4.妹がなにかたくらんでいる気がする
俺はかしましい三人娘を追いかけて、動物たちを順繰りに見て回った。
一番元気なまゆに合わせて歩くのは慣れていても骨が折れる。突然走ったかと思いきや急に立ち止まり、いつまでも動物を見ているかと思えばまた歩き出す。
それを追うほのかと沢口はやけに楽しそうに延々と話を続けている。顔を合わせたのが二度目だというのによくもまあそこまで話が続くものだ。
内容は行ったりきたり、はたまた彼方に飛んでいったり。
聞いているだけのこっちは目が回りそうなくらい話題が目まぐるしく変わっていく。
色々ついていけないが、自分がほのの相手をさせられるよりましだよな。前回俺を散々からかったことで満足したのか、ほのが沢口に振るのは俺の話題じゃねーし。
物理的に目まぐるしく動き続けているまゆも、なにかを見つけてうれしそうに話しかけるのは沢口だ。
暇なんでついつい自分がここにいる意味を考えてしまう状態だ。
マジで俺、なんでここにいるんだろうな?
動物なんぞにはさほど興味はないし、寒空の下でただ暇を持て余しているだけじゃないか。うんまあ、荷物持ちとか? 運転手とか? 保護者とか……いることに意味がないわけではないんだが。
なんてなことを考えていたのが悪かったんだろうか。
俺は気付けば沢口と二人きりになっていた。
――というのは、語弊があるんだが。
まあ、結果として彼女と二人きりになったのは事実だった。
そんな状況になったのは決してうちの妹どもが迷子になったとかそんな理由ではない。寒いからかあまり混んでいない動物園でたとえまゆが一人突っ走っていくことがあったとしても、後ろ姿から目を離しさえすればそうそう迷子になることなんてない。
じゃあなんで二人きりなんてことになったのかと問われれば、あれだ。
迷子にはならなかった妹が、遊具に引っかかったから。
うちの近所の公園にもあるような滑り台でなんで遊びたいのか、全く理解できない。動物園なんて滅多に来れないんだから、ここぞとばかりに動物を見たおすのが筋じゃねえのって思うんだが……。
そんなことお構いなしにまゆは遊ぶ気満々だった。
「私がまゆ見てるから、愛理ちゃんとおにーちゃんは先行ってていいよー」
そのやる気を見るやほのがそう言ったので二人きりになることになったってわけだ。
沢口に問題はないんだが、俺は途方に暮れそうになった。何故って、ほのがなにかたくらんでいる風だったからだ。
何でもないように装っているけど、生まれた時からの言動を見知っている俺にはなにかたくらんでいることがわかる。ただ、残念なことに何をたくらんでいるかまではわからないのだった。
「まゆが気付いたらうるさいから、先に行っちゃって!」
ほのに追い立てられるように遊具のそばから離れた後にほのの様子に違和感を覚えても、すでに遅い。
夢中になれば滑り台一つでも何十分と遊べるまゆのことを知っているからこそ、そこで戻る気にはなれなかった。
「悪いね、沢口さん。妹たちが振り回しちゃって」
「いえ、そんなことは」
今まで妹たちが騒がしかった分、二人きりになった途端に妙に気まずい。
「あーっと、寒いし、休憩がてら温かいものでも飲みに行くか?」
提案にうなずいた沢口と、連れだって休憩所に向かった。
「せっかくの休日に、ホント申し訳ない」
人気のない休憩所で席を確保すると、ほのに居場所をメールして、備え付けの自販機でコーヒーとカフェオレを購入する。
「大丈夫です。ありがとうございます」
ミルクがないとコーヒーなんて飲めないという沢口にカフェオレを差し出すと、彼女はぺこりと頭を下げた。
「久々なので、結構楽しいです。大人でも楽しめるものですね、動物園って」
「……そうかぁ?」
気を使って言ってるんじゃないかと疑わしく思うが、手の中で缶をころころさせている沢口は「そうですよー」なんて気安くうなずいている。
「まゆちゃんも、ほのちゃんも元気ですよねー」
ようやくプルトップをぷしっとやって、沢口は感想をぽそり。
「まあ、元気だけは有り余ってるな、あいつらは」
「えーと、もしかして……田中さんはあまり楽しくないのでしょうか。動物園は好きじゃない、とか?」
なんというか気遣わしげな沢口に、嘘はつけなかった。
「別に好きでも嫌いでもないな」
「そうなんですか」
「まあ、沢口さんが楽しんでくれているなら良かったと思う」
沢口は目をぱちくりとさせて、ついでに視線をあちこちにさまよわせた。
