表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

『SOLD OUT』のその先で

作者: 遠藤紬
掲載日:2026/04/01

初めまして、遠藤紬です!

最後まで読んでいただけると光栄です。

親は、成功して大商会を立ち上げた。

功績を挙げたのは親で、僕じゃない。


なのに、だ。


皆そろって顔色をうかがって、媚びて、何が楽しいのだろう。理解できない。


周りの目が怖い。


ため息をつきながら顔を上げる。

すると目の前に女の顔があった。


「うおっ」


目線に敏感な僕が、気づかなかった。


それにしても、この女、僕が椅子から転げ落ちたというのに何している。


さっさと……僕は今、何を。


考えてはいけないことを、考えた気がした。


そんな僕の思考に女は割り込んできた。


「ばぁ」


たった一言、女は髪を耳にかけながらそういった。


ピクリとも動かない表情のまま、ふざけたような物言いが浮いていた。


媚びる様子もなければ顔色も伺わない。

それどころか、見透かす様な目をしている。


「…お前は誰だ?」


すると女は姿勢を正して真顔で言った。


「私のような使用人を気にかけてくださるなんて優しくて泣いてしまいそうですわ」


素晴らしいほどに真顔だ。

真顔で言われても何一つ嬉しくはない。


そんな僕の感情を知らず、女はなんてことのないように言った。


「可笑しいですわ。ここでは坊ちゃまが颯爽と立ち去るシーンですのに」


僕は決意した。

この使用人、解雇しよう、と。


だがこのままではかわいそうだ。弁明ぐらいは聞かなければ。


僕は姿勢を正し椅子に腰掛け直した。

舐められてはいけない、そう思っているのに声が出ない。


なぜか震えている唇から言葉を紡ぐ。


「気にかけてなどいない。それでどういうことだ?」


父から「相手を見ることは基礎だ」と言われていた。

相手の考えが分かるから、と。

実際は何も、分からない。


強いて言うならば、女が僕ぐらいの少女だという事ぐらいだ。


よっぽどおかしな回答をよこさなければ解雇はやめよう、そう決めた。


突如、女はポケットを漁り始めた。


出てきたのは一冊の本。

到底、ポケットに入る大きさではない。

……指摘する気にはなれないが。


本を開き、真顔で声のトーンも一定になにを話し出したのかと思えば


「この小説のここのシーン。ほら、よく見てください。ここのシーンです」だ。


見せられたのはまさかの巷で流行っている恋愛小説のワンシーンのようだ。

しかも、女が真似したのは名前のないモブである。


「なぜその言葉なのか。理解できない」


思わず呟いた言葉。

聞こえるはずのない音量で呟いた。はずだ。


「何者にも名前を覚えられず生きていけるなんてうらやましいではありませんか」


思わず眉間に皺を寄せた。


言葉の意味が、分からない。

それに、なぜ聞こえたのか。


疑問だらけだ。


「……それに、名前を知られたいならとっくに達成なさってますよ」


声に寂しさが滲み出ていた。

なぜかは、僕にはわからない。


「……名前だけ知られていても意味がない。中身も知られなければ、なにも意味がないのだ」


答えながら思った。


この女、変わっている。

そのことも理解した。


普通なら、後世に何か残したい、そう思う。


僕だって、そうだ。

いつまでも親の陰に隠れている、そんな惨めな生は嫌だ。

華々しい功績が必要なのだ。


「……名前は?」


女は首をかしげながら言った。


「ナンパですか?丁重にお断り申し上げます」


やはり小馬鹿にされているようだ。

今度は姿勢を正して聞いた。


「名前は?」


女はしばらく迷った後、口を開いた。


「アネモネ、とお呼びください」


おそらく、偽名だろう。

僕のその予想は当たっていた。


