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17番を継ぐ日まで ―消えた天才の成長譚―  作者: 道雪ちゃん


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16/20

蓮司の告白

ゆるゆると書いてます。

変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。

夕陽が上田城跡公園の古い石垣をオレンジ色に焼き、長い影を芝生に落としていた。


トレーニングを中断した隼人、蓮司、青木の3人は、何をするわけでもなくベンチに腰を下ろし、火照った体を冷ましていた。


沈黙を破ったのは、青木だった。


「……櫻井くんから少し聞いてはいたけどさ。橘くんが元々サウスポーだったなんて、正直、実際に球を見ても信じられなかったよ」


康介は、バッターボックスで体感したあの鋭い軌道を思い出しながら、溜息を吐くように言った。


「ありがとう。でも、まだまだなんだ。フォームを維持するだけで精一杯だよ」


(……今でも、うちの野球部のピッチャーと遜色ないくらいの球を投げてるんだけどな)


青木は、放課後に時折、野球部の練習を遠くから眺めることがあった。


それは復帰への未練というよりは、ただ純粋に、自分がかつて愛した野球という競技を、ぼーっと眺めていたかったからだ。


そんな青木の目から見ても、隼人の右腕から放たれるボールには、今の部員たちにはない「芯」が通っているように見えた。


「ここまで投げられるようになったのは、蓮司のおかげだよ。実際、5月くらいまではまだ杖を使って歩いていたんだから」


「……そんなに大きな怪我だったんだね」


青木を含め、クラスメイトたちは「事故でしばらく入院していた」という断片的な情報しか持っていなかった。


まさか、8か月間も昏睡状態にあり、生死の境を彷徨っていたなど、想像すらしていなかったのだ。


それでも、康介はそれ以上深く踏み込もうとはしなかった。


その静かな気遣いを肌で感じた隼人は、ふと、すべてを打ち明けようと思った。


ここは上田だ。


東京での絶望も、栄光も、すべてを引き連れて隼人はこの街で生きていく。


康介を、そして蓮司を信じて。


「……俺のこと、少し詳しく話してもいいかな?」


「もちろんだよ」


隼人は、静かに語り始めた。


小学生の時に全国優勝を果たしたこと。


名門・瀬田シニアという強豪チームに所属していたこと。


父・橘誠一郎がプロ野球選手だったこと。


そして、あの日、人生を狂わせた凄惨な事故のこと。


中学1年の4月から、8か月後の12月にようやく意識が戻ったこと。


そこから血の滲むようなリハビリを経て、麻痺を残しながらも、なんとか日常生活を取り戻したこと。


「俺もよ、初めて聞いた時はひっくり返るかと思ったんだ。それに、小学生時代のこいつの活躍を知ってたしな」


蓮司が、どこか誇らしげに、けれどどこか切なそうに言葉を繋いだ。


「ファイターズも全国大会に出ていたからね」


「その大会の優勝チームのエースでMVPだぞ。知らないわけがないんだ。それに……」


蓮司はそこで一度言葉を切り、沈んでいく夕陽を見つめた。


「隼人の親父さん……橘選手は、俺にとって大好きなプレイヤーだったからな」


青木は深く息を吐いた。


「僕もニュースを観た時に、ものすごい衝撃を受けたのを覚えてる。……ごめんね、辛いことを話させてしまって。ありがとう、橘くん」


「ううん、俺が話したかったんだ。これから一緒にトレーニングをする仲間なのに、隠し事をしているのはもやもやするからね」


青木は、そこであることに気づき、ハッとした。


「あぁ、だからあんなに右投げのフォームが綺麗だったのか。……それでも、利き腕を変えるなんて、僕には考えられないほどの努力だと思うよ。並大抵のことじゃない」


「それは、今までのトレーニング内容のおかげだよ。父さんの指導で、左右のバランスを整えるために両方で投げる練習をしていたからね」


青木は以前、ネットでプロ野球選手のトレーニング理論を読んだことがあったが、それにしても目の前の少年が背負っているものの重さに、胸が締め付けられる思いだった。


左足と左手の麻痺。


かつての栄光。


そして父の死。


それらを抱えてなお、前を向こうとする隼人の強さ。


「……よし! 僕も本気でサポートさせてもらうよ。せっかくクラスメイトになれたんだし、そんな大切なことを打ち明けてくれたんだ。ここで何もしないのは、僕の方がもやもやするからね」


青木がいたずらっぽく笑うと、隼人の顔にも自然と笑みがこぼれた。


「ありがとう。……あ、それと。橘じゃなくて、隼人でいいから」


「わかったよ、隼人くん。僕も康介でいいからね」


「うん、康介。よろしく!」


2人は固いグータッチを交わした。


「なんだよ、俺は仲間外れか? 隼人、康介、俺も混ぜろよ!」


蓮司が大きな手で2人の肩を強引に抱き寄せ、夕闇が迫る上田城跡公園に、3人の快活な笑い声が響き渡った。



………



それからの放課後は、3人でのトレーニングが日課となった。


時には蓮司の不良仲間たちが「観客」として集まり、不器用ながらもボール拾いを手伝ってくれたり、スマホで投球フォームを撮影して隼人にフィードバックをくれたりと、意外なサポートを見せることもあった。


