残酷な覚醒
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
「……っ……」
温かい、何かが自分の手に触れている。
その柔らかな感触に導かれるように、隼人はゆっくりと重い瞼を持ち上げた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れない真っ白な天井。
そして、傍らで自分の手を握りしめ、ボロボロと涙をこぼしている母・莉奈の姿だった。
「……あれ? お母さん……?」
「隼人……? 隼人!! ああ……っ!」
莉奈が、壊れ物を扱うような手つきで隼人の体に抱きついた。
その泣き叫ぶような声を聞きつけ、廊下から慌ただしく看護師が飛び込んでくる。
「どうされたんですか!?」
「隼人が……隼人が、目を覚ましたんです!」
「えっ!? 少々お待ちください、すぐに先生を!!」
静まり返っていた病室が一気に騒がしくなる。
程なくして、廊下を走る複数の足音が近づいてきた。
「隼人くんが意識を取り戻したと聞いて……。ああ、よかった。隼人くん、体調はどうだい? ここがどこだかわかるかな?」
駆けつけた医師が、安堵の表情を浮かべながら優しく問いかける。
「病院……? え、俺……何があったんですか?」
「君は事故に遭ってね。8ヶ月の間、ずっと眠り続けていたんだよ。でも、君はこうして起きてくれた。本当によく頑張ったね」
医師の言葉が、すぐには理解できなかった。
8ヶ月? 嘘だ。
俺はさっきまで、グラウンドで父さんと一緒にいたはずなのに。
「……嘘だ。俺、ずっとグラウンドで父さんとピッチングをしてたし。スライダーの投げ方だって教えてもらって、ほら……」
感覚を確かめるように、左手を出そうとした。
けれど、動かない。
脳が命じたはずの信号が、肘から先でプツリと途絶えているような、奇妙な喪失感。
「なんで……? 動けよ! なんだよこれ!!」
「隼人!!」
パニックになりかけた隼人を、莉奈が必死に抱きしめる。
「大丈夫だから……また動くようになるから……っ」
「先生、俺の手はダメなんですか? もう、投げられないんですか……?」
震える声で尋ねる隼人に、医師は真っ直ぐに視線を合わせた。
「今はまだ、はっきりしたことは言えない。これから詳しい検査をして、リハビリを重ねて、一つずつ確かめていこう。僕にできる限りのことは全部する。……いいかい?」
医師と看護師が検査の準備のために病室を出ていくと、再び静寂が戻ってきた。
隼人は、どこか上の空で、一番気になっていたことを口にした。
「ねえ、お母さん。……父さんは?」
莉奈の体が、一瞬だけビクッと強張ったのが分かった。
彼女は隼人と視線を合わせないまま、絞り出すような声で答える。
「お父さんは……今は、ちょっと来られないのよ」
「そっか……。まだ教えてもらいたいこと、いっぱいあったのにな。俺が投げられなくなったら、父さん、悲しむかな」
「そんなことない! 隼人が生きてくれているだけで、お父さんは……お父さんはきっと、何よりも喜んでくれるわ!」
必死に自分を言い聞かせるような母の言葉に、隼人は「そっか……」とだけ返し、再び病室の天井を見つめた。
8ヶ月という空白。
動かない左腕。
来られない父。
絶望という名の闇が、ゆっくりと隼人の心に忍び寄っていた。
………
いくつかの検査を終え、莉奈は「また明日来るわね」と優しく微笑んで病室を後にした。
不思議な感覚だった。
今朝、事故の直後に会ったはずの母が、今の隼人の目には酷くやつれ、時間を飛び越えて老いてしまったように見えた。
左半身を支配するのは、絶え間なく続く鈍い痺れだ。
けれど、僅かには動く。
もしこれが一ミリも動かない完全な麻痺だったなら、いっそ諦めもついたのかもしれない。
だが、この「僅かに動いてしまう」という事実が、かえって隼人を残酷に苛んでいた。
「神様……俺、この先どうなるんですか? また、野球……できるんですか?」
誰に届くともしれない言葉を、高い天井に向かって独りごちる。
俺の体は、一体どうなってしまったのか。
その時だった。
見つめていた天井の景色が、歪むように変貌する。
視界の中心に、淡い光を帯びた文字が浮かび上がった。
■ 橘 隼人
【投打】左投左打
◆投手能力
球速: 測定不能 (成長率:F)
制球力: G (成長率:F)
スタミナ: G (成長率:S)
変化球: なし
◆野手能力
ミート: G (成長率:B)
パワー: G (成長率:A)
敏捷: G (成長率:C)
肩力: G (成長率:E)
守備力: G (成長率:B)
捕球: G (成長率:B)
◆ポジション適正
投手:S / 外野:E
◆スキル
観察眼: 能力や状況を冷静に分析する。
不屈: 逆境下において精神的摩耗を大幅に軽減する。
勇気: プレッシャーのかかる場面を跳ね除け、本来の力を引き出す。
「なんだ……これ……」
呆然と呟く。
目の前に現れたのは、自分の名が刻まれた、ゲームでしか見たことのないようなステータス画面だった。
「オール、G……。はは、もうダメだ。俺、ピッチャーなのに……。ピッチャーとしての能力は、もう終わったんだ」
リハビリをすれば、いつかは。そんな淡い期待は、非情な『成長率:F』という文字によって粉々に打ち砕かれた。
おそらく最低評価はGで、最高はS。
その下から二番目という評価は、どれほど血の滲む努力をしても、二度と「元通りの左腕」には戻れないことを冷徹に宣言していた。
「野手としては……いや、たぶんボールを握ることすらできないんだろうな。先生に相談してみよう……。……こんなことなら、ずっと夢を見ていたかったな」
乾いた独り言が、冷たい病室の空気に溶けて消えた。
「天才左腕」としての橘隼人は、この瞬間、自分自身の認識の中でも完全に息を引き取ったのだった。
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