消えゆく月極駐車場に想う
近所に古くて大きな建物がありました。住居と事業所が一体となっている造りで、住居部分には四人の子どもとその両親が暮らしていました。
とても仲の良い家族で、庭には珍しい花がいつも咲き誇っていて、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。
特に親しいわけではなかったけれど、今年の夏も大きなビニールプールで遊ぶのかなあなんて少し楽しみにしていました。
けれど、老朽化でしょうか、家族は引っ越してしまいました。
見事な庭園はそのままだったので、最初は気付かなかったのですが。
数か月後、空き家になったその家の雨戸の収納部分にハクセキレイが巣を作っていました。
どうか無事に巣立ちますように。なんとなくあの家族と重なってしまい、毎日せっせと働く親鳥たちと会うのが楽しみになっていました。
ある夜、私が仕事から戻ってきた時、巣の在ったはずの二階部分は破壊されて無くなっていました。
突然解体工事が始まったのです。
もちろん解体業者の人たちが悪いわけではありません。
私はあまりの衝撃で、ただその空っぽになってしまった空間を見つめることしか出来ませんでした。
ハクセキレイはとても賢くて一途な鳥です。
解体工事が進む中、親鳥は決してその場を離れず、呆然とした様子で雛鳥を探していました。翌日も、その次の日も。私が知る限り片時も離れようとしませんでした。
さらに一週間ほど経って、更地になったその場所にハクセキレイが居ました。私にかける言葉はありませんでしたが、なんとなくわかりました。
最後のお別れに来たんだろうなって。
ハクセキレイはたくましい生き物です。巣を失ったとしても、番で協力してまた新たな巣を作ります。私には祈ることしか出来ませんでした。
どうか今度は幸せになって欲しいと。
翌日からハクセキレイの姿を見ることはなくなりました。
更地となった場所は駐車場になりました。
私は複雑な気分で駐車場に出来た真新しい看板を何気なく見て――――
思わず二度見してしまいました。
「え……? 月決め駐車場って何?」
最初は業者が間違えたのかと思ったのですが、調べてみると最近は、月極駐車場ではなく、月決め駐車場が増えているらしいのです。
理由としては、読めない人が多い、常用漢字表の指定から外れている(表外音訓)から、らしいですが……。
単純に間抜けに見えるということもありますけれど、とうとうここまで来たのかという危機感に背筋が少し寒くなりました。
たしかにこれでも意味は通じます。
でも、決めるというのは、単にAにするかBにするか、心を定めるという、個人の意思決定のニュアンスが強いです。たとえば進路を決めるとかですよね。
一方で極めるという字には北極や究極のように、これ以上ないギリギリの境界線、到達点という意味があります。そこから転じて、商売や契約においては、これ以上動かさない最終決定として、ガチッと約束を固定するという、非常に強い約束・契約の重みがあるんです。関節技を極めるというのもここからきています。
つまり、月極と書くことで、1か月単位で、お互いにこの条件を絶対に動かさない最高レベルの約束ですよという、日本の古い商習慣の粋や信頼の重みが視覚的に表現されているのです。それが表意文字である漢字の強みです。
極という漢字そのものは常用漢字に含まれてはいるのですが、読み方が除外されてしまっているのです。そもそも何百年も使い続けられている読み方を一方的に国が制限するというのもおかしな話ですよね。
このあたりの違和感は少し歴史を遡る必要があります。
戦後、1946年、漢字を廃止するためにGHQ主導で作られたのが当用漢字ですが、これは廃止するまで混乱を避けるため当面使い続ける漢字という意味です。その数たったの1850字です。最終的にはゼロにするつもりだったわけですから、これでも妥協した方なのかもしれません。
そして、当用漢字以外は公的な書類や学校教育、新聞などのメディアでも使用出来なくなりました。なぜなら、当時の印刷は鉛の活字を1文字ずつ手作業で並べて版を作る活版印刷の時代でした。戦前の印刷所には数万種類の活字が揃っていましたが、当用漢字1850字以外の活字はすべて廃棄させられ、ルビも禁止されたからです。つまり、物理的に印刷出来なくなったということです。
この制限によって、わずか数年で日本の文化は壊滅的なダメージを負うことになります。
国(文部省)はその後も頑なに漢字をゼロにするというロードマップを捨てることは無く、民間の圧力によって1981年の常用漢字制定がなされるまでこの文化破壊の影響は続きました。
この間、もし国民が国の言いなりになっていたら、今頃漢字は完全に失われていたかもしれません。ですが、小説家たちはあえて当用外漢字を使った原稿を書き続け、印刷所は特注で金型を作って支えました。新聞社も独自ルールを作って抵抗し、国民も豊かな文化が失われると声を上げ強固に抵抗し使い続けることで圧力をかけ続けたのです。
そして――――1981年、文化を維持するために常に使い続ける漢字ということで制定されたのが、常用漢字(1,945字)です。数そのものは百足らずしか増えていませんが、強制ではなく目安という表現に変ったことで一定のブレーキにはなりました。
ですが、日常的に使われている漢字はおよそ4000から5000、まったく足りません。
たとえば「拉致」という言葉は、常用漢字から外れるため、「ら致」と表記されていました。
有名なエピソードですが、新聞の見出しで「大学生ら致される」というものが、大学生らが何か致されたのか? という誤読を生んでしまい、このままでは意味が通じないと問題になりました。
危機感を抱いた日本新聞協会が独自ルールで「拉致」と書き、読めない人のためにルビを振るという方法で対応しましたが、国は一切動きませんでした。
そして――――2002年以降、皮肉なことですが北朝鮮による拉致問題が表面化し、拉致という言葉が完全に一般化定着することに。
2010年、国がようやく追認して「拉」が常用漢字に追加されました。じつに64年振りの復帰です。
個人的には常用漢字に加えてもらいたい漢字がたくさんあります。
たとえば、絆 、嘘、鷹、迂、碍 などは日常レベルでも使われていますし、代替が難しいものばかりです。というよりもなんで外されているのか意味不明です。
追加認定を待っているのですが、残念ながら今はローマ字の統一にかかりっきりでその気配すらなさそうです。
もちろん書類やデータ管理の意味で統一して効率化することの重要性は理解していますが、文化とは効率化の枠外に存在するものですからね。
その証拠に小説、ラノベ、アニメ、マンガなどのサブカルチャーが古代の文化を現代に復活させています。
膾炙 (かいしゃ) 煉獄 (れんごく)霹靂 (へきれき)傀儡 (かいらい / くぐつ)結界 (けっかい)三流 (さんりゅう)間者 (かんじゃ)など挙げればきりがありません。
やはりカッコいいものは何度でも蘇るのでしょうね。
今の時代、わからないことは一瞬で調べられます。わざわざ活字の金型を作らなくたって印刷出来てしまいます。
月極をげっきょくと読んでしまい、知らない世界を知る喜びと興奮、本を読んで知らない読み方や言葉と出会った時のトキメキ。
これからの子どもたちが大人になる時、果たして世界はどうなっているのでしょうか。
効率を極限まで突き詰めた先に待っているのは、もしかしたらシンプルで退屈な世界なのかもしれません。
平べったい月決めの看板を見つめながら――――頑張れ小説家!! 私自身を含めてエールを送りたくなった土曜の午後なのでした。