彼らもまた、蓮司が本気で野球に戻ろうとする姿に、何かを感じ取っているようだった。


やがて夏休みに入ると、3人はより広いスペースを求めて千曲川沿いの土手へと練習場所を移した。


厳しい日差しの中、土だらけになって汗を流す。


トレーニングが終わると、決まって隼人の家か康介の家に行き、野球雑誌を広げながら語り合うのが3人の至福の時となっていた。


康介の両親も、かつての相手チームの要の選手だった蓮司のことを覚えており、また隼人の父・誠一郎も知っていた。


何より、部活もせず部屋にこもりがちだった康介が、こうして外に出て元気に活動するようになったことに深く感謝し、3人を全力で応援してくれていた。


隼人の母・莉奈もまた、康介という新しい理解者が増えたことに目を細め、時には3人に夕食を振る舞うことも増えていた。


ある日のこと。


隼人の部屋でプロ野球の展望について熱く議論していた際、ふいに蓮司が口を閉ざした。


「……いつもお前らの家に来といてあれなんだけどさ。自分の家に呼べなくて、ごめんな」


突然の謝罪に、隼人と康介は顔を見合わせた。


「なんだよ蓮司、そんなの気にするなよ」


「そうだよ。僕たち、仲間でしょ?」


2人は明るく返したが、蓮司は俯いたまま、膝の上に置いた拳を強く握りしめていた。


「3人とも! ご飯だよ!」


リビングから莉奈の明るい声が届いた。


「ほら、行こうぜ! お腹空いた!」


隼人が蓮司の背中を叩くと、蓮司は「おう……」とだけ力なく返して立ち上がった。


リビングのテーブルには、大きな鍋いっぱいに作られたカレーが並んでいた。


「夏こそ辛いもの! と思って、今日は特製カレーよ。おかわりも山ほどあるから、いっぱい食べてね!」


「よし、いただきます!」


康介が「やっぱり隼人くんのお母さんの料理は最高だなぁ」とスプーンを進める中、蓮司だけがどこか心ここにあらずといった様子で、皿を見つめていた。


「蓮司くん、どうしたの? 口に合わなかった?」


莉奈が心配そうに覗き込む。


「……蓮司、まださっきのこと気にしてるのか? 本当にいいんだってば!」


隼人の言葉に、蓮司はゆっくりと顔を上げた。


その瞳には、今まで見せたことのない深い孤独の色が混じっていた。


「……うちには、母ちゃんがいなくてよ」


絞り出すような声だった。


「小学校の卒業式の少し前に、出ていったんだ」


蓮司は、途切れ途切れに話し始めた。


「ガキだった俺は、捨てられたんだと思ってよ。何もかもが嫌になって……1番好きだった野球も、何もかも投げ捨てて荒れたんだ。お前らも知ってる通り、ろくでもねぇ不良をやってた」


静まり返ったリビング。


カレーのスパイスの香りが、どこか切なく漂う。


全国大会の映像の中で、誇らしげに行進していたあの背番号2の少年。


そのすぐ後に、彼は自分を支えていた大きな柱を失ったのだ。


母親の不在は、多感な時期の少年を壊すには十分すぎる出来事だった。


「じいちゃんは1人で住んでて、俺は親父と2人暮らしだ。……うちに来てもらっても、なんのもてなしもできねぇし。……そんな家を見せるのが、恥ずかしかったんだ。ごめんな、隠してて」


相棒として、あるいは威圧感のある不良として振る舞っていた蓮司が見せた、初めての弱さだった。


「蓮司くん」


莉奈が、真っ直ぐに蓮司の目を見つめて言った。


「恥ずかしいなんて、絶対に思わないで。お父様だって、あなたをここまで立派に育ててくださったじゃない。それにね、隼人のリハビリをあんなに熱心にサポートしてくれるあなたが、悪い子だなんて私には到底思えないわ」


莉奈の声は優しく、けれど凛としていた。


「隼人だって、本当は寂しいのよ。でも、今こうして蓮司くんや康介くんが来てくれるようになって、私は本当に嬉しいの。だからね、蓮司くん。ここを自分の家だと思って、いっぱい甘えていいんだからね!」


蓮司は、再び俯いた。滴り落ちた涙が、カレーの皿の端に小さなしみを作った。


「……これからも、俺の相棒でいてくれるんだろ?」


隼人が静かに尋ねる。


「……それは、もちろんだ。死んでもな」


「なら、いいじゃん。お母さんもこう言ってるんだからさ。気にしすぎだよ、蓮司らしくない」


康介も苦笑いを浮かべながら続けた。


「うちの両親だってさ、蓮司くんの悪い噂を知りつつも、君が僕を外に連れ出してくれたことに心から感謝してたよ。……蓮司くんが元気ないのは、なんか僕までムズムズするからさ。早くいつもの強気な蓮司くんに戻ってよ」


「……ありがとう。……隼人のお母さん、ありがとうございます。これからもお世話になりますが、よろしくお願いします」


蓮司は、今度は隠すことなく、しっかりと莉奈の目を見て、そして深く頭を下げた。


「頭なんて下げなくていいの! 隼人の仲間は、もう家族みたいなもんなんだから! はい、暗い話はこれでおしまい。冷めちゃう前に、いっぱい食べて!」


莉奈に促され、蓮司は大きく鼻を啜ると、力強くスプーンを握った。


「……いただきます!」


「うめぇ……。めちゃくちゃ、うめぇっす……」


夢中でカレーをかき込む蓮司。


その姿を、隼人も、康介も、そして莉奈も、温かな眼差しで見守っていた。

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