暗転
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
月日は流れ、季節は4月。
桜の舞う中、隼人は中学生になった。
父・誠一郎が考案したトレーニングメニューを半年間、一日も欠かさずこなしてきた成果は、確実にその体に現れていた。
身長は170センチまで伸び、少年野球の頃よりも肩回りはがっしりと、下半身はより強固に鍛え上げられている。
すでに入団している『瀬田シニア』の練習でも、その才能は群を抜いていた。
硬式球に切り替えて間もないというのに、左腕から繰り出される直球は、すでに130キロの大台に到達。
瀬田シニアの高杉監督は、この「至宝」とも呼べる逸材を壊さぬよう、細心の注意を払って育成する方針を固めていた。
「お任せください。隼人くんは、私が責任を持って必ず日本を背負う投手に育て上げます」
練習の見学に訪れた両親に対し、高杉監督はそう力強く宣言していた。
ドリームスから共に昇格したハイジ、一樹、拓人の3人も、隼人に負けじと自主練に励んでいた。
ようやく硬式球の重さにも慣れてきたが、同じグラウンドに立つ中学3年生たちの体格やパワーを目の当たりにし、「自分たちはまだ線が細い」と痛感する日々。
全国の名門高校からスカウトが視察に来るような猛者たちに喰らいつき、その技術を必死に吸収していく――。
隼人にとって、それは最高に充実した、希望に満ち溢れた毎日だった。
――そして。
運命の歯車が、音を立てて狂い始める「あの日」がやってきた。
………
瀬田南中学校の放課後。
部活動の活気があちこちから聞こえてくる校内で、莉緒が隼人を呼び止めた。
「隼人! 今日は自主練? もし予定ないなら、みんなで遊びに行こうよ!」
「ああ、ごめん! 今日は父さんが解説の仕事なんだ。俺も一緒に観戦に行くことになってて」
「ふーん、そっか。わかった! なら、気をつけて行ってくるんだよ!」
そんな他愛もない会話を交わしていた、その時だった。
「橘くん! お父さんが校門のところに来てるよ!」
「えっ、橘選手!? マジで? 見たい!」
校舎の方からクラスメイトたちの弾んだ声が聞こえてくる。
(なんだよ、父さんのやつ。迎えに来てくれたのか……?)
隼人は少しの気恥ずかしさと、それを上回る嬉しさを感じながら、小走りで校門へと向かった。
「父さん、どうしたの?」
「いや、今日はお前と一緒に行こうと思ってな。たまには学校まで迎えに来るのもいいだろ?」
校門の前で待っていた誠一郎は、現役時代と変わらぬ爽やかな笑顔を見せた。
「あれ? 車は?」
「あはは、それがさ、天気がいいから散歩がてら歩いて来ちゃったんだよ」
「なんだよそれ! 準備いいんだか悪いんだか……」
呆れ顔で笑う隼人に、誠一郎は「たまにはこうして二人でゆっくり歩くのもいいもんだぞ」と、優しく肩に手を置いた。
「だけど、仕事の時間、急ぐんでしょ? 早く行かなきゃ!」
「大丈夫だ。時間はたっぷりある。ゆっくり歩こう」
道路の右側の歩道を、誠一郎が車道側、隼人が建物側を歩く形で二人は進んだ。
学校での出来事や、莉緒は元気にやっているかといった、親子ならではの穏やかな会話。
やがて二人は、大きな交差点の信号待ちで足を止めた。
その時だった。
反対車線の遠方から、明らかに制限速度を無視した猛スピードで突っ込んでくる一台の乗用車があった。
二人は会話に夢中になっており、その異変に気づくのが一瞬遅れた。
その車は、まるで制御を失ったかのような挙動を見せ、赤信号を無視して交差点へと進入。タイヤが悲鳴を上げ、車体が大きく振れる。
「――っ! 隼人!!」
誠一郎が異変を察知した時には、車はすでにガードレールを突き破り、二人の視界を覆い尽くさんばかりに迫っていた。
逃げる時間は、ない。
誠一郎は反射的に隼人の体を強く抱き寄せ、自らの背中で息子を包み込むようにして壁際へ庇った。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃。金属がひしゃげる音。
隼人は、父の体温と、それをもぎ取っていくような圧倒的な破壊の衝撃を同時に感じながら――深い闇の中へと、意識を奪われていった。
………
――スパンッ!!
快音が、懐かしいグラウンドに響き渡る。
父・誠一郎がどっしりと腰を下ろし、俺の球を受けてくれていた。
「隼人! もっと肘を上げろ! 下がると怪我するぞ!」
「わかってるって! ……ねえ、父さん。父さんのスライダーって、どうやって投げてるの?」
俺の問いかけに、父は一瞬だけ考えるような仕草を見せた。
「隼人にはまだ……いや、もう中学生だもんな。よし、こっちに来い」
手招きされて歩み寄ると、父は硬式球を手に取り、その長い指先を縫い目にかけた。
「握り方は人によって違うんだが、俺は縫い目の『コ』の字の上の部分に中指をかける。いいか、リリースする時に指を抜いちゃダメだ。……そうだな、チョップするように投げるんだ。俺は『切る』感覚で投げてる。ほら、やってみろ」
言われた通りに縫い目に指をかけ、マウンドに戻って腕を振る。
――クッ! スパンッ!
「……それだとまだ抜いてるな。カーブならそれでいいが、スライダーはもっとストレートに近い振りでいいんだ。もっとチョップを意識して」
それからも、父との特訓は続いた。
何度も、何度も。指先の感覚が研ぎ澄まされていくまで。
――ククッ! スパンッ!!
「おお、今の感じはいいぞ! その感覚、しっかり覚えておけよ!」
父が満足そうに立ち上がり、ミットを叩いた。
けれど、その表情にふと、寂しげな色が混ざる。
「……よし。俺はそろそろ行くからな。すまない、隼人」
「父さん? どこに行くの? 嫌だよ、まだ練習しようよ!」
駆け寄ろうとする俺を、父は静かな眼差しで制した。
「大丈夫だ、隼人。俺はずっとお前を見ているからな。お前は一人じゃない。……いいか、エースは孤独じゃないんだ。周りに支えてくれる人がいて、初めてエースになれる。それを忘れるなよ」
父の姿が、夕闇に溶けるように少しずつ遠ざかっていく。
「大丈夫だ。しばらくここで練習していなさい。わかったな?」
必死に手を伸ばしても、父の体には届かない。
残された俺は、父に言われた通り、一人で練習を続けた。
父が考えてくれたメニュー――左右どちらでもバランスよく投げられるように、左だけでなく、右でもシャドウピッチングを繰り返す。
右でも左でも、父さんのあの美しくて力強いフォームを完璧に再現できるように。
一回、また一回。
静寂に包まれたグラウンドで、俺はひたすらに腕を振り続けた。
いつかまた、父さんにその球を受けてもらえる日が来ると信じて。
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