2.歩く死体
京司がこの倉庫を拠点として兄弟を養っていく上でなんとかしないといけないものが2つあった。
倉庫の中に横たわる、男と母猫の亡骸だ。
-一ヶ月前より暑くなってきているからな。というか暑すぎる。この分じゃおそらく一週間もしないうちに腐敗し、悪臭を放ち始める。腐敗が進むと兄弟達の病気の元になるかもしれない。
-できれば埋葬したい。最悪でもどこかに捨てに行きたいが、この体では無理だ。情けネェがおっかさんすら運んでやれねぇ。
-いや…この男がここで死んだことで他の人間がこの男を捜しにここにくるかもしれない…
-そいつを脅して埋葬させるか?いや、それはそれで面倒なことになりそうだ。あまり俺は人と接触しないほうがいいだろう。
-まぁどうするにせよ、とりあえず外に出て周囲を確認するか。どれ…
京司は考えながら、子猫の体で小屋の入口に向おうと邪魔っけな男の死体を跳び越えた。
「死体をまたいだ。」
またいだ瞬間、自分が何かとカチリとつながる感覚がした。
何と?
男の死体と。
またしても襲ってきた奇妙な感覚に、黒猫は危うく着地をしくじりそうになった。
不思議な感覚の正体を解明しようと霊体のほうの京司は男の死体に触れて意識を集中する。
-あ…これ入れるわ…
京司は自分ができることを本能的に理解した。男の右手に自分の右手を重ねる。左手に左手を。右足に右足を。左足に左足を。
男の死体に自分の霊体を重ねて合わせて、じっくりなじませる。
10秒ほどでなじんだ気がしたので試しに右手を動かしてみた。
突然動き出した男の手を見て兄弟子猫たちはビックリして走って逃げ、倉庫の隅で固まった。
「ああ、すまんすまん。驚かせちまったな。…これ、今俺が操ってるんだ。怖くないから。安心してくれ」
京司はそう発声した。
人間の言葉などわからない子猫たちは余計におびえる。
京司は、一度男の体から出て、霊体で直接兄弟子猫たちに触れて説明した。
-ちょっとコレ、今から操って動かすから。別に怖くないから安心して見てな。
-怖くない?
-ああ、怖くないからちょっと見てな。…ヨッと
再度男の体に入り、二本足で立たせる。操作は難しくない。
腕を回したりジャンプしてみたりした。
視覚と聴覚はあるが、温感も触感もない。おそらくは痛覚もない。胸から心音がしていない。自分の体という感覚は無いが生前の自分の体のように操作できる。
子猫達がさらに怯えていたが何とかなだめた。
「これは好都合だ。こんなこともできるなんて化け猫様々だぜ。どれ、このオヤジの体を使っておっかさんを埋葬するか。」
男の体を操り、倉庫の中にあったシャベルを使って裏の林に母猫を埋葬する。
近くに落ちていたアイスの棒を墓標にし、手を合わせておいた。
-短い間だったが育ててくれてありがとよ、おっかさん。約束は果たす。兄弟は必ず真っ当に生活させる。
-だから安心して成仏してくれ…
埋葬をすませ、頭の中をを切り替える。
-さて、この男の体はもうすこし使わせてもらおう。お前が土の中でゆっくり休めるのはもうすこし後だ。おっかさんを殺した償いにしっかり使い倒させてもらおうか。
京司は屋内で黒猫の体を休ませて置いて、その間にできるだけエサを集めることにした。
倉庫の半径20メートル以内の山中にいる虫を霊体パンチと霊体キックで殺し、男の体を操って死骸を集める。
1時間ほどでおおよそ狩り尽くし、20匹以上の様々な虫の死骸を手に入れた。
-やはり虫どもにも俺の姿は見えてない。となりゃ、虫取りなんざ結構簡単なもんだ。これだけあれば2、3日は持つな。
手に入れた虫の死骸を兄弟たちに与える。
完全に早い者勝ちで片っ端から貪り食う子猫たち。
京司が3日は持つと思って持ってきた食料だったが1日で無くなりそうだった。
食べ盛りの子猫を5匹も養っていた母猫の苦労が偲ばれた。
-おっかさん、いろんな生き物捕まえてきてたな。…狩りが上手だったんだなぁ。
