手紙
手紙―S-Qtyについて―
蜜江田初朗
s-qtyの二人へ、あるいはその関係者へ捧ぐ
この冥界へ正式に迎え入れられるまで、私はあとどれくらいこんな身を裂くような、心が飛び散るような別れを経なければならないのだろう。溶かすことも忘れることも許されない生者たちの世で、どれくらいの出会いと別れに翻弄されるのだろう。どれくらい? どれくらい? どれくらい? 一糸乱れぬ世界に背をむけ混濁の世をめざしていくその途中で、私は受け止められること、乗り越えられることを前提に、その物狂おしい数値に思いを馳せつづけた。――森絵都『ラン』
僕の手元には、一杯の大して熱くないコーヒーと、それから幾つかの本、レヴィナスの『全体性と無現』とヘンリー・ミラーの『黒い春』がある。これは、僕にとって非常に基本的なはじまりであり、コーヒーと書物がまた新たな僕からのテクスト、紙に書かれたものであれ、ワードで打たれたものであれ、それが作られていく。
この文章に関しても例外ではない。もっとも僕はここで、あまり普通の手紙には相応しくはない叙述を展開していくだろう――アイドルのこと。アイドルというのは、いつの時代にも嘲笑的な響きをもっている、若しくはそう扱われることによって成り立つコミュケーションというのが確実に存在する。
なぜならそれは終わりしか意味しないからだ。いつの時代のアイドルにハマっていても、ファンが目にするのは、結局、終わり……。脱退、解散、卒業、契約解除、電撃告白、移籍、行方知れず、家庭の事情、話し合い、学業との両立、その他もろもろ……。いったい、こんなものに投資して、本気になった所で、一体何が返ってくるというのだろう?
僕自身としては、アイドルから離れる理由は、それだけで十分だった。いや、アイドルには、何か窒息している社会状況を変えてくれるような、そんな希望の原石とでもいうべきものが見えた。束の間見えた。だから、僕はアイドルにハマったのかもしれない。しかし、それと同じくらいの理由で、今のアイドル状況には、大きな希望は見えなくなった。それは、アイドルの状況が変わったということではなくて、馬鹿に過ぎた僕が単に少しだけ大人になったという、ほんとにそれだけのことだ。他には何もない。
つまらない現代アイドル評論の中で、一つだけ一読に値する文献がある――濱野智史の『前田敦子はイエス・キリストを超えた』、だ。この長くない新書で濱野氏はAKBのことを、宗教を超えるもの――超宗教――と結論づけている。なるほど、超宗教、その捉え方について僕は一定の評価をする。それでは、超宗教がどういった機能を持つのか、超宗教は何を目指すか、既存の「宗教」と何がどう違うのか、ということを濱野氏あるいは他のアイドル評論家がもっと具体的に明らかにしなければならないのに、全くなおざりにされているか或いは無視されている。恥ずべき事だ。
アイドルが人をよく惹きつけるのには宗教と何か似た所がある、そして違う所もある――それは分かる気がする。一つは熱狂性だ。ハマるスピード感が、宗教と単なる趣味では違う。宇野常寛はAKBグループを複数の個人のキャラが織りなすシステムと捉えているのだが、そのシステムは熱狂性を産み出す。そして彼の論拠から言えばそれが、AKB人気がずっと落ちない事の理由のもなっている訳だが、彼は何も見ていない。例えば、「オタクの終焉」という事柄を。それは人を何か文学的なものに駆り立てるのに十分な内容を持っていた。
話がいささか早すぎた。僕はアイドルにハマり、そしてその後どうでもよくなった。それは一言で言うと、アイドルが資本主義を超えないからだろう。私たちはリーマン・ショック以来、いやベルリンの壁が崩壊して以来、グローバル・資本主義以外の共通の世界認識を持たなくなってしまっている。それが悲しい。金は大切だが、金がすべてではない。なぜそんな当たり前のことが、当たり前のように通用しないのだろう。そのことだけで、今も人々が文学を手にする――――武器にする理由がある。
僕は、僕自身の人生が極めて危ない時、岐路に差し掛かった時、S-Qtyに出会った。4月の初めだった。彼女たちは最初4人だった。倉敷駅の裏側、まだアリオ倉敷ができる前のそこで、路上ライヴをやっていた。それがS-Qtyとの最初の出会いだった。
