第6話 名もなき街の名も知らぬ親子
「さっさと起きろ、アルゴルン」
解呪の際に気絶してしまったアルゴルンの頬を杖で突くトレイル。しかし反応はない。
アルゴルンの周りにはトレイルを含み、四人の男女が心配そうな目で彼を見つめていた。
その中には見知らぬ男や、その男にくっついて離れようとしない少女の姿があった。
「やはり、医者の方に見てもらった方が…」
男が腰の低そうな喋り方で言うと、シシーはそっけない返事で返した。
「放っておけばいつか目ぐらい覚めるでしょ。それでもダメならあたしが蹴り起こすわ」
その言葉には若干の怒りも籠っていた。どうやら解呪の時に放置されたことを根に持っているようだ。
「そう怒るなってシシー、結果的に解呪出来たんだからよ。もしお前がこの人に魔法をにぶつけていたら今頃どうなっていたのやら…」
「だけどその解呪にあたしの呪いを解くための材料を全部使ったんでしょ?」
「まあな」
たった一言だけで済ますトレイルに対してシシーは、またも獰猛な狼のようにトレイルの首を絞めてくる。
「…」
首を絞められているのに、まるで人形のように動きをみせないトレイル。
シシーはいつものように顔を蒼白にし、慌てて絞めていた腕を放すと、トレイルは首を何度か回すだけで何事もなかったかのようにピンピンしていた。
「狸寝入りしてたのね!」
言い終わると脛に思い切り蹴りをぶつけてくる。首を絞めらるより遙かに痛い攻撃に立ってなどいられず、その場に座り込むトレイル。
「だ…大丈夫ですか、私の呪いを解いていただくためにシシーさんに使うはずだった材料を全て私に使ってくださったので、蹴られなければいけないのは私です」
少々危ないの発言にトレイルはすかさず反応した。
「いやいや、娘さんの前でなに言っているんですか。俺達、解呪師は呪われた方を救う仕事をしてしているんですよ。脛に蹴り叩き込まれるぐらい、なんともありませんよ」
少し良いことを言っているようだが、足をさすりながらその場にしゃがみこんでいると、どうしてもかっこが付かない。
その上、「なら、もう一発ぐらい蹴っても大丈夫よね?」と言いながら何度も足を振っているシシーがいるのでは無様としか言いようがない。
「ねえ、杖のお兄ちゃん」
トレイルが身を丸くして蹴りに備えていると、男にくっついて離れようとしなかった少女が一歩前に出て、自分よりも少しだけ背の低くなっているトレイルに声をかける。
「あの、えっと…ありがとう、お父さんを助けてくれて。もう会えないと思ってたからすごくうれしくて。杖のお兄ちゃんには感謝してもしきれないくらい、ありがとうって思ってるから…」
少女は泣き出しそうな目をこすりながら必死に感謝の気持ちを伝えようとする。
それに対してトレイルは今までの優しい口調ではなく、あえて遠慮のしない友人のように語る
「ああ、たった一人のお父さんだからな、大事にしろよ」
少女はトレイルの口調が変わっていたことに気付かずにいた。それでもトレイルの慣れ慣れしさになぜか安心感を感じ、目から大粒の涙を流し始める。
少女の泣き声はとてもうるさかった。それこそ昼寝なんてしている奴は飛び起きるほどに。
「…なんの音だ?」
アルゴルンの第一声はそれだった。
優しさの欠片も感じられない無愛想な返事をしながら横になっていた状態を起こすと、目の前、とまではいかないが、なかなか近い距離にいたトレイルたち四人に驚き、またも距離を取るように後ろに跳ねる。
今回は後方がなにもない空間ではなかったので、川に転落するようなことはなかった。
十分な距離を取ると冷静さを取り戻し、目が覚めた瞬間に疑問に思っていたことをひとつ一つ言いだす。
「そこにいる、男と少女はだれだ?それにどうして俺は寝ていたんだ?いや、それよりウェアウルフはどうした、あれで解呪できているのか?」
「一気にあれこれ質問するなよ。質問は一度に一つまでだ」
身を丸くしたまま言うトレイル。
「そうだな、それじゃあお前が丸まって遊んでいる理由から聞こう」
その質問にトレイルは一笑しながら答える。
「なかなか痛いとこ付いてくるな。まあ、大した理由じゃないけど、あえて言うならば、気が向いたからかな」
適当極まりない答えにアルゴルンは最初から期待などしていなかったかのように次の質問に移る。