兄弟たちにエサを与えたあと、また京司は霊体で倉庫の上空20メートルギリギリまで浮いて遠くに見える街の方角を眺め、これからのことを考え始める。
-今はまだ夏だし大丈夫だろうが、いずれ冬がやってくる。…ここで冬を越すのはとても得策とは思えねぇ。
-街で兄弟たちの里親を探すというのが最善かもな。まぁ、どうやって里親を探すかが問題だが…野良猫は寿命が短いらしいし、一度獣医にも見せてやりてぇな。
-とりあえずは男の体が腐る前に車で街まで行って、財布の中の有り金全部で猫のエサを買えるだけ買うか。
-こいつの死体が腐り始めて匂ってきたらレジでバレるかもしれねぇ。そうなったらさすがに大パニックだ。早速行こう。
京司は地上に降りて男の体に入り、男のズボンのポケットに入っていた財布の中身を確認する。二万円弱の現金が入っていた。
これだけあればこの先当分の猫エサが買えるだろう。
-当然頂いておく。おっかさんの命の代償としては安すぎるぐらいだ。キャッシュカードもあるが暗証番号わかんねぇな…こっちは諦めるか。
財布の中には様々なカードが入っている。そのなかに運転免許証を見つけた。
氏名欄には「胡桃川靖彦」と記載されている。この男の顔写真がついている。
住所の欄に高知県高知市の地名が書いてあった。
-ここは高知のあたりなのか?俺が死んだ九州から結構離れてるぞ…
-ん…?おお!そうだ!車でこいつんち行って通帳と印鑑で現金根こそぎ下ろせばいいじゃねぇか!…いや、まて、こいつの家に家人がいてハチあわせたら面倒だな。
-ん~…しかし、預金は惜しい。いくら入ってるか知らねぇが、こいつの預金を降ろせれば兄弟たちが一人前になるまで食わせることができるかもしれねぇ。
-よし、今日中にこいつの自宅近くまで行って、とりあえず霊体で家の中の様子を見るか。どっちにしろ、コイツの死体が腐るまでが勝負だな。
そう考えながら京司は胡桃川の体を操って現金と運転免許証を財布にしまい、今度は作業着の胸ポケットに入っていた携帯電話を取り出す。俗に言う折りたたみ式のガラケーだ。
携帯を開くと日付と時刻が表示される。
2015年8月10日(月)10時24分。
京司が死んでから1ヶ月半ほど経過しているようだった。アドレス帳には10件ほどしか連絡先が入っていなかった。
連絡先の中には「自宅」とか「家」とかいう登録名はない。
メールのやり取りを確認しようとしたがメールをやり取りした形跡もない。ガラケーなので当然ライソなどの通信系アプリケーションも入っていない。
通話履歴を見ると「本社」と「柏木社長」と登録された番号としか連絡を取っていなかった。
友人、恋人、妻と呼べる存在はこの携帯電話から見えてこない。
胡桃川はずいぶん孤独な男のようだ。
-これは一人暮らしの可能性が高くなってきたぞ。
-よし。じゃ、早速行くか。まずはこいつの家に行って通帳と印鑑を押さえよう。
兄弟たちに食料を調達しに出かけてくる、日が暮れる前には戻ると伝える。ちゃんと伝わっているかどうかはわからなかったが伝えるだけは伝えてみた。
胡桃川が乗ってきたワゴン車には柏木電業とロゴが入っていた。
ドアを開けて、子猫の体を助手席に乗せ、男の体を運転席に座らせてカーナビを操作する。
登録されていた自宅を目的地に設定した。
目的地設定の際に高知県の地名がいくつも表示される。やはりここは高知県で間違いないようだ。
エンジンをかけ、パーキングブレーキを解除し、ギアをリアに入れ、ハンドルを切って方向転換し、アクセルを踏んで街に向かって走り出した。
操った屍で車の運転は難しいのではないかと思ったが思いのほか上手くいった。生前と変わらない感覚で運転できる。
京司はスピードを抑え目に曲りくねった山道を降りていく。
万が一にもスピード違反や一時停止無視、通話運転みたいなチンケな違反で警察に捕まるわけには行かない。
生前、ワゴン車を使って法に触れる品々を運んでいたときを思い出しながら安全運転を心がけた。
