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17番を継ぐ日まで ―消えた天才の成長譚―  作者: 道雪ちゃん


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希望の光

ゆるゆると書いてます。

変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。

いくつかの検査を終え、莉奈は「また明日来るね」と静かに微笑んで病室を後にした。


不思議な感覚だった。


今朝、事故の直後に会ったはずの母が、今の隼人の目には酷くやつれ、まるで長い年月を一気に飛び越えて老いてしまったかのように見えた。


左半身を支配しているのは、絶え間なく続く鈍い痺れだ。


けれど、僅かには動く。


もしこれが一ミリも動かない完全な麻痺だったなら、いっそ諦めもついたのかもしれない。


だが、この「僅かに動いてしまう」という事実が、かえって隼人を残酷に苛んでいた。


「神様……俺、この先どうなるんですか? また、野球……できるんですか?」


誰に届くともしれない言葉を、高い天井に向かって独りごちる。


俺の体は、一体どうなってしまったのか。


その時だった。


見つめていた天井の景色が、歪むように変貌する。


視界の中心に、淡い光を帯びた文字が浮かび上がった。


■ 橘 隼人

【投打】左投左打


◆投手能力

球速: 測定不能 (成長率:F)

制球力: G (成長率:F)

スタミナ: G (成長率:S)

変化球: なし


◆野手能力

ミート: G (成長率:D)

パワー: G (成長率:B)

敏捷: G (成長率:C)

肩力: G (成長率:E)

守備力: G (成長率:B)

捕球: G (成長率:A)


