2月 バレンタインは動物園 3
「まゆちゃん、あそびたい!」
きらきらした瞳で動物たちを見て回っていたはずのまゆちゃんが、さらにきらめく瞳で主張したのは、彼女が遊具を見つけたからのようだった。
「い……いってらっしゃい?」
どこの公園にでもありそうな、滑り台とブランコ。それから動物をかたどったバネのついた遊具。
それって近所の公園でも遊べそうだし今ここで行かないといけないのかしらとは思ったけど、うきうきした様子の女の子にそんなことは言えずに私は手を振った。
「いってくるね!」
飛び跳ねるように走るまゆちゃんを見送ってからほのちゃんを顔を見合わせる。
「私がまゆ見てるから、愛理ちゃんとおにーちゃんは先行ってていいよー」
ほのちゃんは後方の田中さんを振り返って、そんな提案をした。
「まゆが気付いたらうるさいから、先に行っちゃって!」
ひらひらと手を振って追い払われるようについその場を離れてから、田中さんと二人きりになった事実が追いついてくる。
「悪いね、沢口さん。妹たちが振り回しちゃって」
「いえ、そんなことは」
間に妹さんたちを挟まずに、一体田中さんと何を話せばいいんだろう。これまでちっとも個人的なおつきあいがなかったおかげで、話の種になりそうなことがちっともない。
当然、沈黙が苦痛でないような気心の知れた関係じゃない。これがたとえば紀子相手なら、ちょっとくらい黙っていたって平気なんだけどさ。
いくら話題がないからって、休みの日にわざわざ仕事の話を振るのも興ざめだよね。
少しの間続いた気まずい沈黙を破ったのは田中さんで、休憩がてら暖かいものを飲みに行くという提案に私は一も二もなくうなずいた。
寒空の下黙り込んだまま立ちすくんでいても確かに寒いだけだと、先導する田中さんにくっついて近くに見えた休憩所に向かった。
「せっかくの休日に、ホント申し訳ない」
田中さん自身は楽しんでなさそうなのに、そこそこ楽しんでいる私に下手に出てくれるとか、こっちこそ申し訳ない。
「大丈夫です。ありがとうございます」
しかもこの人、席を確保するや手早くほのちゃんに連絡入れてから、飲み物まで買ってきてくれるんだよ。
手渡された熱いくらいの缶飲料は、私好みの甘いカフェオレ。
後輩の好みを熟知してて聞かずとも手渡してくるとか、さすがだ。何がさすがかよくわからないけど、さすがだよね!
出来る人というのはこういう人だってお手本みたい。
「久々なので、結構楽しいです。大人でも楽しめるものですね、動物園って」
こういうところがイケてるんだろうなあと感心しながら楽しんでいるアピールをしておくと、田中さんはそうかあなんて言って首をひねっている。
その様子を見るに、やっぱり田中さんはあまり楽しくない様子だ。いい年した男の人に動物園はこどもっぽすぎたのかも。
気遣ってくれる田中さんの気持ちを軽くするためにも、明るくそうですよーって答えたけど、まだ納得していない様子だ。
「まゆちゃんも、ほのちゃんも元気ですよねー」
「まあ、元気だけは有り余ってるな、あいつらは」
苦笑がちに田中さんは妹さんたちを置いてきた遊具の方に視線を向ける。
「えーと、もしかして……田中さんはあまり楽しくないのでしょうか。動物園は好きじゃない、とか?」
田中さんの様子には自分は楽しめなくても仕方ないというような諦めが透けて見えた気がする。だからおそるおそる問いかけると、
「別に好きでも嫌いでもないな」
やっぱり楽しんではなさそうな微妙なお返事。
「まあ、沢口さんが楽しんでくれているなら良かったと思う」
そうなんですか、なんて間の抜けた返事の私に対してにっこり笑ってフォローしてくるとか……ほんと、気遣いの人だよね。
しれっとまばゆい笑顔を見せるとか、反則だと思うわ。
何を話そうと思っていたくらいだったのに、気付けば田中さんのいいおにいちゃんっぷりをたっぷり聞き込んでいた。本人は謙遜するけど、話を聞けば聞くほど理想のお兄ちゃんなのではって思えてきちゃう。
お兄ちゃんは大変なんだなあとも思うけど。
田中さんがイケメン枠なのにあまりモテる感じがないのは、いい人過ぎるからなんだろうか。
でもおなかが減って休憩所にやってきた妹さんたちと一緒にお弁当をいただいた後、料理がうまいから、彼女の必要性を感じてないのかもしれないという説もあり得ると考え直す。
男子の手が入っているからこそだろうけど、男子受けするお弁当に女子力感じたもん。田中さん自作の唐揚げおいしかったし。
ほのちゃんは「おにーちゃんはいいお嫁さんになると思う」だなんて田中さんをいじったくせに、兄の今後に危機感を感じているらしい。
確かにいい旦那様になりそうな気がすると乗っかったら、ここぞとばかりにおすすめされてしまった。
妹さんの相手をしている様子を見ている限り、家事育児一通り出来るイクメンになることは間違いなさそうだ。ほのちゃんがおすすめしたくなる気もわかる。
だけど私はもちろん丁重に断りを入れておいた。
田中さんには選ぶ権利ってものがあるんだよ。田中さんはよくできた旦那様になるだろうけど、私がそれに見合ういい奥さんになれるとはとても思えない。
私のようなおねーちゃんが欲しかったなんていってくれるほのちゃんとまゆちゃんに「お友達だからね」と私は誤魔化したのだった。
そこからの午後もまた、私は十分に楽しんだ。
お友達といった手前ほのちゃんと連絡先を交わし、次の約束のとっかかりをつけてしまったことは、今日一日とても楽しんでいたとは思えなかった田中さんには申し訳ないくらいだった。
だって、ほのちゃんは巧いこと話を持って行くし。
まゆちゃんの期待の籠もった視線を拒否なんて出来なかったんだもん。
鉄は熱いうちに打てとばかりにその夜、ほのちゃんからはマメなお礼メールが来た。
今日はありがとうと、兄の都合がつけばプラネタリウムを見に科学館に行きましょうねと、それが無理でも二人で一緒に服を買いに行ければ嬉しいなと――私の何が気に入ってくれたのか本当にお友達づきあいしてくれる気満々の文章だった。
だから私も「全員で集まるのは難しくても二人なら集まりやすいから、買い物にいけたらうれしいな」と無難な返事を返しておいた。