「えーと、私だけ楽しんで申し訳ないです」
「いやいやっ」
やがておずおずと口にする彼女に追い立てられるように俺は慌てて手を振った。
「俺に申し訳なく感じるくらい楽しんでいてもらえてるなら、時間をとってもらった申し訳なさも軽減するってもんで」
「でもそれって――田中さんはあまり楽しくないってことですよね?」
「う」
「動物園じゃなくて、別の場所でも良かったんですよ?」
「いや、俺基本インドアなもんで、別の場所っつっても思いつかないというか、ね?」
苦笑いで誤魔化す俺に、沢口の呆れたような視線が突き刺さる。
「田中さんって……いいお兄ちゃんですよねえ」
ただ、続いた言葉はしみじみと感心したようなものだった。
「いや、そんなんじゃないよ」
俺はいい兄なんてものじゃない。ただ単に、一番年上の子供ってだけで年の離れた妹たちの世話を何となく任されて、それを拒否できずにこれまできただけで。
ようは、押しに弱いってことだと今では苦々しく自覚している。
全く情けない話だった。
「なかなかできることじゃないと思いますよ。お休みの日に妹の引率をしてあげるなんて」
なのにそこを取り上げて誉めてくるとかやめて欲しい。
沢口はこちらが謙遜していると思ったようで、なにやらにこにこしている。
止めろそんなまぶしい目で見んな、なんて、まさか言えない。
俺はなんだかいたたまれなくなって、見えもしない妹どもの様子を見る振りをして沢口から目をそらした。
「普段はどこに行ったりするんです?」
「いや、誤解があるようだけど、別にそう頻繁にあいつらと出かけてるわけじゃないからね?」
のんびりしたいという両親の要請に従って、休日の午後近所の公園に連れ出すくらいで、この間や今日みたいなおでかけなんてそうそうしない。
両親としては、兄妹と言うには年の離れている俺たちの結束を深めたい思惑でもあるんじゃないかと思うからあまり断らないようにはしてるけど、正直なところちょっと面倒くさいときは結構ある。
「まったまたー」
「いやだからマジで」
「インドアって言うと、どこに行くんでしょう」
ほのと喋りまくった影響でエンジンでもかかってるのか、沢口が職場では見られないくらいにぐいぐいくる。
インドアって言うのは――家でゲームするのが好きだから胸張って言えねえよ!
俺は愛想笑いを浮かべながら、頭を回転させた。
「えーと、ほら、その――かがくかん、とか? 行ったなあ」
何とか記憶の端に引っかかった場所を口にすると、彼女は納得の様子だ。
「なんか、親父の職場の福利厚生かなんかの一環で行ったんだけど。まゆがまだちいさくてさあ」
俺は聞かれてもないのに小さな嘘がばれないように一回こっきりしかまゆを連れて行っていない場所の思い出をつらつらと語った。
家族でプラネタリウムに入ったってのに、暗闇をまゆが怖がって妹を膝に乗せてた俺が必然的に連れ出すことになった話を。
別にものすごく見たかったわけじゃないけど、見れないとなるとなんだかもったいない気がしたよなあ。
だからってもう一度入るような気力も、日を改めて出かけるようなアクティブさもなくてさ。
なんてなことを考えていたら。
「ぷらねたりうむ!」
「うわっ」
不意にまゆの声がすぐ近くで聞こえた。
「いくの? いくの? まゆちゃんもいきたい!」
「違う。昔行った話だ」
「おほしさまがみれるんだよね? いいないいなー。まゆちゃんもいきたい」
そのお前と行った話だよなんて理屈は残念ながらまゆには通じない。
いいないいな攻撃を何とかかわしたのは「ほら、おなかが空いたからお昼にするんでしょ」って言ったほのの一言だ。
「た……えっと、和真さんとほのちゃんが、まゆちゃんのために作ってくれたんでしょー。愛理ちゃんも食べたいなあ」
だだをこねるまゆを宥めにかかってくれる沢口は神だろうか。彼女はあとねえとにっこり笑って、そうっとまゆの耳に口を近づけた。
「えーっ、えーっ、ほんと、ほんとに?」
何を言ったものだか、ごねモードに突入しかけていたまゆがころりと表情を変える。
わーいと沢口に一瞬抱きついてから、まゆはご機嫌で沢口の横に座った。
「なんて言ったの?」
「まだ内緒です」
ないしょないしょっとまゆがそれに追従する。
俺はきょとん顔のほのと顔を見合わせてから、まゆがごまかせたからいいかと思ってトートバックから弁当を取り出すことにした。
人目がない時に名前呼びをする度胸はお互いにない二人です。




