第11話 コルンタへ
「コルンタに行く理由?」
「ああ、だけどシシーのコルンタ村に行きたくない理由も充分わかった。どうしてもお前がコルンタ村に行きたくないと言うのなら、理由なんてほっといて、ここはシシーの意見に従うことにするぞ?」
シシーは悩んだ。トレイルの巧妙な話術に掛かってしまい、理由だけでも知りたくなったが、コルンタには呪いを解くまで近付きたくないとも思っていた。理由を聞けばトレイルの話術に言い包められ、コルンタに行くことになる可能性は充分にある。
頭を抱え、深く悩み込んでいるシシーを見て、トレイルではなく、アルゴルンが痺れを切らし、会話に割り込んできた。
「トレイル、お前は呪われたことがないから簡単にそんなことを口にできるが、俺は違う。呪われた者にとって故郷とは苦痛だ。シシーのように蔑まられ、村を追われる者もいれば、一番親身になってくれも存在からの慰めがただ辛く、重く感じて村を去る者だっているんだ。だからお前のくだらない話術でスィスィルを惑わそうとするな」
後者であるアルゴルンは両親からの深すぎる愛情に耐え切れず、故郷を去った。
トレイルに出会うまで詳しい所まで呪いを理解していなかったが、近付けば頭のカウントが減り、爆発してしまうことには薄々気づいていた。手を伸ばせば届く距離にいた両親に寄り添うことも出来ず、また、呪いに苦しんでいる我が子を抱くことも出来なかった現状は、アルゴルンにとって苦痛だった。
村を出て、森で一人暮らしを始めていたアルゴルンにトレイルは寄り添い、彼の優しさとはなにかが違う図々しさに奇妙な安堵感を感じ、気が付くと、共に旅をすることになっていた。
トレイルとアルゴルンが共に旅をし、半月ほどの時間が過ぎたが、二人の意見が食い違った試しは一度もなかった。しかし、シシーが仲間に加わった今日、初めて二人の意見は分かれた。
「待ってアルゴルン、話を聞いてからでも結論を下せるわ、今はトレイルの言っていた理由を聞いてみましょう」
アルゴルンは頷きながらも顔をしかめていた。どんな理由であれ、トレイルにうまく言い包められるコルンタに行くことになる気がしてならなかったからだ。
かくいうシシーも性格的な意地とトレイルの言い回しのよって、大分コルンタに行かなければと言う気持ちになっていた。
トレイルはシシーの承諾を得て、理由を二人に説明しだす。
「俺はシシーから今の話を聞くまで、お前の呪いは呪躁師による『人工的な呪い』だと推測していた。だが、さっきのお前の話を聞くと、どうもおかしな点を見つけたんだ。年単位で起きる呪いが全て呪燥師の仕業だとしたら、年に一回、シシーの村をわざわざ訪れていることになる。そんな面倒くさいことを呪躁師がやるとは思えない。そうなれば残る可能性は一つだけ…」
もったいぶったトレイルの言い方にシシーは急かすように聞く。
「ちょっと、前置きはいいから早く本題に移ってよ」
「悪い悪い、前置きも必要だと思ってな…とにかく、俺の推測はこうだ。シシー達は呪躁師たちの人工的な呪いを受けたのではなくではなく、『自然的な呪い』を受けている…と」
『自然的な呪い』とは。石橋の下でトレイルがシシーに説明していた恨みや怨念によって生まれる呪いのこと。
シシーは半日ほど前の記憶を忘れてしまうほど歳は重ねてなどいない。だがトレイルの言葉に疑問が生じ、問いかけてしまう。
「どういうこと?」
「シシー、呪躁師が行う人口的な呪い以外にもう一つ、呪いがあると説明したのを覚えてるか?」
疑問に思った箇所と、トレイルが再度説明しようとしてる箇所が異なり、シシーは大ぶりで急かすように頷く。
「そうか。それじゃあ、お前の村に立ち入りが禁止されている場所や、村の人が誰も近寄らないような場所はないか?」
