5月 バーベキューは連休に 2
前述の経緯を電話の向こうで語られた田中さんは、どうやらたいそうおかんむりのようだった。
「沢口さんに迷惑を掛けるな」といった趣旨のお説教が遠くの方からうっすら聞こえたから間違いない。
ほのちゃんからスマホを受け取ったまゆちゃんがひたすら「あいりちゃんがきてくれるとまゆうれしいなー。だめ? だめ? だめなの?」と言っていたから、田中さんのお説教の詳細は不明だ。
やがてまゆちゃんからスマホを取り上げた田中さんのため息は、私のスマホのスピーカーからはっきりと聞こえた。
「妹が重ね重ね大変なご迷惑を掛けて申し訳ない」
「あ、いえ、どうも」
「二人とも調子に乗るから適当にあしらっていいんだよ?」
「いや……こちらこそ、付け入る隙を見せて申し訳ないです」
田中さんは私の言葉に「ほのがしたたかに巧いこと話を持って行くタイプなのは知ってる」と毒を漏らす。
「さわ――愛理ちゃんも、確か長子だよね。一番上はそういうのに付け入られやすいと常々思ってるんだよね、俺」
田中さんはもう一度ため息を漏らした。
「君が付け入られてもいいのなら、まゆもうるさいのでぜひおいで? 明後日から一泊二日で家の親は社員旅行で不在だから、何も気にしなくていいし」
「ご迷惑じゃないですか?」
「むしろいてくれると、実は助かる。昼から夜に掛けてダラダラ肉を焼こうと思ってるんだけど、ほのがいないから」
「えっ」
田中さんはバーベキューをするのはまゆちゃんのたっての希望なのだとその理由を語ってくれた。
夜からはじめてはまゆちゃんが寝るのが遅くなるし、日中はほのちゃんが塾の講習だから参加できないし、もういっそ昼の遅めから夜に掛けてだらだらやるのだと。
話し相手になったり、火のそばを離れるときにまゆちゃんのことを見てくれるとうれしいのだと続けられたら。
こう、ねえ?
うしろで「あいりちゃーんきてきてきてー!」というまゆちゃんの声の後押しを受けてですね、ついうなずいちゃったのよねー。
そして、当日。
最寄りのバス停まで迎えに出るという田中さんの申し出には断りを入れて、私は教えてもらった住所とナビアプリを頼りに田中家を訪問した。
ご両親から軍資金がでているという田中さんは手ぶらを推奨したけど、お家にお邪魔するのになにもなしはいただけない。手みやげには自宅から近い洋菓子店のシュークリームと焼き菓子を買い込んだ。
バーベキューだけではきっと物足りない。シュークリームは今日のデザートに食べる気満々だ。焼き菓子の方も食べてもいいけど、余ればご両親にもどうぞと伝えるつもりだ。
この作戦で行けば、田中さんにも文句はあるまい。
田中家に到着して挨拶を交わし手みやげを渡した後は、もう早速バーベキューだった。
開始予定時刻は十三時。その予定に間に合うよう、田中さんはきっちりと火を起こしていてくれた。
一度中にお邪魔して手みやげを渡した後、お勝手口から庭へ出た。
そこには、やる気満々の用意がしつらえてあった。
具体的に言うならば、私がやる気を感じた物体はテントだった。
田中さんのお宅はいわゆる新興住宅地にあるのだけど、角地で面積は広そうだ。玄関からは木で目隠しされていた庭に、緑色のテントが鎮座していて驚いた。
テントといってもキャンプに使用するような三角のあれではなく、運動会でよく見るあのテントの小さくてアウトドア仕様のもの。屋根の部分にあたる布が緑色をしているだけで、何となくそんな気がする。
そのテントの下に人数分のレジャーイスとバーベキューコンロ、少し離れたところにクーラーボックス。
そこまでやる気満々なのかと戦々恐々としていたら、結果としてクーラーボックスはただの物置だった。
田中さんは室内から食材を持ってきて、クーラーボックスの上にででんと置いたし、飲み物だって最後に冷蔵庫の中から取ってきたからね。
「麦茶にルイボスティー、それから野菜ジュース。アルコールは色々揃ってるけどどうする? ちなみに俺は、とりあえずビールなんで遠慮なく」
昼から飲むのはどうかと思ったけど、むしろ飲めと言わんばかりに銘柄を述べてくれる田中さんの勧めに私は応じた。
甘めの梅酒のロックと麦茶を交互に飲みながら、焼いてもらった食材を食べ進む。
「野菜がないって? 切って焼いてもどうせまゆが食わないしなー。必要なら切るよ。焼けるものはあるから」
野菜が足りない件について聞いてみたら、あっさりと田中さんは言った。