「次は…そこの知らない男と泣いてる少女は誰だ?」
その質問には男が答えた。あまり愛想のよくなさそうな相手のせいか緊張してるようだが。
「私はつい先ほどまでウェアウルフとなっていましたが、トレイルさんに解呪していただき、普通の人間に戻った普通の男と思っていただいて結構です」
男は自分自身の説明には味気のない普通的な答えで済ましたが、次の娘の説明ではかなり力を込めながら話してくる。
「この可愛らしい子は私の娘です。私がいなくなってからの一ヶ月間、たった一人の力で過ごしていた賢く、可愛らしい子です。たとえ私自身がウェアウルフになってしまってもさらってしまうほどに可愛い愛娘です」
親ばか、それがこの男には一番似合いそうに思えてくるほどのべた褒めだった。
確かに、十歳にも満たない少女が一人の力で一ヶ月もの月日を生き延びるのは簡単なことではないだろう。それでも男の誉め方は異常だ。
いつの間にか少女は泣くのを止めて、父親が褒めてくれるのを今か今かと待ちわびていた。
「アルゴルン、一件落着したことだし、あれ、やろうぜ」
トレイルは大股で一歩前に出ると、片腕だけを上に掲げる。腕は挙手をしているよりも若干斜めに傾けいる。
「そうだな…」
あまり気の進まない返事をしながらも一歩、また一歩と前に出る。アルゴルンも片腕を掲げると、トレイルの手の平に強く当てる、俗に言うハイタッチをした。
手の平同士がお互いにぶつかり、乾いた音が辺りに響く。
ハイタッチが終わるとアルゴルンは透かさず後ろに跳び、軽くバンダナ越しの額を触る。
「さて、ハイタッチも終わったことだし、次の街に行くとするか」
街に着いてから半日も経っていないというのに、唐突に街を離れると言い出すトレイル。
その発言に誰よりも早く疑問の声を上げたのは男だった。
「もう行ってしまうのですか?まだなにもお礼になることなどしていないのですが…」
「解呪師ってのはこう見えて忙しいんですよ、旅の解呪師は特にね。それにお礼なんていりませんよ、簡単に払えるほど安い金額でもありませんし、ここは昔の解呪師に肖って無償にしときますよ」
その発言に男は深々と腰を曲げる。少女も父親と同じように頭を下げる。
しかし、シシーは違った。
「ちょっと待って、あたしの呪いはどうなるのよ?材料がないからって『またの機会をご利用ください』なんて言わないわよね?」
旅支度をしていたトレイルはさも当然のような顔をしながらシシーに言う。
「当たり前だろ、さっさと次の街にいくのもお前の呪いのタイムリミットが一ヶ月しかないからだぞ?」
右手に杖を持ち、しっかりと空いた左手にはなにも持たないくせに、頭上には紙袋を定位置とだ、と言わんばかりに置くトレイルを見て、シシーは独り言のように呟いた。
「もしかして…あたしも一緒に?」
「言うまでもないな、一緒に決まってんだろ」
その一言は、まるで何年も一緒にいた仲間に向けるような自然な言葉だった。
シシーは目をつぶってしまった。呆れや失望のせいなどではなく、トレイルの自然すぎる仲間意識に、初めて会ってから半日も経っていないシシーに、「一緒に旅をするんだろ?」と言いそうなほどの警戒心の皆無さが、シシーには心地よかった。
「そう…そうよね、あたしの呪いを解くためだもんね、一緒に行きましょう。二人とも」
シシーは心の奥から嬉しいと感じていた。除々に魔物になっていく自分を不快とも、汚らわしいとも思わずに、仲間と思い接してくれるトレイルに。
「それじゃあ、またお会いしましょう、お二人さん」
トレイルが男と少女に手を振ると、シシーはここぞとばかりにトレイルの頭上の紙袋を奪い取った。そして自分の物だと言わんばかりに抱きしめる。
トレイルはなんとなくシシーが紙袋を持っているのに納得できず、紙袋を奪い返そうとするがどうもうまくいかない。
そんな二人を若干離れながら眺めていたアルゴルンは、厄介な奴が増えたな…と思いながらもトレイルが放棄した、「親子に手を振る」と言う行為を引き継いでいた。
早くもトレイルから手を振られなくなってしまった親子は、三人の若者が遠く離れ、見えなくなるまで手を振った。
こうして、三人は名もなき街の名も知らぬ親子と別れ、次の目的地に向かって歩き出す。