11.殺すつもりはなかった
夕食後、京司はスマートフォンで兄弟猫たちの写真を撮り始めた。
遊んでいるところ、ぼーっとしているところ、猫ベッドで眠っているところ。
撮影の際は角度や光源にを考慮しながら一枚一枚丁寧に。
子猫の魅力を最大限に追及した。
撮影した画像データを寺にあった型の古いノートパソコンに転送し、文書作成ソフトで里親募集の簡単なチラシの文面を作る。
最後に撮影した画像を適当なサイズに加工し、文面に貼り付けて完成である。
マウスにしがみついて尻尾でキータッチを行うのは子猫にとって大変な作業だった。
京司が一連の作業をしている間、雲雀はTシャツとジャージに着替えて男性同士の友情と愛をつづったマンガを熱心に読んでいた。
時折、雲雀の気持ち悪い笑顔が京司の目の端にチラつくが見えないふりをして作業を続けた。
そして一時間後。
-ふぅ、おい見ろ雲雀。チラシできたぞ。我ながら会心の出来だ。
「ん?…んん、なかなかいいんじゃないかな?」
チラシの原稿に一瞥もくれず、マンガを読みながら答えた雲雀にイラッときた京司は尻尾で彼女の後頭部をフルスイング。
バシーンと結構いい音がした。
-おい、こらてめぇ、ちゃんと見ろ。
所詮子猫の尻尾だがそこそこ効いたようだ。
雲雀は被害箇所を両手で押さえている。
「いったーい。分かったよぅ、ちゃんと見るよぅ。どれどれ…あーもう、私の携帯番号勝手に載せないでよ。仕方ないけどさ。…その下の余白、うちの寺の名前入れて。…うん、まぁこんなもんじゃないの?」
雲雀の最終チェックを受け、とにもかくにも原稿は完成した。
原稿をコンビニで印刷できるデータ形式に変換し、USBフラッシュメモリに保存する。
これをコンビニに持って行ってカラーでプリントアウトすれば完成である。
-うむ、こんなもんだな。というわけで雲雀、コンビニに連れて行け。これを100枚、いや200枚くらい刷るんだ。
「えぇ~この時間から?明日にしない?最近、最寄りのコンビニ前、ヤンキーがたむろしてるらしいからあまり夜に近寄りたくないんだけど…」
-ヤンキー?…はっ、そんなのどうでもいい。絡んできたら殺してやるから。早く行くぞ。
「いや、殺されても困るんだけど…」
-うるせぇ。兄弟の幸せの邪魔をする奴は皆殺しだ。
「皆殺しって…ああ、もう!私に絡んだやつがバタバタ死んでいったら間違いなく私が怪しまれるでしょ!」
結局己の保身のことしか考えていない雲雀だが、一理ある。
おおごとになっては京司自身も困るのだ。
京司は売られたケンカであっても殺人は控える方向で行くことにした。
-わかったわかった。適当に追い払ってやるから。早く連れて行け。
しょうがないなもう、と吐き捨ててマンガを閉じて玄関に向かう雲雀。
そのあとを原稿データの入ったUSBフラッシュメモリをくわえた黒猫がトテトテと追っていった。
黒猫を自転車の前かごに乗せて出発進行。
雲雀と猫は自転車で10分ほどの時間をかけて県道に沿って田園地帯を抜ける。
すでに時刻は22時を回っており、車通りも少なかったが、道路沿いの田園はカエルや虫の鳴き声で賑やかだった。
見上げれば満天の星空。
京司は自転車の前かごで涼しい夜風を受け、田舎道の風情を感じながら夜のサイクリングを楽しんでいた。
気が付けば彼が高校時代に流行った歌など口ずさんでいる。
一方、雲雀はコンビニで何のアイスを買うかで頭がいっぱいであった。
程なく自転車は県道沿いにあるコンビニに到着。
懸念された不良達は今日は居ないようだ。
雲雀は子猫を前かごに残したまま入店し、店内の複合機にメモリを挿し込んで複合機のタッチパネルをいじりはじめる。
-ほんじゃ頼むぜ。
「うん、任せて。…ねぇ、ここまで連れてきてあげたんだし、頑張ってプリントアウトするからアイスおごって。ハーゲソダッシのクリスピーサンドのやつ」
頑張ってプリントアウトするのはお前じゃなくて主にコピー機だろうが、と言いそうになったが京司は言葉を飲み込んだ。
一旦、口を開いたがそのまま閉じた。
連れてきてもらったのは事実だ。
-…まぁ、よかろう。ジュースもつけてやる。だからしっかり頼むぞ。
「やった!ありがとう!」
-まったく、それくらいの金持ってんだろうに。
「お小遣いは月に3千円までなの。今月は暑くて飲み物代がかさんでるからカツカツなの。」
200枚ものチラシのプリントアウトには10分近く時間がかかった。
印刷したチラシを袋に入れて、アイスやジュースを買って帰路につく。
行きと同じように子猫は前かごに乗っていた。
かごの中で揺られながら流れる夜の田園を見ていると、ふと真っ暗な畑の中に大きな四足の動物が一匹いるのが目に入った。
結構遠目だがどうもイノシシのように見える。
-おい、ちょっと自転車止めろ。…あれイノシシか?
