第65話 股傷の毒
桶の中での治療が進み、シローが意識を取り戻した頃にようやくアルゴルンが、カティと共に戻っていた。
「どうだ?」
「多分……良くなってると思う」
曖昧な返事に眉を吊り上げるアルゴルン。
「多分? もっと確信的な答えはでないのか」
責めるつもりで言ったのではないが、シシーには非難の声に聞こえたらしく、低い口調で反論に出た。
「あたしだって精一杯なの、役に立たないあんたは黙ってて」
今の言葉にはさすがのシシーも言い過ぎたと悟り、慌てて謝罪を行おうとしたのだが、等のアルゴルンが思い寄らない返答をしだす。
「役に立たない……か。そうだな」
落ち込むように俯きながら呟くと、透かさずカティがしゃがみ――いや、地に伏せる程の勢いで身体を下げ、下からアルゴルンを睨んだ。
「シシーさん、水! 水!」
口を丸くしてカティの行動を見つめていたシシーは、ルナに声を掛けられるまで桶の中の水が白みを薄れていたことに気付かなかった。
「あ……!」
慌てて桶の水に意識を集中させ、白水を持続させる。
「しっかりと頼むぞ……シシーよ」
うっすらと目を開いているシローは、他に届かぬほど擦れた声でシシーに一喝を送ると、きょろきょろと瞳だけを動かし、部屋の中を探った。
「アルゴルン、さっきのことはごめんなさい。あたしが言い過ぎたわ。シローの傷が変な癒え方をしてたせいで焦ってたの」
「変? 一体どんな癒え方なのですか? シシーさん」
自分の分だけティーカップを用意していたガナスは、不思議そうな表情でシシーに問う。
「血の流れは止まってるみたいなの。さっきから桶の白水に赤みが混じるようなこともないし……、だけど、貫かれた傷口は全然塞がってないの」
「おかしいのかな? それって……」
シシーの説明が不足していたわけない。単純にカティが納得しなかっただけだ。
「いいかカティ、シローは身体を矢が貫いたんだぞ、その傷跡からなにも漏れ出ないことがどれほど不可思議か、お前にはわからないのか?」
「それはわかるよ……わかるけど」
自分の伝えたいことがうまく形容できていないカティは、もどかしく髪をかき上げる。
「逆に、なぜお主らは傷口からなにも漏れ出ていないと思ったのだ?」
一頻り部屋の中を見渡したシローが口を開いた。
「なに?」
「答えよ。なぜだ?」
始めて聞いたシローの喋り声に驚いているガナスとカティをよそに、ルナは緊張した様子で答える。
「先ほどシシーさんが仰ったとおり、傷口付近の白水がその白みを保っているからです」
いつもの穏やかな妻とは思えない態度に、ガナスは驚きながらも、これもまたよし。と心の中で呟いていた。
「なるほど、だがそれは見当違いだ。余の傷口から血液の流出は収まってはいない。ただ白水がそれの代わりを補っているだけだ」
「白水はそんなにも万能なのか?」
アルゴルンの問いに、白水を作り出しているシシーではなく、白水による治療を受けているシローが答えた。
「無論だ。聖なる白い魔法とは真に心の清い者にしか扱うことはできない。それゆえ、効力も抜群だ」
真に心の清い者。と聞き、アルゴルンは疑問視するにシシーを見たが、凄むような視線で睨み返されたので、サッと目線を外した。
「話を戻すが、白水は万能でこそあるが、有能と呼ぶにはいささか力が劣る。だからと言って今、余の股元の治りが遅いのは白水のせいではないがな」
「つまり?」
面倒な言い回しにアルゴルンはシローを急かす。
「あの矢には毒が塗られてある」
部屋中にどよめきが漂い、それに蹴落とされるようにふらつくガナス。数歩後ずさりをすると、足首に一匹の猫がすり寄ってきた。
「君は……?」
毛並みの荒い、見たことのない猫。
恐らくケットウッドに生息している野生の猫だろう。と考えていると、その猫がなにかを加えているのに気付いた。
血に赤く染められた細長い物体が例の矢であるとすぐに気付き、優しく撫でるようにその矢を猫から拝借する。
「確かに……矢尻の部分だけ血が膨れてる」
矢尻の部分だけが、まるで沸騰したお湯のようにボコボコと泡を立てている。
「それじゃあ……シローはどうなるの? 死んじゃわないよね?」
おろおろと慌てふためきながら周囲に賛同を求めるカティ。
両親も、少し後ろ向きな青年も、治療を行っている女も頷こうとしなかったが、シローだけは深く頷いた。
「もちろんだ。なんの毒かはわからないが、清い白水に治らぬ病などない」
感動の涙で瞳を潤わせているカティだったが、倉庫の扉から堂々と現れたトレイルが水を差してくる。
「だけど白水は有能じゃない。だから完全に毒を浄化するには時間が掛かる。それも一日二日なんて短い時間じゃなく、もっと長い時間が。だよな?」
一度、己の股元を吟味し、シローは深く頷いた。
「早くとも、一週間は掛かる」
時間を短縮するために訪れたはずが、ここでシローの治療を行っていては、トレイルの火傷跡を治療しているのと大差ない。
「駄目だ!」
アルゴルンは叫び、シシーは生みだしている白水の白みを一瞬だけ薄めた。
「アルゴルンの言うとおり、俺たちにだってタイムリミットがある。一週間もここに滞在するようなことはできないんだ。たとえ古聖獣を見捨てようとも」
「せっかちな奴め……」
一時の感動をいともたやすく奪われたカティは、唇を噛み締めながらトレイルに異議を唱えた。
「なにがタイムリミットよ! シローの命以外に大事なものなんてあるっていうの?」
「あるさ」
その一言だけでは満足などできるわけもないカティ。トレイルもそれぐらいわかっていたが、簡単に友の恥部を晒すわけにもいかず、ただ黙っていた。
「言ってあげてトレイル。それで彼女が納得するのなら……」