立ち入りの禁止と誰も近寄らない場所と言うの質問に対した違いはないのでは?、と思いながらもシシーは記憶のカバンの奥深くまで腕を伸ばした。だがそれらしい記憶の断片は見つからず、申し訳なさそうにトレイルに謝る。
「残念だけど、そう言った場所はコルンタにはないわ、田舎の村だし、村の中ならどんな場所でも一度は通ったことがあるくらい」
「そうか…」
そう言うとトレイルは一人考え込に耽ってしまう。
疑問に思っていた箇所にはなんの説明もせず、一人で物思いに耽っているトレイルにシシーは思わず声を掛ける。
「トレイル、最近あたしの周りで誰も死んでないって言ったのを覚えてる?」
「ああ、それがどうした…?」
顎に手を置き、考え込んでいたトレイルは、不思議そうな表情で聞き返す。
「それなら、あたしがその『自然的な呪い』に掛かってるなんてありえないんじゃないの?あんたの話が正しければ、恨みなんかを抱いたまま死んでいった人が自然的な呪いを生むんでしょ。コルンタで誰かが亡くなったのは、半年も前のことよ、その人の怨念が半年も経って偶然あたしに取り憑いたなんて。そんな嫌な偶然、あたしは信じたくないわよ」
シシーの感じていた疑問をようやく察したトレイルは、掌を叩くと今度こそちゃんとした説明を始める。
「たしかに、死んだ後の恨めしいと思う感情が半年以上継続することはあるかもしれないが、俺は違う可能性を考えている。シシーの住んでいる村、コルンタ村に怨念が溜まっている場所があるんじゃないかとな」
トレイルの話に大分理解が遅れてきたシシーは疑問の声を掛けることすらせずに、必死の頭の中で情報を整理していた。
アルゴルンも理解力は人並みよりかは高い方だったが、学んだことのない呪いについてはやっとついてこれている程度だった。
「怨念が溜まったりするのか?」
シシーの頭の整理が付くまで代わって質問をすることにしたアルゴルン、それにトレイルは透かさず答える。
「一部の怨念が溜まりやすい場所や、一ヶ所で大量虐殺なんかが起きた場合には、怨念が高密度に密集する『呪いの巣』と呼ばれる代物ができることがある。呪いの巣は一人や二人に呪いを憑けるだけじゃ消えず、何十人もの人を一度に呪うこともある。もしかしたらそんな場所がコルンタ村にあると思ったんだが…」
「スィスィル本人はそんな場所はない。と言った。それに例に呪躁師にあのマークもあった、常識で考えればシシーの呪いは俺と同じ呪躁師の仕業だろう。そいつがコルンタに留まっているとも考えにくい、ならコルンタ行く必要なんてないはずだ。そうだろトレイル」
呪いを背負う者の故郷を嫌悪しているアルゴルンは、トレイルの小さな思い違いを大きく責め立ててまでコルンタに向かうのを防ごうとする。
「…だが、コルンタの呪いにはなにかあるはずなんだ、なにかしらのカラクリが…」
解呪師として…いや、トレイルと言う一人の人間として呪いが幾度も起こる村を放置する、などと言う選択肢は持っていなかった。
しかし、アルゴルンの抱えている故郷の苦い思い出も、シシーの肉親からの絶望的な追放もトレイルは充分に理解しているつもりだ。
そう考えると、見知らぬ誰かの未来を心配するよりも、共に旅をしている二人を、手を伸ばせば触れることのできる二人の未来を優先すべきかもしれない。そう思い始めていた。
「あたしは…」
シシーが口を開くと、それを遮るようにトレイルが叫びだす。
「止めた!」
「え?」
トレイルは空を見上げ、あまりにも潔く止めを宣言すると、そのまま地面に大の字で倒れこむ。
「アルゴルンの言う通りだ。行きたくないとこに無理やり行っても嫌なだけだ。コルンタにはまたの機会にでも行くとするさ」
