第7話 彼が離れる理由
「あ…」
名も知らぬ街を離れ、次の目的地を目指し歩いている途中、突然トレイルが口をあんぐりと開け身体を後ろに向けだす。
頭のねじが一つ二つ外れていてもおかしくないと考えていたシシーはなにも言わずに先に進むことにした。すぐに連いてくると思ったからだ。
しかし、トレイルは今来たばかりの道を向いたまま、その場で駆け足を始める。
「悪い、ちょっと忘れ物を取ってくる。すぐ戻ってくるから待っててくれ」
シシーはなにを忘れたのか聞こうとしたが、振り向いた時にはトレイルが脱兎の如く駆け出した後だった。
「いない…」
気がつくとこの場にいるのはシシーとアルゴルンだけ。トレイルとはよく会話していたシシーだが、アルゴルンとは最初に会った時ぐらいしかまともに会話をしていないことを思い出し、気まずくなる。
横目でアルゴルンを見ると、不自然なほど遠く離れた木に寄り掛かっていた。
「ねえ」
「なんだ?」
シシーは街の中心部でトレイルが言っていたことに納得できないでいた。そのせいか彼が戻ってくるまでにアルゴルンの『人に近付かない』もしくは『人を近付けない』理由を暴いてやろう決心していた。
「一つ聞いてもいい?」
「…いいぞ」
シシーは迷った、いきなり「どうしてあたしから離れるのですか?」と聞くべくか、雑談で場を和ませてから聞くべくか。
「まだか?」
ほんの数秒、その間少しだけ考えていただけで、アルゴルンは急かしてくる。
この男、もしかして短気なのか?と思いとりあえず雑談から切り出すことにした。
「トレイルは一体なにを忘れたのかしら、アルゴルンはどう思う?」
できる限り自然に接するように聞くが、やはりどこか不自然だった。恐らくアルゴルンの名前を口にしたのが初めてのせいだろう。しかし、シシーはそれに気づいていなかった。
「さあな」
またもそっけない返事、しかもトレイルが去ってからアルゴルンが口に出したのは全てが一言返事。シシーはその愛想のなさに多少なりの不快感を感じていた。
「アルゴルン…もう一つだけ聞いてもいいかしら?」
「なんだよ…」
アルゴルンも自分に執拗なまでに関わってこようとするシシーをうっとうしく思っていた。
それでもシシーはアルゴルンに近付こうとする。アルゴルンは数歩後ろに下がったがシシーは止ろうとはせず、歩くとも走るとも言えない速さで目の前まで近付くとアルゴルンの腕を掴んだ。
「なんであんたは、あたしから逃げるのよ!あたしが呪われてるから!?」
シシーは顔を怒りで真っ赤にしていた。近寄ろうとせず、会話をしようともしないアルゴルンに、まるで蔑まれているように感じていたからだ。
アルゴルンも脂汗を顔いっぱいに流しながらながら腕を払おうとする。
「放せ!放してくれ!」
まるで怯えているかのような口調にシシーは驚いた。彼の腕から伝わる身体の震えも感じた。だが、シシーは掴んだ腕を放そうとはしない。
「いやよ!あんたの人見知りの理由、それを聞くまで放さない!」
二人とも普通ではなかった。互いが疑心暗鬼になっている…とまではいかないが、心のどこかにわだかまりがあった。
出会って半日も経たずに一緒に旅をすることになったのだからそれも当然かもしれない。
今まではトレイルがそれを抑えていたが、今、彼はここにはいない。
「わかった!だから放してくれ…」
言い終えるまで放す気はなかったシシーだが、アルゴルンの懇願に思わず手を放してしまう。
シシーの拘束から解放されたアルゴルンは、全身に流れていた緊張が解け、ゆらゆらと後ろに下がり、木に腰を掛ける。
「まさか、こんなにしつこく俺の秘密を探る物好きがいたとはな…」
いつもの落ち着いた雰囲気に戻るアルゴルン、そんなアルゴルンを見ていたシシーは改めて腕をつかんだ時とのギャップに驚かされる。
「気が変わった、なんて言わないわよね?」
「もちろん、約束は守る」
アルゴルンは一度大きく深呼吸をしてから、額のバンダナを解いていく。
「なにしてるの?」
「見ればわかる、これが俺の人見知りの理由だ」
バンダナを完全に取るともちろんのことだが額が露出する。そんな露出したアルゴルンの額には、シシーやトレイルなど、恐らく全ての人と違う点があった。
「お前の目には俺の額になんて書いてある?」
それはシシーの背中に生えた、触り心地に良いモノと同じで、他人には絶対に理解できないモノ。
