田中さんのご家族と 前編
2/9 サブタイトル変更しました。
元旦から初詣もせずにショッピングに行くなんて。
そんな母の愚痴に「だって福袋買いたいし」なんて言い訳しながら、家を出てきたわけなんだけど。
ごめんいけないかぜひいた。
漢字に変換する気力さえなさそうなメッセージだけでドタキャンされた。
ばかめ、よく休めってスタンプだけ送り返したけど、既読はつかない。
大方、風邪の原因は年越しで浮かれて夜更かしした結果、布団にも入らず寝落ちでして風邪引いたとかいうオチだろうなと想像できるわぁ。
十年来の付き合いの友人の行動パターンは大体想像できるもん。
できるなら、もっと早くに連絡欲しかった。
新春に浮かれ騒ぐ人の間で一人で買い物とかロンリー過ぎる。
スマホをポケットに滑り込ませながら、思わず黄昏る。
人混みに揉まれながら孤独にショッピング――うん、ちょっとないかも。
帰ろうかなーと、ショッピングモールの入り口に視線を向けた私は、そこで今まさに自動ドアをくぐり抜けようとしている田中さんの姿を発見した。
田中さんは、会社の先輩だ。大卒で入社して三年目、今年はじめて後輩の指導を担当したのだという。
浪人なり留年をしていないとするならばその後輩である私の二コ上。
優しい雰囲気の眼鏡男子で、話のしやすい人だなと日々感じている。社会人として当たり前の身だしなみには清潔感があり、好感が持てる。
飛び抜けてイケメンとは言えないけど、うちの会社ではイケている方だと認識されているみたい。
ただ、モテるとかそういうわけでは、全然ない。
真面目キャラでうわついてないのがその原因かな。落ち着いているのは学生時代から将来を見据えた彼女がいるからではないかと噂になったこともあるらしいから、それでかもしれないなんてことを私は考えていたわけなんだけど。
どうやら田中さんにいたのは将来を見据えた彼女ではなく、将来を誓い合った妻子だったらしい。
だって今、私の前方で、見るからに幸せそうに手を繋ぎ、明らかな親子連れの姿でいらっしゃったので。その姿はまさしく若夫婦と子ども……リア充と幟を立てて宣伝したい感じのご様子ですよ。
私は目をこれでもかと見開いて、見間違いではないか確認した。
つまり、イケメン枠なのにもてない様子だったのはいい人オーラが原因ではなかったのか。
まさか入社三年目の若き田中さんが既婚者だなんて、結婚指輪もないから気付かなかったわー。
意外と大きいお子さんがいるとか、予想外すぎる。所帯持ちだから落ち着いて見えたんだなと、すとんと胸に落ちた。
それにしても。
田中さんの奥さんはずいぶん若そうだ。遠目だけど、私とあまり変わらない感じがする。
そのくせ、両親と手をつなぐお嬢さんは入社三年目のサラリーマンの子とは思えないサイズ感がある。ような気がする。
いや、肥満とかじゃなくて。
年齢的に……小学生とまではいかないだろうけど、幼稚園やら保育園に通っていそうな感じがね。
いくつの時の子だよと。
学生結婚でもしてたのかよと。
これは――本人に直接尋ねるような勇気はないけど、誰かにこっそり聞いてみたいわあ。
なんて、思わずご家族をガン見していたのが悪かったんだよね。
田中さんが私の視線に気付いてこっちを見た。
娘さんの手を離して、田中さんはわざわざ後輩のところまで近づいてくる。
あのいいんですよ、家族サービス中でしょう。
面倒見ている職場の後輩(異性)なんかに声をかけては奥さん気を悪くするんじゃないでしょうか――いや、職場の同僚に偶然出会って挨拶する程度でお怒りな奥さまとかちょっとない感じかもしれないけども。
なんつーことをつらつら考えながら、
「あけましておめでとうございます」
言えるはずもない本音を押し隠して、私は新年らしくご挨拶だけはしてみる。
「うん、あけましておめでとう」
はじめて見る田中さんの私服は、ダメージジーンズにざっくり編まれたようなニット。その上に少し丈の長いジャケットを羽織ってる。
今日も優しげににこりと微笑んで、田中さんは返事をくれた。
「ご家族でお買い物ですか」
「うん、まあ、ちょっとね」
見ればわかるようなことを問いかける私に答える田中さんは苦笑する。
「寝正月するくらいなら荷物持ちしろって。困るよねえ」
そんな言葉を続けられたら、こっちがどうコメントすべきか困るんですけど。
「いいじゃない、どうせ暇なんでしょ」
いつの間にか近づいてきたらしい奥さんの声が私たちの間に割り込んだ。
尖ったその声に、夫婦喧嘩の気配を感じて私は密かにおののいた。
うっかり世間話を振った結果、新年早々若夫婦の仲をこじらせるとかッ!