清々しすぎるほどのトレイルの反応に、思惑通りにことが進んだはずのアルゴルンすら、これでよかったのか?と、頭を抱えてしまう。
トレイルの大胆な決断により話が一気に終わりを迎えそうになると、今度はシシーが叫びだした。
「行くわ!」
「へ?」
さすがのトレイルも、シシーがなんと言ったのか理解できなかった。いや、正確には言葉の本質を理解しようとしなかった。
大雑把に決めたと思われていたトレイルの決断も、彼にとってはかなり悩んだ末のことだった。それを最初に拒否していた女が、今度はそれに賛成しだすのだから、完全に寝るつもりで大の字になっていたトレイルの頭は何度も逆回転し、目眩すら起きそうになる。
「なんであんたが決めつけるのよ!行くか行かないかはあたしが決めることじゃないの?」
なんとも自分勝手な言い分だった。さらにどのような経路を辿るのか、普通に考えればそれを決めることができるのはトレイルだけだ。
それでもシシーは意地かどうかもわからない態度を取り始めると、二人の男がいくら言い聞かせても聞く耳すら持たないであろうことは、火を見るより明らかだ。
「スィスィル。本当にいいのか?意地を張ったところで得なんて有りはしないぞ」
「意地じゃないわよ!あたしは嫌なことから目を背けたくないだけ、例えあたしが怪物になったとしても、あたしは村の一員であると思い続けたいのよ。だからあたしは大嫌いな故郷に帰るの。あとついでに、なんだかよくわからない呪いの謎も解いてやるわよ!」
なかなかの支離滅裂具合にトレイルは大の字のまま、アルゴルンは片手で顔を覆い、高笑いを始める。
シシーは大真面目に言っただけあり、顔を紅潮させて騒ぎだす。
「なにがおかしいのよ!あたしは真面目に言ってるのよ」
激怒するシシーに対して、トレイルは必死に笑うのを堪えようとするが、どうしても口元が笑みで歪んでしまう。
「いや、おかしいとは思っていないんだが、なんだかこう…良い意味で飛んでいる、と…いや、違うな、どう表現すればいいのか…シシーらしさ、これだな」
小馬鹿にされているようにしか聞こえないシシーがトレイルを睨んでいると、あまり自分から話しかけてこないはずのアルゴルンが声を掛けてきた。
「色々と言いたいことが残っているかもしれないが、とりあえず明日、コルンタに向かうことは決定だ。シシー、お前はもう寝たほうがいい」
言い足りない文句は十を軽く超えていたシシーは再度トレイルを睨んだが、すでにトレイルは目を閉じ、いびきをかいていた。
「寝てる…」
ふとアルゴルンに顔を向けると、彼は焚き火とは多少離れた場所にある木に寄りかかり、胡坐をかいていた。しかし、まぶたは閉じる気配などみせず、ジッと焚き火を見つめていた。
「アルゴルン、あなたは寝ないの?」
考えにふけっているようにも見える表情だったが、トレイルとは違い、すぐに返事を返してくる。
「いや、今はまだ眠たくないだけだ。お前が寝れば俺もいつかは寝るだろう」
まるで他人事であるかのような言い方をするアルゴルン。シシーはそれに気付いていたが、激しく問いただしたりはせず、暗闇の空を眺めた、呟いた。
「ねえ…アルゴルン」
「なんだ?」
再び二人きりの会話が始まりを告げた。
トレイルが「忘れ物を取りに行く」、と言い残しどこかに去っていき、まだ半日ほどしか経っていないが、シシーとアルゴルン。二人の人間の仲はあの時よりも見違えるほど緩和されていた。
「本当のことを言うとね、あたし、村に戻るのがすごく怖いの。背中からウェアウルフの毛が生えてるのに気づいてからはまぶたを閉じるたびに火炙りにあった人たちの苦しむ顔が頭から離れなくて、あの村に戻ったらあたしも、ああなるんじゃないかって思うと…」
