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17番を継ぐ日まで ―消えた天才の成長譚―  作者: 道雪ちゃん


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7/20

プレゼント

ゆるゆると書いてます。

変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。

新幹線を降り、改札を抜けると、そこにはかつて見た時と変わらない上田駅の景色が広がっていた。


人口およそ15万人。


長野県第3の都市とはいえ、高層ビルが立ち並んでいた東京の風景とは何もかもが違っていた。


駅の外に出ると、抜けるような青空と、都会より幾分か澄んだ空気が、肺の奥まで洗ってくれるような感覚がした。


駅まで迎えに来てくれた祖父母と再会する。


「隼人、お帰り。本当によく頑張ったね」


「じいちゃん、ばあちゃん……。お見舞い、ありがとうございました」


入院中も何度も東京まで足を運んでくれた二人だが、こうして車に乗り込み、彼らの住む街を走っていると、どこか「帰ってきた」というよりは「預けられた」ような、不思議な所在なさを隼人は感じていた。


祖父母の家からほど近い場所に借りた新しい住まいは、2LDKのアパートだった。


部屋の中は、すでに引越業者の手によって運び込まれた段ボールで溢れかえっている。


母・莉奈は休む間もなく荷解きを始め、祖父母もそれを見守るように手伝っている。


隼人も手伝おうとしたが、莉奈に「あなたは自分の部屋を片付けなさい」と優しく促された。


自室になる予定の部屋。


積まれた段ボールの山の中で、隼人の目は、奥の方に置かれた一際大きな箱とケースに釘付けになった。


マジックで書かれた『誠一郎さん』の文字。 その箱だけが、部屋の空気を重く沈めているように思えた。


隼人は吸い寄せられるようにその箱の前に座り込み、ガムテープをゆっくりと剥がした。


封を解いた瞬間、懐かしい、けれど胸が締め付けられるような「革の匂い」が鼻腔をくすぐった。


中には、お父さんの人生が詰まっていた。


プロ野球選手として、そして一人の父親として、父が愛した道具たち。


メーカー『IZUMO』の黒いグローブ。


裏返せば、父の手の形がそのまま残っており、今にもその指が動き出しそうな錯覚に陥る。


土が染み込み、使い込まれたスパイク。


背番号17が鮮やかな、東京ファルコンズのユニフォーム。


いくつものトロフィーや盾、そして引退試合の時に撮られた、最高の笑顔でこちらを向く父の写真。


隼人はそれらを、割れ物を扱うように一つ一つ丁寧に取り出した。


これらはただの「思い出」じゃない。


あの日、あの一瞬まで、確かにお父さんと俺が共に刻んできた「今も続いている時間」なんだ。


「――隼人。この箱はお父さんのものだから、隼人の部屋に飾ってあげて」


いつの間にか、莉奈が部屋の入り口に立っていた。


莉奈の瞳には一瞬だけ深い悲しみがよぎったが、すぐに強気な笑みでそれを隠した。


彼女にとっても、夫の遺品を見つめることは身を切られるような辛さがあるはずだ。


それでも、彼女はそれを息子に託そうとしている。


その不器用な優しさに、隼人の胸の奥が熱くなった。


母が部屋を出ていった後、隼人は山積みのトロフィーを差し置いて、真っ先にあのグローブを学習机の一番目立つ場所に置いた。


そして、左手ではなく、リハビリで感覚を鍛え直してきた「右手」で、その黒い革をそっと撫でる。


グローブに刻まれた『勇気』の刺繍が、指先を通じて熱を帯びていく。


静寂に包まれたアパートの一室で、隼人は小さく、けれど確かな決意を込めて呟いた。


「……見ててよ、父さん。俺、ちゃんと投げるから」


それは誰への宣言でもない。


ただ、自分と、自分の中に生き続ける父との間に交わされた、再起の約束だった。


片付けもそこそこに、長旅の疲れからか、隼人はそのまま眠りに落ちてしまった。


どれくらい時間が経っただろうか。


「隼人、ご飯だよ。起きて」


莉奈の明るい声で目を覚ました時には、部屋の窓の外は、濃紺の夜の帳に包まれていた。



.........