◆ポジション適正

投手:S / 一塁:E / 外野:C


◆スキル

観察眼: 能力や状況を冷静に分析する。

不屈: 逆境下において精神的摩耗を大幅に軽減する。

勇気: プレッシャーのかかる場面を跳ね除け、本来の力を引き出す。


「なんだ……これ……」


呆然と呟く。


目の前に現れたのは、自分の名が刻まれた、ゲームでしか見たことのないようなステータス画面だった。


「オール、G……。はは、もうダメだ。俺、ピッチャーなのに……。ピッチャーとしての能力は、もう終わったんだ」


リハビリをすれば、いつかは。そんな淡い期待は、非情な『成長率:F』という文字によって粉々に打ち砕かれた。


おそらく最低評価はGで、最高はS。


その下から二番目という評価は、どれほど血の滲む努力をしても、二度と「元通りの左腕」には戻れないことを冷徹に宣言していた。


「野手としては……いや、たぶんボールを握ることすらできないんだろうな。先生に相談してみよう……。……こんなことなら、ずっと夢を見ていたかったな」


乾いた独り言が、冷たい病室の空気に溶けて消えた。



………



意識を取り戻してから、連日のように検査とリハビリが繰り返された。


一番の大きな壁は、8ヶ月というあまりに長い空白の間に、見る影もなく衰えてしまった筋力だった。


医師や療法士が口にする「ゆっくり、焦らずに」という言葉が、今の隼人には何よりも自分を焦らせる呪文のように聞こえた。


あの夜、視界に浮かび上がった『ステータス』のことは、誰にも話せずにいた。


話したところで、脳挫傷による幻覚だと言われるのが関の山だと、自分の中で決めつけてしまっていた。


まずは歩くこと。それすらも、今の隼人にとってはエベレストの頂を目指すほどに高い壁に思えた。


寝返りを打つことすら、自分の体ではないような重さに阻まれる。


だが、看護師から聞いた言葉が、隼人の心を支えた。


「お母さんね、あなたが眠っている間、毎日欠かさず来ていたのよ。関節が固まらないようにって、ずっとマッサージを続けてくれていたの」


その献身があったからこそ、今こうしてリハビリを始められている。母への申し訳なさと、言葉にできないほどの感謝が溢れ、隼人は一人、病室で涙を流した。


目覚めてから2週間。


ようやく自力でベッドの上に座れるようになった。寝返りすらままならなかった頃を思えば、それは確かな進歩だった。


その間も母・莉奈は毎日通い、体を支え、硬くなりかけた手足を摩り続けてくれた。


その姿を見ていると、不思議と「父さんは?」という言葉は口から出なかった。聞くのが怖かったのかもしれない。


そこから3週間。


車椅子での移動や、平行棒に掴まっての起立訓練が始まった。


隼人自身も痛感していたが、左の手首と足首から先の麻痺が特に強く、一歩を踏み出そうとするたびによろけ、膝から崩れ落ちそうになる。


けれど、隼人は諦めなかった。目標はただ一つ、『歩く』こと。


その先にしかない野球のマウンドを見据え、歯を食いしばった。


そして、目覚めてから3ヶ月が経った頃。


隼人は、一本の杖を頼りに歩行ができるまでになっていた。


8ヶ月の昏睡を経て、ここまで回復するのは、医学的にも「奇跡」と呼べるレベルだった。


そんなある日のことだ。


何気なくつけていた病室のテレビモニターから、聞き慣れた球団の名前が流れてきた。


『本日、東京ファルコンズは、急逝した元エース・橘誠一郎氏の功績を称え、背番号17を準永久欠番に指定することを発表しました。橘氏は引退後も解説者としてファンに愛され、そのあまりに早すぎる死を悼む声が絶えません……』


「えっ……? 父さん……?」


画面に映し出される、ユニフォーム姿の父。


『急逝』『早すぎる死』。


その文字が網膜に焼き付いた瞬間、隼人の視界から光が消えた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


獣のような叫び声が病室に響き渡る。


駆け込んできた看護師が、モニターに映る誠一郎の姿と、狂ったように泣き叫ぶ隼人を見て息を呑む。

そこへ、莉奈が病室に入ってきた。


「隼人!!」


莉奈はパニックに陥った隼人を力一杯抱きしめ、その震える背中を何度も、何度も摩った。


「なんで……なんでお母さんは嘘をついたんだ!! 父さんは……父さんはどこにいるんだよ!!」


「ごめんね……本当に、ごめんね……」


莉奈は涙ながらに、あの日起きた真実を語った。


暴走車から隼人を庇って命を落としたこと。


父がいなければ、今ここに隼人はいないこと。8ヶ月の空白。


そして、目覚めたばかりの隼人を思って、どうしても言えなかったこと。


父の葬儀には、数えきれないほどの人が集まったという。


引退試合で見た、あの熱狂的なファンたち。仲間たち。


そして、あの夢の中での父の言葉が、鮮明に脳裏をよぎった。


『ずっと見ているからな。お前は一人じゃない』


考えれば考えるほど、涙は止まらなかった。


けれど、不思議と心は凪いでいった。


父さんは最後に、俺に命を、そして想いを託してくれたんだ。


あの夢のグラウンドで父が言った「ここで練習してなさい」という言葉。


あれは、こういうことだったのか。


「……先生を、呼んでもらえますか」


隼人は涙を拭い、看護師にそう告げた。


しばらくして、主治医の医師が到着する。


「僕からも、言えなくてごめんね。隼人くんの心を考えたら、まだ早いと思ってしまって……。それで、話というのは?」


「先生……今、俺の左の手首と足首の先、痺れてますよね」


「……そうだね」


「もし、もしもですよ。歩けるようになって、生活ができるようになって、麻痺が完全には治らなかったとしても……野球は、できるようになりますか?」


隼人の視界には、あのステータスが浮かんでいた。


左腕の成長率は絶望的な『F』。


医師は慎重に言葉を選びながら、じっと隼人の目を見つめた。


「それは本当に今後次第だ。無責任なことは言えない。だが、君は奇跡的な回復を見せている」


「……俺はサウスポーです。だけど、もし、右投げに変えるなら?」


その言葉に、医師は目を見開いた。


「麻痺が残ると仮定して話そう。右投げなら、問題になるのは守備だね。グローブを閉じる動作に影響が出るのと、踏ん張りが効かない。それに投球の踏み込み。左足が軸になるから、どこまで耐えられるかだ。……だが」


医師は言葉を継ぐ。


「バッティングは左打ちかな?」


「はい」


「メインは右腕だ。麻痺の程度にもよるが、可能性は十分に、ある」


「……よかった……」


隼人は、崩れ落ちるように安堵の息を漏らした。


「ただし、今のままではダメだ。まずはしっかりリハビリを続けよう。相談にはいくらでも乗る」


「ありがとうございます」


隼人は深く、深く頭を下げた。


ようやく、暗闇の向こうに一筋の希望が見えた。


隼人は莉奈に「明日、ボールを持ってきてほしい」と頼んだ。


かつて天才と呼ばれた左腕はもういない。


けれど、父から貰った命で、新しい橘隼人の物語を始める決意が、その瞳に宿っていた。

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