つまらない意地と怒号を撒き散らしていたシシーは、身体を震わせながらアルゴルンに本心を語る。 アルゴルンも、シシーの表情が恐怖で満ち溢れてさえいなければ、存分にため息を漏らし、説教でも始めていたのだが、そうもいかなかった。
「シシー、そう言うことは俺じゃなく、トレイルに言うべきだ。こいつならお前を慰めてくれるだろうが、俺はそんな気の利いた人間じゃない」
「慰めてほしかったわけじゃないの、ただトレイル以外の誰かに知ってほしかっただけ…あたしの本当の感情を。怖くて、辛くて、今すぐにでも逃げ出したいこの感情を…」
極寒の地にいるかのように身体を小刻みに震わせるシシー。その姿はまるでネジを巻いて動いているだけの人形のように単調だ。
「なんでトレイルにだけ言えないんだ?こいつが一番親身になって聞いてくれると思うが…」
「それはトレイルが優しすぎるからよ。彼に言ったら、『ならコルンタに行くのは止めだな』なんてことを当たり前な顔して言いそうだもの。それにあなたはあたしと同じ…『呪われた人間』だから」
「『呪われた人間』…か」
他人から言われて気分の良い言葉ではなかったが、共に旅をしていると言う意味でも、呪われた者同士と言う意味でも、『仲間』から言われるのであれば、アルゴルンもそこまで腹は立たなかった。
それでも多少は悲しい表情になっていた。
「ゴメン…気を悪くしちゃったよね…」
「そんなことはない。と言ったらウソになるが、謝るほどでもないさ。『呪われた人間』である事実が俺やお前に与えたものは不幸だけじゃない」
焚き火付近を見つめると口元を吊り上げ、ニヤリと笑みをこぼす姿からシシーはアルゴルンがなにを言いたいのかを察し、シシー自身も柔らかな頬笑みを浮かべた。
「トレイルだ。俺はこんな奴に出会えたことだけは呪いに感謝している。こんな図々しい性格の人間は見たことも聞いたこともない。だが俺にはそんな図々しさに心地よさすら感じる」
シシーは大の字で寝ているトレイルを見つめると、詠唱中にトレイルから図々しく唇を触られたことを思い出していた。
あの時シシーは、誰かにキスをされたのではないかと思い、頬だけではなく顔全体を真っ赤に染めていた。高まる鼓動をなんとか抑え、いざまぶたを開けば眼前にいたのはよそよそしくしているトレイルだった。予想通りでなおかつ、予想もできなかった事態になんと返答すれば良いのかわからずに思わず拳で語ってしまったシシー。
食欲があまりなかったのも、突然、トレイルに魔法の話を始めたのも、支離滅裂な言い分を喚いていたのも、もしかしたらキスをされた。と勘違いしているせいかもしれない。
「さあシシー、もう寝てくれ。お前が眠ってくれないと俺も安心して寝れない」
意味深な言葉であったがシシーはそんなことなど気にも止めず、大の字でいびきをかいているトレイルの隣に来ると、寄り添うように身体を逸らし、横になった。
「なるほどな…『ボム・チェンジ』のせいで、他人に近付くことのできない俺への当て付けだな?」
冗談半分で茶々を入れてくるアルゴルンにシシーは頬笑みながら返した。
「ううん…トレイルのそばにいると映らないから」
「映らない?いったいなにが」
「まぶたの裏側に見える、火炙りにあっていた人達のことよ。なんでだろう…どうしてトレイルのそばにいるとこんなにも心が落ち着くのかな?」
頬笑みながらも困惑していたシシーに対して、アルゴルンも頬笑んで返した。
「それはきっと、トレイルが『お前だけの存在』だからじゃないのか?」
「…」
返事はなかった。すでに寝ているのか、もしくは寝たふりをしているのかアルゴルンにはわからなかったが、急速にまぶたが重くなり、そのまま睡魔に身を預けるのも悪くないと思い、彼は眠りに落ちた。