「782…アルゴルン、あなたの額に今言った数字が刻まれてるわ…」
根拠はない、それでも確信できた。アルゴルンにとって、額の数字は不幸の象徴。そうでなければバンダナで隠す意味がない。あれは、アルゴルンがこの世でもっとも嫌悪しているモノに違いない。
「少し減ったか…スィスィル、これが意味することがわかるか?」
「ううん、意味まではわからない…だけどそれ自体がなにかはわかると思う」
「そうか…一応、聞いておこう」
シシーも大きく深呼吸してから、自分の根拠のない確信を口にする
「呪い」
一言だった。その一言で十分だった。
それだけで彼の歩んできた道がどれほど過酷かシシーには痛いほど理解できた。自分も同じだったように…。
「ああ…よく気付いたな、おくびにも出していないと思っていたんだがな」
アルゴルンは最初こそ驚いているように振舞っていたが、すぐに真剣な眼差しでシシーを見つめる。
「この呪いは『ボム・チェンジ』と呼ばれている。その理由は…口で教えるより見せた方が早いな」
『ボム』という物騒な言葉に少々驚いたシシーは、次の「見せた方が早い」に嫌な想像をしてしまい、今までのアルゴルンのように、一歩、後ろに下がる。
しかし、アルゴルンは逆に、大股でシシーに近付いて行く。
『アルゴルンが爆発する』。そんな想像をしていたシシーはアルゴルンが近づいてくるのに恐怖を感じ、思わず逃げようとした…その瞬間、アルゴルンが最後の一歩を踏みしめ、掌がシシーの頬に触れる。
そして額のカウントが一つ減った。
「これが、俺の呪いだ」
一秒もしないうちにまたも距離を取るように後ろに跳んだアルゴルンはどこか悲しく思えた。
なぜ彼が人に近づかないのか。細かいところまではわからなかったが大まかな問題は理解できた。やはり呪いのせいだ。
数秒間の沈黙が続いた、二人とも呪いを掛けられた悲しいハンデを背負った仲間同士なのに、互いに掛ける言葉が見つからなかった。そんな沈黙を最初に破ったのは意外な人物だった。
「おっと、もしかして腹を割った、身の上話しの途中だったか?」
トレイルだ。彼は苦労の、くの字も知らなさそうなお気楽な口調にシシーは深い呆れのため息を漏らしてしまう。
その上、忘れものを取りに行くと言い、戻ってくるとアルゴルンが倒したはずのウェアウルフの死体を担いでいるのだから、奇妙極まりない。
「しっかしアルゴルン、そんな説明の仕方だと、シシーに『ボム・チェンジ』の呪いの意味が半分も伝わらないと思うぞ?」
「なに?完璧に伝わったと確信していたんだが…スィスィル、俺の説明はどれくらい理解できた?」
まさかアルゴルンが説明べただと思ってもいなかったシシーは動揺しながらも、感じた通りに説明する。
「確信を持ってくれてたのはアレだけど…大雑把にしかわからなかったわ。わかったのはアルゴルンに触ると額のカウントが一つ減るってことだけ、カウントが減るとなにが起こるまでは教えてもらってないし…」
シシーにあれこれ駄目だしされ、アルゴルンの心は、木の枝ほどに細くなっていた。確信を持っていただけに、立ち直れるかどうか微妙に思えるほど、アルゴルンは沈んでいた。
さらに言うならば、シシーの理解した部分の一つに間違えがあり、実質アルゴルンの説明では一割も伝わってなどいなかった。
「戦意喪失したアルゴルン君に代わって、俺が『ボム・チェンジ』について教えてやろう」
まるで教師にでもなったかのような口ぶりで語りだすトレイルに、シシーは一笑し、「はいはい」と適当な答えで流す。
「まずは、お前の誤解からだ。小さなことかもしれないが、『ボム・チェンジ』とは、触れるとカウントが減る呪いではなく、『一定の距離に入るとカウントが減る』呪いだ」
言い回しが悪かったのか、シシーは頭上に紙袋…ではなく、?マークを浮かべながらトレイルに質問する。
「それって、気にするほどのことなの?それに一定の距離って?」
「まあ、俺やお前からしたら大した違いじゃないかもしれないが、アルゴルンにとっては結構重大なことだろうよ。あと、一定の距離をさらに詳しく言うと、アルゴルンから『半径1メートル以内』だな」
「なんだか複雑な呪いね…それで、カウントが減るとどうなるのかしら?」
なにげない気持ちで聞くと、トレイルもなにげない、自然な口調で答える。
「爆発する、アルゴルンがな」