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4.仁義、稼業を発します

2015年8月11日(火)11時18分、高知市消防局は救急車出動の要請を受けた。

直ちに有限会社柏木電業の所有する倉庫へ救急車を一台派遣し、同日12時22分、

現場に駆けつけた救急隊員は車の運転席で心肺停止状態の胡桃川靖彦を発見。

搬送された病院で死亡が確認された。

即日の司法解剖の結果、目立った外傷もなく毒物も検出されず、死因は「急性心不全」とされた。

他殺の要素は一切ない。

だがここで大きな問題が生じる。

死亡推定時刻は8月10日の午前中。

胡桃川の携帯から119番通報があったのが8月11日11時18分。

死んだ後、丸一日経過してから119番通報されていたことになり、

常識的に考えれば第三者が胡桃川の携帯を使って通報したものと考えられる。

当然、警察もそう考えた。

さらに死斑のでき方に不自然な点が多く、死後、この遺体は頻繁に動かされていたことが判明。

不審な点が多いことから第三者の関与の可能性が考えられるため、翌日から本格的に警察が捜査を開始した。

すぐに8月10日の13時33分に胡桃川の口座から殆どすべての預金が引き出されていることが発覚する。

だが、ここでも矛盾が生じた。

防犯カメラの映像と、窓口で対応した銀行員が本人確認した際の証言などから間違いなく胡桃川本人が来店し預金を下ろしていったことがわかり、

なおかつ消防局が録音していた通報時の音声も本人のものであることが確認された。

警察は軽く混乱しながらも捜査を継続する。

車内のカーナビからホームセンターが検索された履歴に基づいて足取りを追い、聞き込みを行った結果、

子猫を肩に乗せた胡桃川本人が大量のペット用品を買い込んでいたことが新事実として浮かび上がったが、

これは本筋とは関係がないとされた。

「まるで死体が歩き回ったかのようだ」

警察関係者は誰もがそう思い、噂しあったが、これを本気で会議上で具申するものは誰もいなかった。

買い込んだ大量のペット用品と多額の現金がどこに消えたのか。

なぜ本人の足取りと死亡推定時刻が矛盾するのか。

頭を抱えた末の3日後、警察関係者は一つの決断をする。


「事件性なし。」


実際、外傷もなく毒物も検出されていない。

死因はあくまでも急性心不全なのだ。

犯人などいるはずもない。

現金も本人が下ろしたのだから、何に使われたかは本人の自由であり問題ではない。

通報時の声も勤務先の同僚から本人のものであるという確認も取れた。

いささか強引であったが死亡推定時刻の錯誤であるという結論を下し、いくつかの疑問点を残しながらも最終的に胡桃川は病死として片づけられた。

鑑識は軽く反発もしたし、責任者も納得して下した結論ではなかったが、他に火急の案件があったこともあり、人手はそちらに回された。

捜査は事実上打ち切られることとなり、事態はほぼ京司の思惑通りに推移したと言える。