「親と早く死別しているので、本名は知りません」


あくまで淡々と業務連絡のようにアネモネは告げる。

その表情を見て、でかかった言葉が引っ込めた。


「そうか。解雇だが、今後も頑張れ」


アネモネは無表情で崩れ落ちた。

だが、僕は知っている。


それは先ほど見せてもらった悲愛小説のラストシーンだ。


最後までふざけた奴だ。アネモネは。





結局、執務室の父にアネモネの解雇要求をしたが通らなかった。

理由を聞いても無理だ、の一点張り。


「ばぁ」


足音が聞こえなかった。

だが、もう驚かない。


どうせ、アネモネだ。


「アネモネ、命拾いした、なぁっ」


振り返りながら声をかけると目の前には猫がいた。


「ニャー」

「にゃにゃにゃー」


頭が痛い。

頭痛薬をこれほどまでに求めた日は初めてだ。


「坊ちゃま、先ほどのシーン、とてもよろしかったです。特に振り返る角度が完璧で」

「そんなことよりこの馬鹿。父に何をした」


アネモネは首をかしげながら言った。


「ワイン好きの奥様に内緒で、秘蔵のワインを隠し持っていたことを報告します。としか言ってませんが」


アネモネには勝てなかった。





その後も、僕が解雇しようとする度にアネモネは父の弱みを新たに発見してくる。


…大商人まで上り詰めた父は、本当に凄いのだろうか?


アネモネは「何者にも名前を覚えられず生きていけるなんてうらやましいではありませんか」と言っていたが、僕は父を超さなければならない。


超さなければ、ならないんだ。






季節が動き、秋になった。

依然として父との差は埋まらない。


「坊ちゃま、お手紙で御座います」

「そこに置いとけ」


使用人の前でも取り繕う余裕がなくなった。


「ご主人様が床に伏せってから、一段とお辛そうですね」


その言葉に肩が揺れる。


父が今、毒で床に伏している、その事実を知るのは母と私だけだ。

はじかれたように顔を上げると見慣れた顔があった。


「アネ、モネ。なぜ?」


するとアネモネは淡々と言った。


「もうそろそろ弱み貯蓄が減ってきたのでためようと、ご主人様の寝室に忍び込みました」


やはり顔には反省の色すら見えなかった。


「よし、解雇だ」

「手紙を見てください」


言い終わらないうちに差し出された手紙をとり、封を切る。


“解雇は厳禁        ジャクソン”


その後ろには父の名前が記されていた。

名前を書く字は震えている。


父が、書いたようだ。




その日から、父は快方に向かった。

どうやらアネモネの妹が毒物に明るかったらしい。

あっという間に解毒薬を作ったそうだ。


父は後数年で、超せる。ライバル商会にも後れをとらない。


だが、果たしてアネモネを超せるだろうか?


名前はないが実力はある、アネモネを。


名前だけの、僕が。




冬になった。


父の毒のせいもあってか、母が急死した。


精神的にやみ、毒を煽って死んだ。


アネモネの静止を振り切って毒を煽ったところを従者が見ていた。

母の横に佇むアネモネに真っ先に近づいた。


顔は髪に隠され見えない。


「アネモネ、大丈夫か?」


返事が返ってこなかった。

顔をそっとのぞき込むと、アネモネは泣いていた。


「坊ちゃま、やはり人は、逃げるためには、死、を、選ぶんですね」


涙が静かに流れ、床に落ちた。

一つ、二つ。またシミをつくる。


アネモネを見ていると胸が熱くなった。


……アネモネらしくないじゃないか。


アネモネのほおをつかみ言った。


「お前は現実から逃げるな。俺がお前の服を作ってやるから、待ってろ」


言い捨てるようにその場から逃げるしかなかった。


結局、母の表情を見ることはなかった。



父も引退し、僕が商会長になった。


そういえば、僕の名前を母はいつ呼んでくれただろうか?







