第8話 お前だけの存在
シシーは呆然としていた。自分の想像していた仮説がある意味で当たっていたからなどではなく、そんな理不尽な理由でアルゴルンが、死んでしまうことに。
「スィスィル、俺は死なないさ。こんな解呪師と一緒にいるんだぞ?俺からしたら身体が爆発するよりも、トレイルと旅をしている方が気が滅入りそうだ」
沈んでいたアルゴルンはいつも間にか立ち直り、バンダナ取る以前とは思えないほどに柔らかい口調でトレイルをけなしだす。
「こんな解呪師とは失礼だな、誰がお前の呪いを解くために西へ東へ材料集めをしてると思ってるんだよ…」
トレイルもそれに乗り、ブツブツと愚痴を漏らし、『心配しなくても大丈夫オーラ』をシシーに飛ばす。が、シシーはわなわなと身体を震わせ、トレイルの胸倉を掴み込んでくる。
「なんでよ…なんで彼がそんな酷い目にあってるのよ!?呪いのせいで誰かに近付くことができないなんて、そんなの…そんなのあんまりじゃない!あなた解呪師でしょ!?あたしの呪いなんて後でいいから彼の呪いを解きなさい!」
理不尽な呪いに対する怒りと、絶望とも言える呪い背負った者への同情が混合し、我を忘れるシシー。
胸倉を掴まれ、担いでいたウェアウルフの死体が背中からズルズルと離れていく。それでもトレイルは落ち着いた様子で言い返す。
「お前はそれでいいのか、お前だって呪わてるだろう?『モンスター・チェンジ』はこれから一ヶ月の間、徐々にお前を身体を乗っ取っていくぞ。まずは背中、次に腕、足と来て最後には頭が、そして全身をウェアウルフに支配される。それこそあの男のようにな。そうなったら俺の力じゃ解呪できるかわからない。その上に、もしウェアウルフとなったお前が誰かに危害を加えるようなことが起きたとしたら、俺はお前を『魔物』として始末しなければいけない。それでも自分の解呪を後回しにしてもいいのか?」
いままで見たことのないトレイルの冷酷で、残忍な言葉の使い方にシシーは恐怖を覚えた。さらに自分が魔物になり、誰かを…トレイル達を襲う姿を想像してしまい冷汗が涙のように頬を流れる。
それでもしっかりと掴んだ胸倉を放さずにトレイルに断言する。
「それぐらい…受けて立つわ!」
胸倉を掴まれていたトレイルは予想外の一言に目をきょとんとさせると、次の瞬間には大口を開けて笑いだす。
「まさか…こんなにも肝っ玉が座ってる女だったとは、アルゴルン。こいつならお前を避けて接するようなことはしないだろうよ」
アルゴルンは微笑みながら頷いた。きっと嬉しかったのだろう、自分のために我が身を犠牲にしてくれる人が増えて。たとえそれが同情であったとしても…。
「ああ、あれほど近づかせないようにしていたんだが、自分から近付いてきた。一瞬お前の図々しさを思い出してしまうほどにな」
仲の良い二人が雑談をしている間もシシーは胸倉を掴んだままだった。
あまりにも自然に会話をしていたため、シシーはトレイルが本題を逸らそうとしているのではないかと疑った。
「それじゃあ、彼の呪いから解いてくれるの?」
トレイルなら、後でうやむやにしてくる可能性が十分にあると考えたシシーは、念を押すためにもう一度聞いた。
「ダメだ」
帰ってきた答えは即決の拒否。納得いくわけがないシシーは胸倉を放す代わりにかなり強い力でトレイルの頬をつねる。
「なんでよ!あたしが一ヶ月の間我慢すれば済む問題なんでしょ。彼はいつ爆発かもしれない恐怖と闘いながら…」
「そんなこと俺だってわかってる!」
突然トレイルが怒声を上げ、シシーを威嚇する。冷酷な一面を見せることは時にはあったが、基本的に温厚でヘラヘラしているような若者が怒りだすのに、シシーは恐怖と言うより、困惑していた。
そのせいで頬をつねっていた指も…いや、血がにじみ出るほどに食い込ました爪も自然と力が抜けていく。
「だけどな…お前の呪いはたったの一ヶ月で完成する。アルゴルンは人に近づきさえしなければ十年だって百年だって生きられる。だけどお前は、あと一ヶ月しかチャンスがないんだ。完全に魔物になれば自我は無くなり、俺やアルゴルンを殺そうとするんだ。お前はそれでいいのか?」
先ほどの怒声とは打って変わって、悲痛に満ちたトレイルの声色にシシーは戸惑った。怒声をぶつけられるだけであればこちらも声を張り、言い返すことができたが、悲痛な表情で説得されると言い返すことに抵抗が生まれる。
そんな中でもアルゴルンはなにも言わなかった、口出しなどせずただ遠目で二人を傍観するだけ。
普通なら言い返しにくいこの状況でも半ば意地になっていたシシーは反論しようとする。
「いやに決まってるじゃない、だけど…」
しかし、反論する材料が見つからず口ごもっていると、トレイルは小さくため息を付き、今までとはまったく異なる表情でシシーの肩を掴んでくる。
「いいかシシー、解呪師ってのは誰かのために存在してるんだ。そして俺はいま、シシー、お前のために存在してるんだ」
トレイルは微笑んでいた。そして微笑んでいた口元をさらに上げ、ニィッと笑う。
「もちろん、アルゴルンも含まれてるけどな。まずはお前からだ」
シシーの瞳には溢れ返りそうなほどの涙が溜まっていた。
彼女は泣きそうになる瞳を無理やりにでも抑えようと空を見上げる。
空にはなにもなかった。自分を軽蔑する存在はいないが、一緒に旅をしてくれる存在もなにもない。しかたなく前を向くと目の前にあたしのために存在していると豪語する人物がいた。なぜ目の前に彼がいるのか上を向いている間に忘れてしまっていたようだ。
なぜ自分が上を向いていたのかを忘れていたことに驚き、その理由を思い出した時にはもう遅かった。
流れるほどではない、たった一滴の涙が頬を伝う。
「あたしは怪物なのよ?怪物は火炙りにするのが掟でしょ?あたしは…怪物?」
涙が一滴落ちると、シシーは嬉しくも、悲しくも見える不気味な表情で呟き始める。
「シシー?」
「スィスィル?」
ニィッと笑っていたトレイルが、傍観を貫いていたアルゴルンがシシーに声を掛ける。
返事がないのでトレイルは頬を軽くつねってみるとシシーは我に返りそっぽを向いた。
トレイルが「大丈夫か?」と心配そうに聞くがシシーはそれを無視し、前に進むことにした。なにがあっても二人に顔を見られたくなかったから。
二人は、特にトレイルはシシーがまた顔を蒼白にさせたのではないかと心配し、シシーを追いかける。
シシーもトレイルだけには見られたくないと思い、必死に逃げる。
トレイルとシシー、二人は追いかけっこのように近づいてくれば歩く速さを上げ、歩く速さを上げれば、こちらも追いかける速さを上げを繰り返し、気が付けば二人とも息を切らすほどの速度で走っていた。
追いかけっこに参加しなかったアルゴルンは額にバンダナを巻き直し、トレイルが置いたままにしていたウェアウルフの死体を担ぎ、シシーがいつの間にか落としていた紙袋を抱くと一歩一歩、少しずつ進みながら二人の後を追った。