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17番を継ぐ日まで ―消えた天才の成長譚―  作者: 道雪ちゃん


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8/20

面談

ゆるゆると書いてます。

変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。

翌日、午後16時。


「上田市立上田西中学校」の校門前に、隼人と莉奈の姿があった。


この校舎は、どこか懐かしく、それでいて初めて訪れる隼人にとっては、これから始まる未知の生活への緊張を強いるものだった。


「お母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなこの西中の卒業生なんだよ」


莉奈が隣で柔らかく微笑みながら話しかけてきた。


その声に、隼人の肩の力が少しだけ抜ける。


「へぇ……そうなんだ。三代続けて、ってことか」


「そうね。だから、困ったことがあったら何でも言いなさい。先生たちも、きっと力になってくれるわ」


二人は校内へと足を踏み入れる。


真っ先に隼人の目を引いたのは、東京の学校とは明らかに違う「校庭の広さ」だった。


グラウンドでは、陸上部が走り抜け、隣ではサッカー部が互いに声を張り上げている。


土を蹴る音、笛の音、中学生らしい活気に満ちた喧騒。


(……野球部は、ないのかな?)


隼人は無意識に、あの聞き慣れた「カキィーン」という金属バットの快音を探していた。


けれど、耳に届くのはボールを蹴る鈍い音と、掛け声ばかりだ。


胸の奥で、小さな不安と、それ以上に強い「渇き」が疼いた。


職員室の前で受付を済ませ、転入に関する書類を提出する。


莉奈が事務員とやり取りをしている間、隼人は廊下に貼られた掲示物や、各部の大会ポスターをじっと眺めていた。そこには「野球部」の文字も見受けられ、少しだけ安堵する。


「橘さん、どうぞこちらへ」

案内されたのは、落ち着いた雰囲気の応接スペースだった。


そこには、校長、教頭、そして教務主任を務める山崎という男性が待っていた。


山崎は40代半ばほどだろうか。眼鏡の奥の鋭い眼差しは一見すると厳格そうだが、時折見せる表情には温かみがあった。


「上田西中へようこそ、隼人くん。まずは、お母さんから伺っている事情について確認させてください」


校長の穏やかな言葉に促され、莉奈が静かに口を開いた。


あの日、暴走車に跳ねられたこと。


8か月もの間、意識が戻らぬまま眠り続けていたこと。


そして、ようやく目覚めた後、母の地元である上田に戻ってきたこと。


一通りの説明が終わると、室内にしんと静かな時間が流れた。


校長が深く頷き、労るような声で言う。


「……本当に、大変でしたね。よく、ここまで戻ってこられました」


隼人は小さく会釈をして、膝の上に置いた自分の手を見つめた。


左手の指先は、今も自分の意志とは無関係に微かな痺れを帯びている。


「学習面については、1年生の4月からの空白がありますので、かなり遅れているのが現状です。今は少しずつ進めてはいますが……」


莉奈の言葉に、山崎が真面目な顔でメモを取りながら応じる。


「補習や個別指導など、学校側でも最大限のサポート体制を整えます。まずは学校の雰囲気に慣れることから始めましょう。無理をして体調を崩しては元も子もありませんから」


その後も、対人関係や生活面についての話し合いが続いた。


教頭からは「登校も、最初は午前中だけでも構わない」という配慮の言葉もあった。


「最後に、配慮事項についてですが……」


莉奈が、隼人の左半身の状態について触れる。


左手足の親指と人差し指に残る、軽度の麻痺。


日常生活には支障がないこと、しかし、激しい運動には慎重を期す必要があること。


「最終的な判断は本人に任せたいと思っていますが、親としては……やはり、二度とあのような目に遭わせたくないという思いもありまして」


莉奈の言葉に、母親としての切実な祈りが混じる。


その時、それまで静かに聞いていた隼人が、すっと顔を上げた。


「大丈夫です。……自分のことは、自分で分かってますから」


短いが、芯のある声だった。


その瞳には、諦めではなく、現実を見据えた上での強い意志が宿っていた。


山崎が、少しだけ雰囲気を変えて問いかける。


「隼人くん。中学に入る前は、何か頑張っていたことや、習い事はあったかな?」


一瞬の間があった。


隼人は、輝かしい実績や、かつて自分が「天才サウスポー」と呼ばれていたこと、そして何より、父・誠一郎のこと。


それらをすべて、胸の奥の深い場所に押し留めた。


「……野球を、していました」


口にしたのは、ただその一言だけ。


山崎の目が、少しだけ驚きに揺れ、すぐに柔和なものへと変わった。


「そうか。実は私も野球が好きでね。……西中にも野球部はある。もちろん、無理にとは言わないが、もし体が動かしたくなったら、いつでも見学に来るといい」


「はい。そのつもりです。夏休みの間に、少しでも動けるようにしておきます」


隼人の言葉に、莉奈が驚いたように息子を見た。


野球への復帰。


それは、家族の前でもまだ明確には口にしていなかった、隼人の本当の「再起動」の宣言だった。


面談は、夏休みの1週間前から登校を始めるという確認をもって終了した。


すぐに夏休みに入るというスケジュールだが、新しい環境に慣れるための、助走期間としてはちょうどいい。


「良さそうな先生たちでよかったね。山崎先生も、野球の話をしてくれたし」


職員室を出て、夕暮れに染まり始めた廊下を歩きながら、莉奈が明るく言った。


「……うん。ちょっと、安心した」


隼人は短く答えながら、校舎を通り抜ける風を感じていた。


ここは、誰も俺を知らない場所だ。


過去の栄光も、挫折も、すべてをリセットして、ただの「橘隼人」としてやり直せる場所。


校門を出て、駅へと続く緩やかな坂道を下り始める。


莉奈がいたずらっぽく笑いながら、隼人の横顔を覗き込んだ。


「ねぇ、隼人。本当は今、一刻も早く帰ってボール投げたいんでしょ?」


隼人は一瞬、虚を突かれたように目を見開き、すぐに照れくさそうに笑った。


「……バレた?」


「そりゃ、お母さんだもん。顔を見ればわかるわよ」


夕陽を浴びて、隼人の影が長く伸びていく。


家に着き、真新しいグローブとボールをグローブケースに入れる隼人。


「あんまり遅くならないうちに、すぐ戻るんだよ」


「わかってるって」


まだ走れない隼人だが、その足取りは軽く感じた。



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よろしくお願いいたします。

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