30分ほど山道を降り、もう15分ほど市街地をほど車を走らせると無事目的地のマンションに到着した。
「目的地周辺に着きました。音声案内を終了します。」
マンションの隣にあるコインパーキングに車を停めて、免許証に書いてある部屋に霊体で侵入した。
2階の1LDKの部屋。人の気配は全くない。3分ほどかけて歯ブラシと靴と服をチェックする。
歯ブラシは一人分だけだった。靴と洋服は同じサイズのものしかない。
-確定だな。こいつはこの部屋で一人暮らし。おそらく他の誰かが部屋に入ってくることはない。
そのことを確認すると、京司は車の運転席に置いていた胡桃川の体に戻った。
子猫を肩に乗せて車を降り、部屋に向かう。
誰かに子猫の二本の尻尾を見られると面倒なことになるかもしれないので、車を出る前にきれいに螺旋状に一本に縒っておいた。
自分で尻尾を縒っておきながら、その動きに不自然さを感じた。
本来、猫の尻尾にこのような動きはできない。
尻尾の中に骨が入っているか怪しい。やはりこの体は普通じゃないのだろう。
二本の尻尾を縒り合わせたので、子猫の体に不釣合いなたぬきのような太い尻尾になってしまったが二股の尾を誰かに見られるよりはいい。
オートロックを解除し、エレベーターで二階へ。持っていた鍵を使って部屋に入るまで誰ともすれ違わなかった。
部屋に入るとすぐに家捜しを開始し、1分もかからずに拍子抜けするほどあっけなく目的の物を見つける。
通帳と印鑑はセットで机の二段目にしまってあった。
-無用心だねぇ。セキュリティ上、通帳と印鑑はバラバラに保管するのが鉄則なのに。ま、おかげで助かったけどな…
通帳を開いてみると540万円ほどの残高があるようだ。子猫を5匹くらい育てるのには十分過ぎる額と言える。
他に兄弟猫達を育て上げるのに便利なものはないかと部屋の中を軽く物色していたが、ふと壁にかかっている時計を見ると13時を過ぎている。
-あ、銀行15時までだよな。ぎりぎりに行くのも何だし早めに銀行行って金下ろしておくか。
京司は部屋を出て鍵をかけてから、車に乗ってカーナビで調べた銀行に向かった。
子猫は銀行の駐車場で車と共に待機。
窓口に行く前に念のためにATMコーナーで通帳を記帳する。
-お?650万円まで残高が増えた。コイツあまり記帳してなかったのか。こんなにあっても使い切れないかもしれないが念の為全部おろしておこう。
払い戻し請求書を提出したときに「高額のお取引になりますので」と窓口の女性から身分証明書の提示を求められたが、免許証を差し出すと
窓口にやってきた男の顔と免許証の写真を確認し、事務的に処理をしてくれた。
こうして京司は無事、650万円を手に入れることに成功する。
要約すれば人を殺した挙句に相手の金を根こそぎ奪ったわけだが、京司は全く罪悪感は感じていなかった。
母猫を殺した相手に対して行った仕返しだと思うとむしろスッキリしたくらいにしか考えていない。
ほとんどカラになった口座の通帳と印鑑はATMコーナーのゴミ箱に捨てて車に乗り込んだ。
また車に乗ってここにくる途中に見かけたセルフサービスのガソリンスタンドで満タンまで給油し、今度はカーナビで最寄のホームセンターを目的地にセットした。
平日の昼間ということもあってホームセンターの駐車場はガラガラだった。車を停め、黒い子猫を肩に乗せて店内へ入る。尻尾は先ほどのように縒っておいた。
店内で肩に乗っている黒い子猫を見て、他の女性客がかわいいかわいいと騒いでスマートフォンで写真を撮っていたが特に気にも留めなかった。
カートを押してペット用品コーナーへ行き、ドライフード2kg入りを10袋とレトルトパウチのウエットフードを100袋、アウトドア用の折りたたみテント、猫用ベットを5つ、
猫用ノミよけ首輪5つ、猫の餌用の皿、猫用虫下し、他ノミとりスプレーなどの猫用品と太陽光充電式のLEDランタン、ついでに日本酒とウィスキーを一本ずつ購入した。
代金は4万円を超えた。