ドタキャンから始まって今年ついてないわー!
「暇じゃねーし。寝てたのに早くから起こしやがって」
私から意識をそらして奥さんを振り返った田中さんの口調がいつもより荒いんですけど。
一応イケメン枠の優しい眼鏡男子どこ行ったの。
真面目で落ち着いたキャラは去年で終了したんですか?
田中家の新年のしきたりとかなんとか言い合う二人からそうっとフェードアウトしていいだろうか。
仕事始めには何も見なかった振りでごく普通に年始のご挨拶からはじめますので。
私が撤退すべくジリジリと後ずさっていた時だ。意識の外に追いやっていた小さな娘さんにくいっとコートの裾を引かれた。
「だれ?」
「え?」
「おともだち?」
小学生ではなさそうなお嬢さんの年齢は、間近で見てもよくわからない。この言葉のたどたどしい感じは、かなり幼い様子だけれど。
見上げる視線は腰くらいの高さ。透き通った瞳を無視するのは良心がとがめる。
「ええと、お友達では、ないなあ」
お父さんの会社の同僚じゃあ、わからないだろうか。
なんと言えばわかってもらえるだろう。
私は返答に悩んだ。
「じゃあ、だあれ?」
「えーと」
「まゆ」
悩みつつ口を開こうとした時に、幼子への対応に悩む私の窮地を田中さんは察してくれたらしい。
田中さんが娘さんのものらしき名前を呼んだので、私は無垢なる視線の圧力から脱することができた。
「このお姉さんは、兄ちゃんのお仕事のお友達の沢口さんだ」
「しゃわぐちさん」
娘さんは私の名前を言おうとしたようだけど、いまいち言えていない。
「そう、沢口さん」
滑舌が悪かったことなんて気にしない様子で、田中さんは力強く繰り返した。
「わー、職場の方なんですか」
険悪な様子で田中さんと言い合っていたはずの奥さんが、そこで声を上げた。田中さんを押し退けるように彼女は私の前へ出てくる。
「初めまして、私、田中ほのかといいます」
「あ、ええと、沢口愛理です。田中さんにはいつもお世話になっています」
笑顔の彼女に、私はひきつった笑みで名乗り返す。ついさっきまで田中さんと喧嘩していたほのかさんは、嘘みたいににこやかでフレンドリーだ。
「いえいえ、お世話なんてしないでしょう、この人はー」
「え、や、そんなことは」
「おっまっえっはっ! 人聞きの悪いこと言いやがって! 悪いねえ、沢口さん。こいつの言うことは気にしないでね?」
後ろからがっしりほのかさんの頭を掴みながら声だけ優しいとか、じんわり怖いよ田中さん。
今、きっと私の顔ははっきりひきつっていると思う。ギリギリ笑みの形になってるといいなと希望するけど、自信はない。
「ええ、はい、おかまいなく」
「ほら、こういう人なんですよう」
田中さんに後ろ頭を掴まれた絵面はひどいけど痛くはないらしくほのかさんはのほほんとしている。
「おにーちゃん、だめー」
二人の間に娘さんが割り込んで、ぐいぐい田中さんを押した。
あっけなく田中さんの手がほのかさんの頭から離れるのを、私は呆然と見た。
だって今、聞きました?
娘さんが田中さんをなんて呼んだか。
今お兄ちゃんって言いませんでした?
娘さんじゃなく? え、このお嬢ちゃんは田中さんの妹さん……?
いやまさか。
「えーと、この子は……田中さんの、娘さんでは」
「はっ? いや、違っ」
慌てる田中さんの様子に私ははっとひらめいた。
「姪っ子さんにお兄ちゃんと呼ばせていらっしゃる?」
「正真正銘の妹です」
「え」
若き田中さんがおじさん呼びを嫌った説は、驚くべき言葉で否定された。
えっ、田中さんって、大卒だよね? 私の三個上なら、二十五とか六だよね。
ええっ、妹って、何歳差ー!