母の死から一年がたった。

アネモネは思いのほかすぐ立ち直って


「ばぁ」


こうして、いつも通りだ。


「…なんだ」


アネモネが近くにいたようだが今は話す気分ではない、そんな顔をしてみる。

そもそも、声をかけられるまで気づけないが。


顔を上げるとアネモネは退屈そうにほつれた袖口を弄っていた。


軽くあしらうとアネモネが弄るのをやめ、尋ねてくる。


「恋の相談なら受けますよ」


アネモネが恋、そう言った。


アネモネを思わず凝視した。

恋、とは無縁だと思っていた。アネモネも、俺も。


「次のモデルはアネモネ、にする」


丁度新作の服のデザインができあがったところだ。


アネモネが着ている姿を思い浮かべるとやはり、しっくりきた。


「報酬がアップルパイならいいですよ、とお伝えしたはずです」


アネモネが軽く答えた。

そんなことは聞いてないが、うなずいておく。


僕のアネモネのために作った、この服に全てがかかっている、そんなことは気にしていないのだろう。


どちらにしろ、アネモネなら成し遂げる。

そんな、安心感すらあった。



不甲斐ない、僕と違って。


そう考えているとほおをつかまれた。


「貴方はいま、幸せですか?」


やけにしっかりとした声色。


顔を見上げると今まで見た表情の中で一番真剣だった。


過ごしていたから分かる。


アネモネは好物のアップルパイを頬張っているとき、幸せそうに目を細める。

つまらないときは口数が多くなるし、かまってほしいときは顔を近づける。

りんごに包丁を突き刺した時、使い方が違うのかといつもより首を斜めにもしていた。


緊張した時は袖口を弄る。



真剣な時は、唇に力がこもる。



そんな時は決まって、嘘を見透かすような、そんな目で見てくる。


「分からない。ただ、僕は」


新作の服、これに僕の全てがかかっているんだ。

ライバルもこの商会にはたくさんいる。

これで失敗してはならない、失敗したら数年後なんてない、そんな重圧に押しつぶされそうだ。


はっきり言うと僕は


「逃げたい」


初めて言う、自分の本音。


するとアネモネが花開くように笑った。


初めて、アネモネが笑ったのだ。

あまりにも美しくてどこか怖さを秘めた笑い。

人間離れした誘惑的な笑みだった。


思わず唇が震えた。

僕自身、その事実に驚いた。


ただ笑っただけではないか、そう言い聞かせる。

やっとの思いで僕は震えた唇に力を入れ尋ねた。


「アネモネ、今、笑った?」

「はい。仕事に戻りますので、坊ちゃま。それでは失礼します」


やけに丁寧に一礼したあと去ろうとしたが、動きが止まった。


「私は坊ちゃまで、良かったです」



重い言葉と裏腹に、去り際の足取はいつもより軽い。

古くなった袖のほつれも揺れている。



アネモネの姿が見えなくなっても視線は動かせない。

母の死の時の姿となぜか重なった。


結局、なにも、分からなかった。


……アネモネのことは。


その事実が否が応でも押し寄せる。


袖口の刺繍はアップルパイをモチーフにしよう、そう現実逃避をしたくなった。


袖口にほつれとアップルパイが綺麗にならんだ。





それから、毎日ともに過ごしていたアネモネは姿を消した。

同室の者によると『仕事』に行ったそうだ。



いつまで経っても、アネモネが「ばぁ」と視界に飛び込んでくる、そんなことは起こらない。


「商会長、ナルメン商会の令嬢がいらしておいでです」

「あ、ああ」


側近に導かれるまま進む。

丁度、角を曲がった時。


物陰から何かが飛び出してきた。


「ばぁ」


ついに、アネモネが帰ってきた。


緩みかけた頰を引き締め顔を近づけた。


「アネモネ、何処に行ってたんだ!心配した…ぞ」


勢いよく声を上げたが相手はベールを被ってどんな顔をしているか分からない。


アネモネなら無表情でふざけたことを言うだろう。


でも、目の前の相手は違った。


小動物のように怯えきっている。


「商会長、ナルメン嬢です。アネモネ殿ではありません」


その言葉に肩を落とした。

アネモネは、いなかった。






アネモネが消えてから三ヶ月。


季節も変わり少し暖かくなっている。

だが、屋敷の空気もアネモネがいなかった冬のように静かだ。


そのまま新作の服の発表の前夜になってしまったのだから、どうしたものか。


あの服、アネモネに着てもらいたかったのに。


アネモネ、どこに行ったのか?