大変だったがカートで5往復してなんとかワゴン車に積み込む。大量の買い物であったため、店員が積み込みを手伝ってくれた。
ギリギリ後部の荷台部に納まった。
これを持ち帰れば当分、兄弟子猫達を飢えさせることはないと思われた。
京司はこの仕事を最後に胡桃川の体も死体として発見させて人の手に返そうと考えている。
体が腐ってしまってはどうせ買い物もできない。
時計を見るともう16時を過ぎていた。
子猫の体ももう眠いみたいだ。
-兄弟たちのところへ帰ろう。今日の俺は猫にしては働きすぎだ。
また車に乗って倉庫を目指す。大量の食料と現金を持って一路兄弟たちのもとへ。
行きと同じく安全運転で車を走らせていると、帰り道の県道で信号停車中に対向車線の歩道に真っ黒な霊体を見かけた。
見た瞬間に京司は総毛立つ思いがした。人型で真っ黒な霊体。
目が赤く明滅している。
足が三本あるように見えたが、よくみるとそのうち一本は太もものあたりから生えた腕だった。
ヴィジュアル的にも完全にホラーなのだが、漂う雰囲気もまた普通ではない。
動きも気持ち悪い。ゆらゆらとゆっくり揺れているかと思うと突然素早く動いて腕を振り回したりしている。
激しく動いたとき、一瞬、腹部に顔のようなものが浮きでたように見えた。
見間違いかと思ったが今度は肩に苦悶の表情の顔が浮かんだ。
ここは行きがけに通った道だが、その時にはこんな不気味なモノはいなかったはずだ。
こんなインパクトがあるモノ見逃すはずがない。
驚いて見ていると「ごっ…おぉぉぉあぁぁぁええぇぇえぇ」と声を上げてゆっくり近づいてきた。
どうやら京司を認識したようだった。
-なんじゃコイツ!怖ええぇ!絶対ヤベェやつだろ!怨霊とか悪霊とかそういうやつだろ!マジおっかねぇ!
京司は絶対に近寄らないほうがいいと判断し、青になるや否やアクセルを踏んで逃げ出した。
ルームミラーを見るとグングンと黒い霊体との距離が離れていく。
どうせ話も通じないだろう。黒い霊体からは攻撃の意思のようなものすら感じた。
アレに近寄って良いことなんてきっと一つもない。そんなことより京司は兄弟子猫たちにエサを運ばなければならないのだ。
どう見ても厄介な悪霊っぽいものに付き合ってる暇などなかった。
念の為もう一度ルームミラーで後ろを確認する。先ほどの黒いヤツは影も形もなかった。
完全に振り切ったようだ。
生前、京司は霊感などというものには無縁だった。幽霊なんて見たこともなかったし、これっぽっちも信じていなかった。
かつて心霊関係の話をふられた時、京司は言ったものである。
「恨みを飲んで死んだやつが一々化けて出てたら、この世はえらいことになってるだろ。だけど俺ァ見たことないんだよ。幽霊とやらを。絶対いねぇよ、幽霊なんて。」
リアリストだった京司はその手のたぐいを信じる奴等は馬鹿だとさえ思っていた。
が、自分の目で見てしまった以上、存在を認めるほかない。
不思議なことに京司は自分自身がお化けのような存在であるくせに、先ほどの黒い霊を見るまで「お化け」の存在を信じていなかった。
-あ…ああぁ…おお、怖かった…。あんなの生前は見たことなかったぞ。初めて見たがあれ絶対悪霊だ。ほんっと怖かった…
京司は恐怖のあまり法定速度を随分オーバーして田舎道を飛ばしている自分に気がつき、すこしスピードを抑える。
もうすぐで右折して山道に入らなければならない。帰り道はナビに案内をさせていなかったので少し気をつける必要があった。
こういうスピードを出しやすい田舎道は警察がネズミ捕りをしている可能性だってあるのだ。
そんなものに引っかかって兄弟たちにエサを持って行き損なっては元も子もない。
第一、今の自分は猫なのだ。ネズミ捕りに引っかかるなんて洒落にもならない。
そろそろ右折するポイントのはずである。ブレーキを踏んで速度を落「えあぁぁ…ぉおえぇぇおおお…」
突然聞こえた声に京司は後ろを振り向く。
ヤツが後部座席にいた。
読んでくださってありがとうございます。