尻尾で指しながら雲雀に声をかけた。
「え、イノシシ?どこ?…あ、いま動いたやつ?…あー、うわ。おっきいね。」
雲雀にも確認できたらしい。京司が霊体で近づいて見ると土を掘り返して芋のようなものをかじっているのがわかった。
「あ、あっちにも!」
雲雀の声につられてイノシシの周囲を確認すると、離れたところに仲間のイノシシが2頭いた。
彼らも何やら農作物にかぶりついている。
合計3頭。
-連中ご機嫌で畑を荒らしてやがるな。今朝話してた例のおばあちゃんを襲ったやつか?
「どうだろう?」
-…とりあえず、追い払っておこうか。このままだとあのイノシシたち、いつか人間様に殺されちまうだろ。
「追い払うって…どうやって?」
-話してみる。
「話し合いが通じる相手かなぁ。」
-俺、兄弟たちとは思念で結構意思疎通できるし、なんとかなんだろ。頑張って生きてる動物が人間の都合で殺されるのがウンザリなんだよ。
「ヤンキーは皆殺しにしようとするくせに。変なの。」
-俺は動物さんサイドなの。殺さずに済むならそれに越したことはねぇだろ。…よし、行ってくる。かごから下ろしてくれ。
はいはい、と雲雀が自転車の前かごから子猫を地面に下ろすと、子猫はよちよちとイノシシの方に近寄って行った。
射程圏内まで近づき、京司は最初に見つけた最寄りのイノシシに霊体で触れて話しかけた。
-おい、聞こえるか。このままこの辺の野菜食べ続けてたらお前ら人間に殺されるぞ。早いところこのあたりから立ち去れ。二度とここには来ない方がいい。
イノシシは突然聞こえた声に驚いた。
イノシシには語りかけられた内容が詳しくはわからない。が、警告ないし威嚇の類であることは辛うじて伝わった。
周囲を見渡し、じっとこちらを見つめている子猫を見つける。
イノシシは本能的に察した。
この小動物が生意気にも自分に警告して食事を邪魔したというのか。
向こうへ行けとばかりにイノシシが威嚇を始めた。その威嚇の鳴き声を聞いて他の二頭も何事かとこちらへ寄ってくる。
京司が声をかけたイノシシは子猫に向かって近づき始めた。
明らかに剣呑な雰囲気だ。
少し困った京司はなだめるようにさらにイノシシに語りかける。
-おいおい、ちょっと待ってくれ。俺はだな、お前らの為を思って、うわっ!