「いえ、まゆちゃんが食べないなら大丈夫です」
「悪いね。本当は野菜食べた方がいいんだろうけど――たまにはいいかってことで。あとで野菜ジュース入れようか?」
「コップが空いたら、まゆちゃんのついでの時にでもお願いします」
「了解」
田中さんは鼻歌交じりでご機嫌だった。
ビールをちびちびとやってるようだけど、なにせ缶を口にする頻度が多いので飲酒量は結構かさんでいそうだ。
飲み会の時にはそんな印象は持たなかったけど、意外と田中さんは飲める人のようだ。いくら飲めるといっても、職場の飲み会で気を緩ませるようなことはないのだろう。
ソーセージを数本と少しのお肉、それに田中さんのお手製らしきおにぎりを一つ。それから三種の野菜たちを食べたまゆちゃんはお腹が満ちたのか庭の片隅で遊びはじめている。
大人が食事中であることに気を使ってか、危ない火の近くに近寄らないようにか、遊ぶ彼女は特にこちらに何か言ってくるような様子はない。
田中家の庭の片隅にはレンガで囲われた小さな砂場があって、まゆちゃんは何かを作ろうとしているようだ。完成したら「みてみて!」と駆け寄ってきそうな予感はした。
「インドア派の割に、アウトドアなバーベキューの手際がいいですね」
ほのちゃんの帰宅は夕方だそうだけど、田中さんの維持する炭の火はそこまで持つのだろうか。いや、持たすのだろうけど――ちょこちょこ食べていると、結構お腹にくる。
田中さんもそれを感じてか、だんだん食材の投入ペースは落ちてきた。
何となく間を持たすための問いかけに、「ああ」と声を上げた田中さんは唇の端を笑みの形に持ち上げた。
「実際慣れてるしね。バーベキューはお手軽なレジャーでしょ」
「お手軽、でしょうか?」
「山だの海だの川だの公園だのに行くなら大変だけど、家バーベキューなら材料用意するだけでいいし」
「はあ」
「家の外にはいるけど、俺の中ではこれインドア」
田中さんはにこにこと明らかに矛盾することを言い切った。
「室内で焼き肉は油が散って母親が渋い顔するし、外で焼けばその点は平気でしょ。うち、幸い角地だからそこまでご近所を気にしなくてもいいし」
「テントとか、出すのも片づけるのも大変じゃないです?」
「ああ、それは、ちょっと大変かも。簡単な仕組みでもさすがに一人じゃ無理だからいつもは親父とするんだけど、今日はほのが出る前に一緒にやったよ」
室内で焼き肉した方がよっぽどあとが楽だと私は思うけど、田中さんはそんなものは手間とも思っていないようだ。
「炭で焼いた方が何でも旨いじゃん?」
「そうですか?」
「餅とかトースターと焼いて比べると歴然だから」
そのために真冬に炭をおこしたついでにお肉も焼いたとか、サンマのためにもだとか、続く田中さんの話を聞いていると年から年中炭を活用しているような印象を受ける。
「冬でも火のそばなら暖かいよ」
「そういうもんですか」
「素人にはお勧めできないけど」
したり顔で言う田中さんも別にプロではないはずなんだけどなあ。
別に顔色に大きな変化は見えないけど、彼は酔っているようだ。いつもより口数が多いし、意外な一面を見せてくれる。
「焼おにぎりもおすすめなんだけど、焼こうか?」
「うわ、食べたいけど、もうギブです」
「じゃあ、さっき持ってきてくれたシュークリームは?」
「……それも今はちょっと」
「そしたらあれだ! 愛理ちゃんは焼きマシュマロって食ったことある?」
きょとんとする私を見て返答を悟ったらしい田中さんは、すっくと立ち上がると勝手口から室内へ。戻ってきた手には、アメリカンなパッケージのマシュマロと割り箸を持っていた。
「こうやって箸にぶっさしてそれから火であぶるんだけど、外カリ中トロでオススメ。ほら、自分で焼いてみる?」
準備万端のマシュマロを差し出されたら、お腹が満ちている気がしても興味本位で手を出してしまった。
甘いものは別腹と胸の内で呪文を唱えているうちに、マシュマロはみるみるその姿を変えた。
「そろそろいいと思うよ。熱いから気をつけて」
「はーい」
私ははふはふしながらマシュマロにかぶりついた。
田中さんの言うとおりに外がカリカリで、中はトロりとしていた。
「どう?」
「新触感ですね」
「だろ?」
ドヤ顔で私を見た田中さんは、自分も同じように焼いたマシュマロを口にする。
「ベタ甘いから、数食えるもんじゃないけど」
そしてそんな風に言うので、私はもっともだと深くうなずいた。




