第5話 思わぬ来客
予想の遥か上を行く答えにシシーの困惑は頂点に達しようとしていたが、それと同時にトレイルの旅をしている本当の理由が知りたくなった。
だがトレイルはそんなシシーの思いを無視する。
「さて、無駄話はこれくらいにしておいて、儀式を始めるか」
唐突に今までの会話を切り、本題である解呪に移ろうとするトレイル。納得できないもやもやした気持ちが残ったが、今は呪われた身体から解放される方が重要だと考え、黙って頷くシシー。
「ちょっと眩しいが、我慢してくれよ」
トレイルが杖を前に突き出すと、杖の先端が光の糸に変わる。光の糸は一本から何十本、何百本にも分裂し、シシーの全身を包み込むマユとなった。
マユの中はほんのりと暖かったが目を開けることができないほど眩しい光を放っている。
トレイルは両腕で杖を握り、全神経を杖の先端に集中させるかのように目を閉じる。少しするとトレイルの服が所々光り始め、服の隙間からなにかが出てくる。
アルゴルンは初めて見る解呪師の儀式に目を丸くしていたが次第に慣れていき現状の把握を始める。
トレイルの服から出てきた物体は、白く輝いているが目を凝らせばトレイルが集めていたガラクタに見える。恐らく儀式に使う材料であるのだろう。
それよりもアルゴルンが気に掛けたのはシシーを包み込んでいる光る糸が数本、おかしな方向に進んでいることだった。街とは逆の方向に、山や森にしかない方向に光る糸が進んでいる。
トレイルは気づいていなかった。道を間違えている数本の光る糸にも、その糸がなにを目指しているかも。
儀式の材料である光るガラクタがシシーの近くまで来るとマユの放つ光が薄くなり、数秒も経たずに光のマユは消滅し、儀式の材料も地面に落ちた。もちろん光は放っていない。
「終わった…の?」
あまりにもあっけない最後に首を傾げるシシー。しかしもう一人、首を傾げている人物がいた。
トレイルだ。彼は手の甲で杖を二、三回叩くと軽く考え込み、すぐに納得のいく表情を浮かべ出す。
「忘れてた、モンスター・チェンジは元の魔物の一部分が材料になるんだった」
「それって…解呪に失敗したってこと…?」
徐々に蒼白に近づいていくシシーの表情を素早く察知したトレイルは、慌てて弁解に入る。
「違う、アレは儀式に入る寸前で杖が止まったから成功も失敗もない。材料が一つ足りなかったんだ。それもすぐに手に入るはずだ」
「あんなに自信満々だったくせに、一体なにが足りなかったのよ!」
獰猛な狼のようにトレイルの肩を揺らすシシーを見て、早くもウェアウルフの獰猛さが移ったな。とトレイルは思っていた。
「簡単に言うとだな、シシー、お前に掛かってるモンスター・チェンジの魔物、つまりウェアウルフの素材の一部分が解呪に必要なんだ」
「なんだ、それならあたしの背中の毛を使えば一発解決じゃない」
そう言うとシシーは後ろを向き、背中の毛をアピールしてくる。
「それじゃ駄目だ。特定の呪い(モンスター・チェンジなど)は解呪するのにそいつ自身の一部である材料は使えない。それに魔物によって必要な素材が限られてる。ウェアウルフなら尻尾が必要になる」
「それじゃあ、あたしの呪いが解けないじゃないの」
獰猛な狼のようなシシーは今度はトレイルの首を掴み、激しく揺らしてくる。いつトレイルが泡を吹いて倒れても不思議ではないほどに。
「ま…町の露店で…ウェアウル…フの…尻尾を売って…いる、お…女の子がい…る」
なんとかそこまで言うとやっとシシーは首を握り絞めていた手を放してくれた。
「なーんだ、それならさっさとその露店に行きましょ」
「は…はい」
今回も街の中に入らずに石橋の上で待たされているアルゴルンは紙袋を持っていた。もちろん頭の上ではなく、腕で包むように。
彼は前のように石橋の端に座ると尻に異様な不快感を感じた。水だ。川に飛び込んだ時の服に水が染み込みビショビショになり全く乾いていなかったからだ。
紙袋が濡れるとまずい。そう思ったアルゴルンは紙袋を横に置く。
ただ待つだけのアルゴルンは数本の光の糸が目指していた先を見つめている。
なぜ光の糸はなにもない森や山を目指していたのだろう…?魔物がいる以外になにもない所を…
それ以上深く考えなかったアルゴルンだが、目は離れない。見えないなにかを警戒するように、目を細め、外の世界を睨む。
すると森の中から三つの影が姿を現し、素早く近づいてきた。
「ねえ、石橋の下に呪いを解くのに使う材料を置きっぱなしだったけど…いいの?」
「そうだったか?まあ、盗んでまで欲しいほどの物じゃないし、そのままでも大丈夫だろ」
「あたしの解呪に使うのよね…?」
二人の男女は街の出入り口近くの露店でウェアウルフの尻尾を売っている少女を探していた。
少し前にアグレ石を買った場所には少女はおらず、代わりに毛むくじゃらで頻りに舌打ちをする男が腐りかけの果実を売っていた。
悩んだ末、トレイルはいかにも機嫌の悪そうなこの男に質問することにした。非常に気が進まないが…
「一つ聞きたいことがあるんだが、さっきまでこの場所で魔物の尻尾なんかを売っていた女の子を知らないか?まさか…あの子の父親じゃないよな?」
敬語の切れ端も使わないトレイルに対して、露店の主人は激怒し、腐りかけのトマトを投げつけてきた。