僕自身は、アイドルを囲むオタク集団の生活の疲弊に、苦しんでいた時だった。岡山に来て、新鮮なままのS-Qtyを見た。そこには、集団のしがらみといったものを全く考える必要のない、ただ純粋に可愛い子が歌とダンスで頑張る姿を見て楽しむという態度と空気とがあった。
それからも、S-Qtyが水島へ行こうと、香川へ行こうと、少しばかりのお金とタイミングが合ったら、僕はS-Qtyを見た。この時彼女たちは、大切な一枚のアルバム(それは最初で最後のアルバムとなったわけだが)を出そうとしていて、何というかとても時めいていた。不安もあり、しかし岡山以外の人々にもよくやく受け入れられつつある所を、さらに開拓していく――そういうフロンティア精神を目の当たりにするような楽しさがあった。
S-Qtyは4人時代が最高だったという意見はよく聞く。僕も実際そうだと思う。それは何故かと言えば、キャラの割り振りが4人でうまくいっていたからだ。4人体制がそのまま続いていれば、ますますその先「キャラの回しゲーム」と化するアイドル界ならびに芸能界にも、受け入れられる余地が出来上がっていっただろう。実力もあったから、今のひめキュンフルーツ缶くらいのところまでは、行けたのではないか、という希望観測は成り立ちうる。
2つ。僕がアイドルを見放したということの理由には、そうした「キャラの時代」の限界を感じたのかもしれない。もちろん、特異性である人間個人をキャラには還元できない。ではどうすればいいのだろうか? 僕にはまだその答えが分からない。
もう1つは、僕は最初からS-Qty4人の中でも、山崎姉妹推しだったということだ……。特に理由はないが、あさちゃんのサービス精神旺盛なところ、あいちゃんの会話下手なところ、でも二人は楽器もやっていて、何というか物販でも一番僕に近い距離で話してくれたのが、この2人だ。
思い出すと、過剰な記憶の波に紛れてうち消してしまいたいのか、このS-Qtyにハマっていた9カ月ないし1年というのは、よく分からない。目標が打ちたてられない苦悩の日々だったといっても良い。しかし僕はこの年に乃木坂46を見つけた。ニコニコ生放送も見始めた。その二つは、こうして元気に小説やら哲学やら書いている今となっても、続いている趣味である。
S-Qtyには直接関係がないのかもしれないが、僕は去年1年間また福岡で生活をしなければならないことになって、まぁあまり変わりのない生活をした。1つ、見習い文筆家としては決して貧しくはない時間を過ごせた。いろんなメイド喫茶に行って実際にルーズリーフとボールペンで書きものもし、「Vague mal」やら「ヴァルネラヴィリティ」やら未完成ではあるけど大きめの小説構想ができたこと(だからこれらは必ずどんな形であっても完成させなければならない)。2つ、アイドルには愛想をつかしてしまったこと。というより、普通にお金を稼いで、本を読み、小説を書こうと思ったら、なかなか現場には行けない、金銭的にもモチベーション的にも。いい機会だったのかもしれない。
アイドルは資本主義を超えない。キャラゲームを超えない。
しかし……。
例えば、光が粒子となって画面の中にさんざめくように配置されて、緑はゆさゆさと風に吹かれる、首もとにうっすら一筋の汗をかく、タオルでそれをゆっくりふく、暑いから。日光がきらめく、景色の中で、大きく、豊かに、笑うように。大きく音が鳴る、もうそれはあたりをぐちゃぐちゃに混ぜるかのような、不自然さも伴って、だから不安になって。それで彼女たちが飛びだす、あぁアレが噂のご当地アイドルって奴だろう、あれだろう、ぼっけえ!とか言うんじゃろ? そう、なぎ倒すかのように、つまらない独り言とか悩みとか体調不良とか喧嘩とかルサンチマンとか将来への不安とか母親との不和とか近所づきあいとか世間体とかそんなことはもう他の部屋に置いてきたよってくらいの、今は今だよって言えるくらいの、エネルギーと若さがあるんです、この世には。おばあちゃんが笑顔で団扇を仰いでいるよ。
随分とつまらないことを長々と書いてしまった。僕が本当に言いたかったのはこれだけなのかもしれない――つまり未来とは白紙であって、誰のものでもないのならまず自分の手でつかみ取るべきである、と。
Mより (了)




