ったところで信じてもらえないからというのもある。
でもそれ以上に、あれは誰も侵してはならないと、そう思ったからだった。
リコと誰かのキス。
女性同士の、女性同士だからこそのキス。
その現場を目撃して、私が感じたのは『見てはいけないもの』だった。
それは果たして、学校だからとかキスそのものがどうとか、女性同士だからとか、そういう常識的な見方だけの話だったのだろうか。
リコの唇を思い出す。
触れてはいないけど、私の唇とは数センチだって隙間がないほど近づいていた。
ちょっとのはずみで、ほんの少しの意思で、重なり合ってたかもしれない唇。
そしてあの時、『かもしれない』ではなく、本当に『重なり合ってた』唇。
「相手は……誰なのだろう」
昨日とは違った気持ちの中で、再び芽生えた疑問が思わず口をついて出る。
里穂と有希はそれに気づいてはいなかった。
否、突然教室に響き渡った音に、二人は気を取られていた。
ガタンという音、それに続くバサバサと何かが落ちる音。
二人に続いて、私もその音のする方へ目を向けた。
「お、おい、北崎!? どうしたんだよっ!」
そこには二人のクラスメイトがいた。
そのうちの一人の男子生徒が慌てた様子で声を掛ける。
その視線の先には、北崎と呼ばれる女子生徒がうずくまって下を向いていた。
頭を抱え顔を伏せたままの彼女は、よく見ると小刻みに震えている。
突然の大きな音とただならぬ雰囲気に、教室にいた生徒全員がその様子に注目していた。
それでも誰かが何をするわけでもない。ザワザワと何かを口にするだけ。
その空気がいたたまれなくなったのか、男子生徒はもう一度、北崎に声をかけようとする。
「北崎、どうしたん――――」
「触らないで!!」
しん、と教室が静まり返る。
男子生徒を制止させたのは北崎ではなく、さっきまで窓の外をぼんやり眺めてたはずのリコだった。
男子生徒をにらみつけたまま、ツカツカと二人の元へ歩み寄っていく。
「彼女に、触らないで」
静かに、しかし強い圧を込めた物言いは、男子生徒に有無を言わさず引き下がらせる。
そのまま視線を北崎に移し、ゆっくりと彼女を抱きかかえて立ち上がった。
「北崎さんを保健室に連れていくから……先生にはそう伝えておいて」
クラスメイトにそう言い残し、二人は教室を出ていってしまった。