瞬時に脳内を駆けめぐった田中家の家族構成の妄想は、お父さんが若い女と再婚して異母兄弟という線で落ち着こうとしたけど、
「引くよねー。俺も母親が産めなくなる前にもう一人欲しいとか言い出した時は引いた」
やや恥ずかしげに田中さんが言う様子からは、私の妄想は失礼なものだったらしい。
「はー、そうですか」
私はそれに気のない返事しかよこせなかった。
新年早々、先輩のいらん情報が増えたわぁ。
この小さなお嬢さんが妹さんだとすると、きっと奥さんだと思っていたほのかさんもおそらくは妹さんか。すると、さっきのは夫婦喧嘩じゃなくて兄弟喧嘩……うん、なんとなくしっくりくる。
妹二人と買い物――家族で買い物には違いない。
新年早々妹たちに人混みまで引っ張ってこられたら、たまたま出会った職場の同僚にちょっとくらいグチっても無理はないかもしれない。
それでもつきあってあげている田中さんはいいお兄ちゃんではあるんだろう。
ほのかさん相手には口が悪そうだけど、「おねーちゃんをいじめちゃだめ!」と怒る下の妹さん相手にはやんわりと「別にいじめたわけじゃないよー」と返答している。
いじめ……ではないとしても、相手が気心しれた妹とはいっても少々大人げない行為に見えたけど。
「ほのがおかしなことをいったから止めただけ」
「そーお?」
「うん、そうそう」
田中さんは幼い妹さんをたやすく煙に巻いて、ほのかさんにしたのとは全然違う手つきで頭をぽんとやる。
「ほら、それよりもごあいさつは?」
「おは……あっ、ちがった! あけまして、おめでとう、ございます? まゆちゃんです」
だけど対応の違いも理解できる気がする、幼いがゆえのかわいらしさがある妹さんだ。
なにかを期待するような視線に思わず膝を落として、私は彼女と目の高さを合わせた。
「あけましておめでとうございます、まゆちゃん。上手にごあいさつしてくれてありがとうね。お姉さんは、あいりっていうんだよ」
「しゃわぐちさん、あいりっておなまえ?」
そうと一つうなずいてやると、まゆちゃんはにこにこ笑う。
「あいりちゃんおかいものにきたの? まゆちゃんはねー、ふくぶくろかってもらうんだあ」
兄の友人と紹介された見知らぬ私だっていうのに人見知りする気配もなく、いきなりのちゃん付けだ。
かわいい、これはかわいい。近所にはうっかりするとおばさん呼びしてくる子もいるんだぜ……こっちはまだ二十代前半、自分がおばさんとは認めたくない。
自分のお友達感覚でちゃん付けしてくれた方が可愛いってもんだよねええぇ。
「そっかー。おねーさんも福袋買いにきたんだけどねえ。お友達が風邪を引いてこれなくなっちゃったから、つまらないから帰ろうかなって思ってたんだー」
「えーっ」
大げさなくらいにまゆちゃんは目を見開いた。
「じゃあ、まゆちゃんたちといっしょにくるといいよ!」
きらめく瞳で言いはじめるまゆちゃんに、「えっ」と声をあげて戸惑う私の声は届かない。
「いいこと言うねえ、まゆ!」
ちょっと待てと声をあげる田中さんの制止を気にせずに、ほのかさんが楽しげに妹の意見を受け入れて、
「せっかくなので一緒に行きましょう! 話し相手が兄と妹だけより、その方が楽しいです」
満面の笑みでそう続ける。
ほのかさんとまゆちゃんを順に見た田中さんは、呆れたようにため息をついた。
「あー、妹たちがこう言ってるんで、よければ一緒にどう? せっかく来たんだし、すぐ帰るのもったいないよ」
そう言う田中さんが本気で職場の後輩を誘っているとは思えないんだけど、 そうそうとぴょんぴょん跳ねるまゆちゃんの期待に満ちた瞳を見ていると、断るのは申し訳ない気がしてくる。
もしかすると田中さんも下の妹には弱いのかな。
そそっと近づいてきたほのかさんがささやくように「まゆが機嫌を損ねると面倒なので、ぜひお願いします」と言ってきたのもあって、私はまゆちゃん発の申し出を受け入れることに決めた。