京司は通報した日から毎日倉庫の近くまで赴き、周辺を現場検証していた警察と倉庫を所有している会社の関係者に忍び寄ってその会話を盗み聞きしていた。

おおよその事情は把握している。

警察は首を傾げながらも捜査を打ち切る考えであることを聞いたとき、京司は思わずひとりでガッツポーズをとる。

その霊体にもはや黒い部分はない。いつの間にか穢れは消え去っていた。


-そうだろうよ、そうだろうよ。まさか俺様のようなかわいい子猫が下手人とは、お釈迦様でもお気づきあるめぇ。へけけけけ。


霊体の京司だけでなく、黒い子猫もまるで人間のように片頬を吊り上げてニタァと笑っていた。

比較的簡単に完全犯罪を成し遂げた京司はご機嫌であった。


その翌日も京司は朝から山間部を抜けて倉庫にやってきた。もはやこの偵察は日課となっている。

完全に人気がなくなったとき、何とか倉庫に戻るつもりでいたのだ。

倉庫近辺まで近づくと今日はなにやらお経が聞こえてきた。

いつものように子猫の体を木陰に待機させ、霊体で倉庫に近づき様子を伺う。


-…女の声…尼さんか?…尼さんがお経あげてんのか。ほぉぇ~…尼さんとは珍しいねぇ…


倉庫の正面で、僧衣を着た女性が間延びした声でお経を上げている。

その後ろに、黒いスーツを着た頭頂部の髪の毛が薄くて太った男が一人、数珠を握って手を合わせていた。

8月のこの炎天下、上着も脱がずに。

実に暑そうに見える。

どうやら死んだ胡桃川を供養しているようだった。

京司は彼らの正面に回り、二人を観察する。

男は見たことがあった。警察が現場検証をしている時にあれこれと説明をしていた男だ。

続いてお経を上げている尼僧を見た。

剃髪しておらず、髪の毛を三つ編みにしている。ずいぶん若く、というより幼くすら見えた。

黒の僧衣を自然に着こなしており、全くつっかえることなく、かむことなく、独特の抑揚でお経を上げている。


-若いのに上手なもんだよ。こいつに頼んだらおっかさんの分のお経もあげてくんねぇかな。


そんなことを考えながら正面に回り込んで近づき……目が合った。

経を読む声がそこで止まり、少女は固まって口をパクパクさせている。


-え?こっち見えてる?お、おう、こんにちは?


「で、でました!そこにいます!そこにいますよお化け!」うろたえながら少女が京司を指をさして叫ぶ。

「ええっ!?…何言ってんの住職?…え、まさかホントにいるの?ちょっと勘弁してよ!」

「ホントにいるんです!なんかガラが悪いヤクザみたいなヤツがいます!」


-ガラが悪いヤクザで悪かったな…っておお!俺が見えるのか!お嬢ちゃん、もしかして声も聞こえる?


「聞こえません!柏木さん、か、帰りましょう。お布施は結構ですから!」


-聞こえてんじゃねぇか。ちょっとそのお経終わった後で頼みがあんだけど。


「ホントにいるの?…住職がお金いらないから帰りたいっていうことはホントなんだろうね…まいったね…

住職の噂は聞いてるから信じるけど、よかったらそっちも成仏させることってできない?