僕が作り出した幻覚なのか?


ベッドに入ってもそのことが頭の中を駆け巡る。


不意に、ドアをノックする音が聞こえた。

ふざけたようなリズムだ。


頭の中に一人の人物が思い浮かんで、消えた。


「アネモネッ、な訳ない、か」


ドアを開けたが誰もいない。

ベッドに戻ろうと後ろに下がると誰かとぶつかった。


なぜか見慣れた真新しい黒い袖と、冷たいものが肌を撫でた。


「ばぁ」


飛び込んできた。


このなじみのある一定のトーン。

ピクリともしない表情。


「アネ…モネ。どこに行ってた、の、か」


体がどんどん傾いていく。

腹が燃えるように熱い。

手を当ててみると生暖かかった。


視界に、赤く染まった手が広がった。


血だ。




とっさにアネモネに腕を伸ばすが届かない。


何が起こったのか、それすら分からなかった。


「これでいいんです。貴方を逃がします」


逃す?何処へ?どうやって?


「本当に貴方で良かったです」


アネモネはいつもと同じトーンで言った。

だが、語尾には切ないような、寂しいような、そんな感情が滲んでいる。


その言葉と感情が、頭に沁みていく。





挨拶がわりの「ばぁ」。

僕が言った「逃げたい」。

アネモネの笑顔。





……ああ、そうか。


アネモネが、僕を、刺したんだ。


「最初、から?」


アネモネが唇に力を込めた。


それだけなのに、僕の喉がなった。


「依頼が張り出されていましたので」


僕を殺すのは。


アネモネじゃなかったのかもしれない。


でも、アネモネが選んだのは僕。



……ありがとう、アネモネ。


そんな言葉が頭に浮かんで離れない。


それに最期にアネモネを見れたのだ。それで良かった。



……それで、良かったんだよ。きっと。


震える唇から言葉を紡ぐ。


「アップルパイ、ちゅう、ぼうに、ある」

「…ありがとうございます。『仕事』が終わってから頂きます。では、また」


ごめん、なんていらない。


アネモネは最期までアネモネだ。


アネモネの目には今にも僕が写っていた。

それで、もう充分だよ。


だから、また、なんて悲しそうに言わないでくれ。


アネモネらしくないじゃないか。



いつも通りに歩き去っていくアネモネの背中。

月と並んで綺麗だ。

この世のものではないみたいだ。


思わず笑ってしまった。


その背中は毒を煽った母の側に佇んでいた時とは違う。

なにか、吹っ切れている。


「ばぁ」


試しに言ってみた。

腕の力も抜け、もう床に触れている。



ありがとう……また、ね



でも。


最後まで名前、呼べなかった、ね。




そこで意識が途絶えた。


誰かが、名前を呼んだ気がした。


月がやけに綺麗な静かな夜だった。



翌朝、一人の大商人の息子が殺された、その噂が巷を駆け巡った。

その息子の側には一冊の小説が落ちていたという。



 “アップルパイ、ありがとうございます”



そう、最終ページには書かれていたらしい。




翌日の新作発表の場では、その息子の作品が反響を呼んだ。

題名のないその服は、ある人を思って作られた、そうだ。


その名を呼ぶ者はもう、いない。


時を経ても。


誰も服の真新しい黒い袖のほつれに気づくことはない。


                


              「SOLD OUT」

最後まで読んでいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