夕食は、祖父母と一緒に食べることになった。


ダイニングテーブルには、祖母と莉奈が腕によりをかけた料理が所狭しと並んでいる。


信州の豊かな土壌が育んだ野菜の和え物、山菜の天ぷら、じっくりと味の染みた煮物。


「今日は隼人の退院祝いだからな」


そう言って祖父が誇らしげに買ってきた特上の握り寿司も加わり、食卓は一気に華やいだ。


事故に遭ってから、これほど賑やかな食卓は初めてだった。


「上田は東京に比べれば何もないが、いいところだぞ」


「近所の佐藤さんのところの息子さんも、今は東京で働いていてね……」


他愛のない会話が弾む。


隼人も時折声を上げて笑うが、どこか心の隅には、新しい環境への僅かな遠慮が残っていた。


しかし、温かな湯気に包まれたその和やかな空気は、祖父の何気ない一言でふっと色を変えた。


「――隼人、野球はどうするんだ?」


寿司を運ぼうとした隼人の箸が、ぴたりと止まる。


莉奈がすぐに、窘めるような視線を祖父に向けた。


「お父さん……まだその話は早いでしょ。隼人は退院したばかりなんだから」


「だがな、こいつは……」


祖父は少し眉をひそめ、言葉を飲み込む。


食卓に、わずかな沈黙という名の膜が張った。

「……ちゃんと、体を作り直しながらやっていくよ」


沈黙を破ったのは、隼人だった。


その声に気負いはない。


「焦らないし、無理もしない。でも、諦めないよ。明日は中学校の面談があるけど、その後、近くの公園で少しボールに触ってみるつもりなんだ」


強がりでも、悲壮な決意でもない。


明日、顔を洗って歯を磨くのと同じくらい、「自然な未来」として語る。


その瞳を見た祖父は、ふっと表情を和らげて笑った。


「そうか……。誠一郎君の子供だ。この野球小僧がじっとしているわけがないな」


わしゃわしゃと、大きな手が隼人の頭を撫でる。


ゴツゴツとした、けれど温かいその掌の感触に、隼人は少しだけ目を細めた。


「ちょっと待っててね」


そう言って、莉奈が席を立った。 残された三人は再び他愛ない話を続けていたが、隼人はどこかで小さな違和感――あるいは予感のようなものを感じていた。


数分後、戻ってきた莉奈の両手には、大きな紙袋が握られていた。


彼女がそれをテーブルに置くと、空気が一変する。


「……これ」


莉奈が袋の中から取り出したのは、二つのグローブケースだった。


そこに刻印されているのは、父・誠一郎も愛用していたブランド名――『IZUMO』。


「お父さんの担当だった宮澤さんからよ。……隼人がもし、また野球を始めるなら渡してくださいって、ずっと預かっていたの」


莉奈がゆっくりとケースを開ける。


そこにあったのは、父のモデルをベースに作られた、漆黒のグローブだった。 一つは軟式用。そしてもう一つは、プロ仕様と同じ硬式用。


だが、それは父の遺品とは決定的な違いがあった。


「……右投げ用、だ」


隼人は言葉を失った。


宮澤さんは、隼人の事故を知っていたはずだ。


母が宮澤さんに連絡をしてくれたのだろう。


そして刺繍された文字を見る。


『勇気』


父のグローブにも刺繍された文字。


胸が熱くなる。


右手で、そっとその革に触れる。


まだ誰の形にもなっていない、硬く、凛としたポケット。


芳醇な革の匂いが鼻を突く。


これは単なる「継承」ではない。 父を支えた職人が、隼人の「未来」を信じて託してくれた光だった。


「……大事にする」


隼人は、ケースごと、その重みを抱きしめた。


涙はこぼさなかった。


代わりに、胸の奥で熱いものが脈打つのを感じていた。


「よし! 爺ちゃんも色々買ってやるぞ! バットも、スパイクも、何でも言え!」


祖父が豪快に笑い、沈みかけた空気を一気に吹き飛ばす。


「ありがとう」


そう返した隼人の笑顔は、事故に遭って以来、一番自然で、一番力強いものだった。


その夜。 枕元に置かれた二つの『IZUMO』を見つめながら、隼人は右手の拳を強く握りしめた。



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