ほら、この倉庫、この後も使わないといけないんだよ・・・追加料金払うからさ?」柏木と呼ばれた男が不安そうに持ちかけた。

「――――いくらですか?」

「…3万円。」

「冗談じゃありません!そもそも、私の仕事は胡桃川さんの供養です!あんなヤクザの相手は私じゃなくてマル暴の仕事ですよ!早く帰りましょう!」

「4万円」

「4は縁起が悪いんです」

「…7万円」

「迷える魂を導くのは仏門の務めです。拙僧にお任せください。」


-ちっちゃいくせにずいぶん金に汚いヤツだな。話はまとまったか?とりあえずさっきのお経、最後まで上げてやれよ。ハンパじゃかわいそうだろ。


「え、あ。そ、そうですね。」

「え、お化けが話しかけてきてるの?お化けはなんだって?」

「とりあえずさっきのお経最後まで上げてやれって。途中でやめたらかわいそうだって」

「そ、それはそうだね。お化けの言うとおりだ。」


倉庫に向き直り、警戒しながらも少女は読経を再開した。

つられて京司も目を閉じて手を合わせる。

経を読む少女を横目でちらりと見ながら京司は考えた。


-この尼、使えるな。今のところ、俺とコミュニケーションが取れる唯一の存在だ。なんとかこいつを使ってうちのチビどもの里親を探させたいが…


5分も経たないうちに少女はお経を読み終わり、さて、と京司に向き直る。

「こんなに話が通じるお化けは初めてです。たいていのお化けは目が合ったりしてこちらが認識するとだいたい攻撃してきますから」


-ふぅん、そうなのか。ってああ、思い当たる節があるわ。俺もこないだ黒い悪霊っぽいのにケンカ売られた。返り討ちにしてやったけどな。


京司の言葉を聞き、少女は驚いたように聞き返した。

「え?黒い悪霊?…迷い仏を返り討ちに!?」


-おう。最初は俺もビビって逃げたんだが、しつこく追ってきやがったから腹括ってボコった。


「ボコったって…確認なんですけどあなたの言う黒い悪霊って唸り声上げながらうねうね動くやつですよね?」


-ああ、それそれ。足の途中から腕が生えてたり、顔が腹とか肩とかにもあるやつ。いや、最初見たときマジでビビったわ。


「へぇ…あれボコれるものなんですね」

感心したように少女は呟いた。


-おっと、失礼!…ご挨拶が遅れまして申し訳ありやせん。手前から発しやす。お姐さんにおかれましては、どうぞお控えください。


「え、なに?」

いきなり語調を変え、腰を落として右の手のひらを見せるように突き出してきた京司に少女は戸惑った。左の手は膝の上である。

京司は調子を崩さずにそのまま続ける。


-御前を借り受けまして、略式ながら仁義、稼業を発します。

-遅ればせながらの仁義、失礼さんにござんす。手前、粗忽者ゆえ、仁義前後間違いましたる節はまっぴらご容赦願います。

-手前、生国と発しますは大日本帝国は帝都東京…じゃなかった…そこに見えます倉庫でございます。

-生前、姓を七ツ釜、名を京司…と発しておりました。しかしながら、今生におきましては姓も名も親も持ちません。生年、1ヶ月ちょっと。

-名もなき一匹の野良猫でございます。稼業、専ら未熟の駆け出し者。以後、万事万端よろしくお願い申し上げます。


「…こ、これはご丁寧にどうも。私は鉄血院の住職代理をしてます、鉄血院雲雀、法名を桂雲と申します。14歳です。よろしくお願いします。」

「ねぇ、住職。お化けなんていってるの?」

今まで様子を伺っていた柏木が不安そうに聞いてきた。

「おひけぇなすってだそうです。ヤクザっぽいお化けの人は、生前、七ツ釜さんとおっしゃる方だったそうです。今は一匹の野良猫なんですって。」

「野良猫?…はぁ」


京司が構えを解いて林のほうに視線を向けた。

つられて雲雀と名乗った少女が視線を同じ方向に向けると、林の中からちょこちょこと一匹の黒い子猫が歩いて出てくるのが見えた。

「うっわ…なにこれかわいい…超かわいい。…ふふ、おいでおいで~」

雲雀はその場にかがんで子猫に手招きし始めた。


-残念ながらそれは俺だよ。しかしお嬢ちゃん14歳?中学生でお経あげて回ってるのかよ。お寺ってそんなもんなの?まぁさっきのお経は上手だったよ。


黒い子猫は雲雀を見ながら方頬を吊り上げて笑った。


-それでまぁ、こっちの頼みってのはだな。そこの倉庫の裏にアイスの棒が地面に刺さってるんだが…それな、猫のお墓なんだよ。いっちょお経でもあげてやってくんないか?