「だれがあんなクソガキの父親だって!?あのガキは俺が留守の間、勝手に商売を始めやがったんだ。ちょっとオヤジさんが行方不明になったくらいで好き放題やりやがって…」
トレイルは腐りかけのトマトを顔面で受け止めると、腐りかけだと思っていたトマトが完全に腐りきっていたことに臭いで気づき、思わずその場から逃げ出した。
シシーは露店の主人と会話をしていなかったため、腐ったトマトを投げつけられはしなかったが鼻がねじ曲がるような悪臭を察知し、トレイルと同じように逃げることにした。
街の中心まで来ると人通りがさらに激しくなっていた。そんな中、街のシンボルであるかのように建っている噴水のそばで顔を洗う男をシシーは発見した。
「災難だったわね。まさか腐ったトマトを投げつけられるなんて…」
慰めるために掛けた言葉だったがトレイルはブツブツと独り言を呟くだけでシシーの言葉など耳に入っていない。
「なにがトマトだよ…トマトのどこがいいんだ…」
トレイルの異様なまでのトマトへの憎悪が自然的な呪いを生むのではないかと心配したシシーは、トレイルの背中を強く叩き、邪念を祓った。
「な…なにすんだよ、シシー」
「トマトをぶつけられたくらいでへこまないの!今は女の子を探して、ウェアウルフの尻尾を買う。わかった?」
シシーの言葉に胸を打たれたトレイルはもう一度噴水の水で顔を洗うとスッキリした顔で歩き出した…が、やはり腐ったトマトの臭いが残っており、強烈な吐き気に襲われる。
「だ…大丈夫?やっぱり少し休む?街の中で吐かれても困るし…」
すまない、とシシーに一言告げると、噴水に寄りかかり、腰を落とした。
新鮮な空気を肺に送るため、何度も深呼吸をしていると、ふとシシーが訪ねてきた。
「ねえトレイル、どうして彼は街の中に入ろうとしないの。人ごみが嫌いだから?」
彼とはアルゴルンのことだ。シシーは一人だけ残ったアルゴルンのことが気になりトレイルに聞いた。
「半分正解だ」
気分が悪そうに腹をさすりながら曖昧に答えるトレイル。
「じゃあ、残りの半分は?」
「それはお前自身があいつの口から直接聞くんだな」
この男は中途半端な答えを言って相手を悩ませるのが趣味なのだろうか。もしそうならば、なんとしてでもちゃんとした答えを聞かなければ気がすまないとシシーは考えていた。
「納得がいかないわ、あなたの口からは言えない理由があるの?もしそうなら、あなたの口から言えない理由のその理由だけでも聞かせてくれない?」
なんともトンチ染みた質問だったが、トレイルは悩みもせずに答えた。
「他人に自分のプライベートはできるだけ覗かれたくないだろ?それだよ」
しかし、トレイルの答えには、質問との関係性が全く見えなかった。
以外にも、一瞬納得してしまったシシーが、顔を赤くして問い詰めようと口を開いた瞬間、近くで幼い少女の悲鳴が聞こえた。
悲鳴は街の出入り口。露店がいくつも密集している付近からだ。
「トレイル、今の悲鳴もしかして…」
「ああ、露店の女の子だ!」
二人は露店近くを目指して翔けた、顔面に喰らったトマトのことなどとうに忘れて。
露店はパニック状態だった。物を売っていた商人たちは東西南北それぞれの方向に逃げ、その中心には、一体の直立不動をした狼がいた。体型こそ人間と同じだが、その毛で覆われた身体は狼そのものだ。
ウェアウルフ、すぐそばにいるこの生物はシシーが今現在もっとも嫌悪している存在だ。
しかもウェアウルフは一人の少女、露店で石を売ってくれた少女を人質に捕っているかのように掴んでいた。
少女は脅え、震えていたが、まだ売れていない品物は大事に持っていた。その中にはシシーの解呪に使う大事な材料も含まれている。
「あのウェアウルフ、女の子を人質に捕ってなにをするつもりなの?」
疑問を漏らすシシーと違って、トレイルは心の中で疑問を呟いていた。それもシシーが言ったことではなく、あのウェアウルフが石橋を渡ってきたのであれば、アルゴルンはなにをしていたのか。
深く考える暇もなくウェアウルフは身を屈め、後ろ脚を大きく曲げ、こちらに向かって跳躍してきた。狼の跳躍と同じで徐々に速くなるのではなく、一気に最高速になり相手の懐に飛び込んでくるのでシシーは反応できなかった。
しかし、トレイルは一瞬の出来事を瞬時に対応し、跳躍してくるウェアウルフに合わせるように杖を突き出す。それはウェアウルフの喉元にぶつかり、ごき、と鈍い音を発する。
それでも止まることのないウェアウルフは少女を掴んでいる腕とは違うもう片方の腕でトレイルに殴りかかってきた。
正確には殴ってきたではなく、爪を食い込ませにきた。の方が正しいだろう。
トレイルはなんとか杖で防御にでると、ウェアウルフの爪は杖に激しくぶつかる。その直後、爪はあっけないほどにぽっきりと折れてしまった。
鈍い金属音が響いたわけでもなく、眩しい火花が咲いたわけでもなく、木を削っただけでできた杖にウェアウルフの爪は負けた。解呪の時はあれほど柔らかく、細い糸に変わったていたと言うのに。
「トレイル、あたしの魔法でその魔物を倒すから、少しの間、時間を稼いで頂戴」
もちろん反対だった。もしとんでもない魔法が飛び出て、女の子になにかあったらどうするんだ?と言おうとしたが、口を開いた時にはシシーはすでに呪文かなにかを詠唱し始めていた。
「おい!ちょっと待った…」