6月 その好意はいかほどか 4
改札間近にあるコーヒーショップからは人の流れは見えても、外の様子は見えなかった。
「明日も雨でしょうか」
「梅雨入りしたことだし、可能性は高いかもね」
次の電車時間までおおよそ三〇分、田中さんの路線の方が電車の本数が多いのできっと同程度付き合ってくれるつもりだろう。
「憂鬱ですねえ」
「通勤時間帯に小雨程度なら楽なんだけどね。内勤は行き帰りだけ何とかなれば濡れることはないし」
「時々、お使いがありますけど」
「大雨の中わざわざ出かけるほど緊急の用件なんてそうないと思わないか?」
「確かに」
以前に比べたら、田中さんとの話も慣れたものだった。
さほど気遣うことなく、緊張せずに話せる男の人は考えてみれば数えるほどしかいないななんて今更思い至る。
別に男性恐怖症だなんてつもりはない。単にこれまでは仲良しの女の子と話せれば充分だったし、積極的に男性と交流を深めて彼氏が欲しかったわけでもないといだけの話だった。
そんなわけで特に男性と会話する必要性を感じてなかったからだけど、だからこそ少しばかり苦手意識があったのかもしれない。
そうすると、確かに、田中さんは私にとってかなり特別な存在なのだろうなあ。
妹さんが二人いるからか、当たりが柔らかったんだと思う。
少しばかり感じていた距離は田中さんの妹さんたちと関わっていった中でだんだんなくなっていった。
ふと何かに思い当たろうとした時、
「沢口さん、聞いてる?」
遠慮がちな田中さんの声で私は我に返った。
「あ……えっと、聞いてませんでした」
気付きそうだった何かはぱっと霧散して、現実を思い出したあとにはばつの悪さが残った。
田中さんはそんな私に苦笑している。
「そっか」
「何でしたでしょうか」
いやあなんて呟きながら言いよどんだ田中さんが拳を握りしめたのが視界の端に見える。
「そろそろ、冷静に考えた結果が出たんじゃないかなあと聞いてみたんだけど。ちなみに俺の方は、結論に変わりないから」
まっすぐな視線をこちらに向けて、田中さんははっきり言った。
私を睨んでいるわけではなかったけど、偽りを許さないような鋭い眼差しから目をそらすことは出来なかった。
えっ、と乾いた声が口から漏れる。
冷静に考える、って。
連休のあの日、捨てぜりふのように私が残した言葉じゃないか。
偶然帰宅が一緒になっただけ、電車に乗り過ごしたからお茶を一緒になんてことになった今この時に、なんで一ヶ月以上前の話が蒸し返されたの?
これまでなんの音沙汰もなかった――ないものになっていると思っていた話が降って沸いたみたいで、私はひどく動揺した。
田中さんに言い残したからというよりは、紀子に忠告された結果、あれこれ考えていたことではあるけど。
「慎重な沢口さんでも、そろそろ何らかの結論は出た頃なんじゃない?」
今は全く酔っていない田中さんの迷いのなさそうな様子に比べて、私はどうか。
胸を張って言えるほどの何かを私はまだ見いだせていない。
だけど、そのことをそのまま口に出来なかった。
真剣に話している人に、そんなの失礼だと思った。
のどが渇いた気がして、カップを持ち上げる。ミルクと砂糖たっぷりのカフェラテだけど、コーヒーのいい香りがする。
その香りで少しだけ緊張が緩んだ気がした。
「私は……」
そして、目の前の人から目だけは逸らさずに、結論ともいいがたいものを話した。
田中さんに好意を感じているのは確実なこと。
恋愛経験値が無くてそれがどれほどのものなのか自分でもわからないこと。
だけど、異性に対する気持ちとしてはこれまでにないものだということを。
上手にまとまっているとは言えない取り留めのない話を、田中さんは静かに聞いてくれた。
好意を確信しているのなら、もしかしたらこんなことをくどくど言わずに、親友の忠告通りに「熟考した結果お付き合いしてください」とか何とかいうべきなのかもしれないとは考えた。
でも、自分の気持ちが不明瞭なままで口にすることは、できなかった。
田中さんは、穏やかで優しくて、かっこいい。その上、私なんかにもったいないくらいとても出来た人だ。
あやふやになんとなくでお付き合いに踏み出すなんて失礼だ。
結論とも言えない主張をどうにかまとめる時間を捻出しようと飲み物に手を伸ばしたときだった。
一つ大きくうなずいた田中さんが、にっこりとした。
「前向きに検討した結果、交際を了承してくれると」
瞬間、飲みかけたカフェラテを吹いてしまうかと思った。
「え、あの……」
「つまりそういうことだね」
あたふたする私に気付いたそぶりもなく、田中さんはそんな風にまとめてしまった。
「あっ、そろそろ電車の時間だ」
「えええ、あ、あの、田中さんっ」
「ほら急がないと、また乗り過ごすぞ。今度は週末にでも二人で出かけような」
カップは片づけておくからと追い立てられ、反論の声なんて上げる余地は全くなかった。
電車にさらに乗り遅れるよりも、なし崩しに決まることの方が重要だというのに――動揺している間に去年からさんざんお世話になっている先輩に反射的に従ってしまった。
店を飛び出し、改札を通り抜け、今にも発車しようとしている電車に飛び込んだあとで我に帰っても遅い。
あのまとまりのない話がなぜ田中さんの中でお付き合いを了承したという意味で取られたのか、解せない。異論を挟もうと思ったのに有無を言わせずまとめられた気がしてならないのは気のせいだろうか?
優しいんだけど案外強引なところもあった気がするなと思い出してみたり、いやむしろ優しいからこそ煮え切らない私の背を押してくれたのかもしれないと考えてみたけど、よくわからない。
わかるのは、つい先ほど私の彼氏いない歴に終止符が打たれたことと、電車の窓に映る自分の顔がちっとも困っていない――むしろ、どことなくにやけているような気がする――ということだけだった。
END
これにて本編完結です。
近いうちに番外編を投稿したいと考えています。