そんな京司の説得にもかかわらず、イノシシはむしろ頭に直接聞こえる声に激昂して子猫に突進してきた。
このままでは子猫はイノシシに踏み殺されるだろう。
咄嗟に京司はイノシシに併走し、追い越して前面に回り込み、右の前足にローキックを放つ。
ローキックはイノシシの右前足の太ももから左前足のかかとまでを鋭く切り裂くように抜けた。
突如の激痛と共に両前足の感覚を失ったイノシシは、勢いそのまま、つんのめるように二回転ほどころがって倒れる。
すぐに立ち上がろうとするが、両前足が感覚を失っているうえに他の足も痛めてしまったらしく、立ち上がることができないようだった。
悲鳴をあげながら必死で立ち上がろうとしては何度も失敗する仲間の様子を見て、他の二匹は逃げて行った。
京司はその様子を見ながら頭を掻いて呟く。
-…こんなつもりじゃなかったんだけどな。
「気にしてもしかたがないよ。どうせ猟友会に駆除されるまで何度でも現れたに違いないんだから。そもそも話が通じるなんて思う方がおかしいよ。」
-う、ん、そうかもな。しかし…
苦しんで暴れまわるイノシシの叫び声が響き渡る中、明らかにしょんぼりとしている京司。
余計なことしなきゃいいのにと思いながら、雲雀は事後処理に向けて頭を切り替えた。
「このまま放っておくわけにもいかないかな。とりあえず警察に連絡するね。イノシシがこっちに向かってきて、勝手に転んだことにしようか。」
-しかたない。すまんがよろしく頼む。
雲雀は一つ頷くとポケットから取り出したスマートフォンで警察に連絡を入れ、簡単に状況と場所を説明した。
警察は10分ほどで到着するとのことだった。
自転車に座って、先ほどのコンビニで購入したアイスクリームを食べながら待つこと結局15分。
パトカー一台と軽トラ一台が現場に到着した。
パトカーからは警察官が一人、軽トラから猟友会と思われる男二人が降りてくる。一人は初老でもう一人は中年だ。
初老の男は畑で転げまわっているイノシシを見て嬉しそうに笑う。
「ほほ、こんなに大きなイノシシは久しぶりだなぁ。もしかしたら100キロあるかもしれんな。」
「食い出がありそうですね。お嬢ちゃん、解体はウチでしてあげるから、お嬢ちゃん1/4、畑の地主さん1/4で私ら1/2ってところでどうだね?」
1/4?…お金がもらえるんだろうか、それとも肉がもらえるんだろうかと内心で思いながら雲雀は承諾した。
「有難うございます。それで十分です。1/4ってどれくらいですか?」
それとなく探りを入れる雲雀。
中年の男はイノシシを見ながら答えた。
「これだけのイノシシだと15キロはとれるだろうね。お嬢ちゃんって鉄血院のお嬢ちゃんだろ?肉食は大丈夫なのかい?」
やはり肉が現物でもらえるようだった。
できれば現金がよかったなぁと思いながらも雲雀は顔には出さずに答えた。
「ええ、戒律は問題ありませんしお肉は好きです。さすがにウチで15キロは食べきれないだろうから友達や檀家さんに分けたいと思います。」
取り分を決め終わると、男たちは手慣れた様子で網と狩猟用の槍を使ってイノシシに止めを刺し、警察官と三人で軽トラに積み込んだ。
その一部始終から京司は目を背けていた。
「じゃあ、明日の午後には肉、お寺まで持って行ってあげるから」
そう言い残して軽トラは走り去る。
警察官も雲雀に「女の子なんだからこんな時間に一人で出歩いちゃダメだよ。早く帰りなさい。」と軽く注意してパトカーに乗って帰って行った。
雲雀もまた、子猫を前かごに乗せて自転車を漕ぎ始める。
「あー、なんだかどっと疲れちゃったね。あたし何もしてないけど。」
-ああ、結果的に殺しちまった…。後味ワリィったらねぇな。
「元やくざのくせにホント変なとこ気に病むねぇ。あのイノシシ、ねこかにょのこと殺そうとしてたのに。正当防衛ってやつじゃないの?」
-うるせぇな。分かってるよ。分かってるけどなぁ…。お前は坊主のくせにドライだなぁ。
「助けようとした相手を殺しちゃって残念なのはわかるけどさ、やっちゃった以上、ねこかにょも供養だと思ってイノシシの肉食べようよ。」
-とてもそんな気にはなれねぇよ。
「…イノシシの肉が届いたら、おばあちゃんの仇討ちましたーって了戒さんちに持って行こうっと。喜んでもらえるかな。」
-知るか。
雲雀と猫を乗せた自転車が寺に着くころには、もう日付が変わろうとしていた。