-やってくれたら俺はここに来る人間に危害を加えない。お嬢ちゃんは任務完了。7万円はお嬢ちゃんのものさ。


「ふぅむ…」

京司の言葉を聞いて雲雀は顔をしかめる。

しばらく考えて

「なるほど。つまり言い換えればあなたは人間に危害を加えることができる。ということは、胡桃川さんを殺したのはあなたなんですね?」

そう尋ねた。


-カカッ


子猫はそれまで縒っていた尻尾をくるくるとほどきながら近寄ってきた。

二本の尻尾は自身を見せつけるようにゆらゆらと動いている。

子猫の尻尾にしては不釣合いに長い。

「ば、化け猫…!」

柏木は思わずそう呻いた。


-…そうだ。ばれちゃあしょうがねぇ。実はな、俺の母猫はなぁ、俺の目の前で胡桃川に殺されたんだよ。麻袋に入れられてな、踏みつぶされて苦しんで死んでいったわ。

-まぁそんなわけで仇を討たせてもらった。悪いとはこれっぽっちも思ってないぜ。殺さなきゃ俺も兄弟も胡桃川に殺されるところだったんでな。


「そう、ですか…」

京司の声が聞こえない柏木が恐る恐ると言った感じで雲雀に尋ねた。

「ねぇ、住職…まさかホントに胡桃川君、この子猫に祟り殺されちゃったの?」

「…どうやらそのようです。胡桃川さんは、この子のお母さん猫を麻袋に入れて踏み殺し、その仕返しでこの子に殺されちゃったみたいです…」

「じゃあ!ということは!死亡推定時刻の後、胡桃川君が銀行やホームセンターで目撃されたのは!」

京司は柏木の目の前に移動し、彼の薄くなった頭に触れながら言った。


-あんたが柏木社長さんか?

-ご明察の通りだ。俺が胡桃川の死体を操って口座から金を下ろし、その金で猫の餌を大量に買った。


子猫は笑うようにかぱっと口をあけた。


「ひぃぃ!聞こえた!僕にも聞こえたよ!お前が!お前が胡桃川君を殺したのか!じゅ、住職!この化け猫を退治してくれよ!」

柏木は猫を指さしながらそう叫ぶ。そこまで叫んだところで柏木は猫から距離を取ろうとして足を滑らせて尻餅をついた。

京司は転んだ柏木の頭に片足を乗っけて話を続ける。


-おいおい、落ち着いてくれ。穏やかじゃないなぁ退治とか……なぁ?

-おい、ハゲ?話はすっごく単純なんだよ。というかほとんどお前さんの最初のご希望通りだ。

-お嬢ちゃんはお経を上げる。俺は悪さをしなくなる。お前さんは報酬として7万円をお嬢ちゃんに払う。倉庫は元通り使える。

-な?簡単な話だろ。ホントにお前さんのご希望通りってわけですよ。

-ところが、だ。お前さんが事ここに及んでガタガタぬかすと話がややこしくなってくるんだ。ワカりますか?あぁ?

徐々にドスをきかせながら柏木を脅しにかかる京司。


「ど、どういうことだね?」


-わかってるんだろ?

-お前がガタガタ言い出して退治するだのしないだののっぴきならねぇ方針になってみろ。ケチをつけやがったお前さんを俺がブッ殺して胡桃川の後を追わせる。

-俺も母ちゃんにお経を上げてもらえない。な?生きてる人間は誰も得しないんだよ。


京司の話を聞いて柏木の顔色はドンドン悪くなってきた。


-あ、あと、ご家族とかどんな感じ?元気にしてる?…俺だってしたくないんだよ。お前をブッ殺してなお怒りのおさまらない俺が、お前の死体を操ってご家族を次々と…


「いい加減にしてください。そんなに追いつめて…もらえるものももらえなくなっちゃうじゃないですか!お金もらえなかったらホントにお経あげませんよ!」

京司のペースを崩すように雲雀が言った。


-っと悪い悪い。調子にのっちゃったわ。調子に乗りすぎるのが生前からの俺の悪い癖でよ。すまんかった。


「ちょっと黙っててください。まったく…」

でも、と雲雀は柏木に向き直った。

「このヤクザさんの提案はそんなに悪いものじゃありません。というか私なんかじゃそもそもお祓いするの無理なんですよ。このヤクザさんはもはや迷える魂ではありません。妖怪です。」

「あぁ…」

柏木は子猫のうねうねと別の生き物のように動く二本の尻尾を見ながら呻いた。

「とりあえず、七ツ釜さんのお話に沿ってお母さん猫のお墓にお経を上げましょう。そうすればここに来た人間に危害を加えないと約束してくださいますね?柏木さんもそれでよろしいですね?」

「うん…わかった。」


-俺ぁ最初から誰かに危害を加えようなんざサラサラ頭にねぇんだ。契約書をプリントアウトしてくれたら手形だって押してやるよ。


黒猫は右の前足を掲げた。


読んでくださってありがとうございます。

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