転校生フィーバーと守備職人
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
上田西中学校での生活が始まってから、数日が過ぎた。
給食の時間が終わり、食器を片付ける音が廊下に響く。
昼休みが始まると同時に、2年2組の教室は、文字通り「橘隼人」を中心とした輪ができあがっていた。
「橘くん、東京ではどこで遊んでたの?」
「好きな女の子のタイプとか教えてよ!」
長身で端正な顔立ち、それでいて物腰が柔らかい隼人は、女子生徒たちの間で圧倒的な人気を博していた。
まさに「転校生フィーバー」の真っ只中だ。隼人は苦笑いを浮かべながらも、一人一人の質問に丁寧に答えていく。
その様子を、隣の席で腕を組んだ蓮司がニヤニヤと眺めていた。
「けっ、相変わらずの人気だな、隼人は」
蓮司がそう毒づいた時、彼の前の席に一人の少年が座った。クラスメイトの青木康介だ。
「転校生フィーバー、すごいね。僕の席も女子たちに奪われたから、こっちに避難してきたよ」
「すぐに収まるだろ。……それより青木、お前、小学校の頃は『秋和ジャガーズ』にいただろ?」
蓮司の言葉に、青木は少し驚いたように目を丸くし、それから懐かしそうに目を細めた。
青木康介。
彼は小学校時代、市内の少年野球チームで活躍していた名選手だった。
「よく覚えているね、櫻井くん。君たちの『上田ファイターズ』には、結局1回も勝てなかったけどさ」
「まあな。お前、守備は嫌になるくらい上手かったのに、中学ではなんで野球をやらなかったんだ?」
「特に深い理由はないよ。他にもいろんな世界を見てみたかったし、もっと自由にやりたかったんだ。でも、野球が嫌いになったわけじゃないよ」
青木は屈託のない笑顔でそう言った。
蓮司は少し間を置いてから、核心に触れる。
「……お前、今なんか部活やってんのか?」
「いや、結局何もしないで適当に過ごしてる。ゲームをしたり、ネットを見たり……典型的な帰宅部だね」
「なんだよ、勿体ねぇな。……おい青木、連絡先教えろよ」
青木が「えっ……?」と戸惑う暇も与えず、蓮司は続けた。
「勘違いすんな。暇なら、隼人のリハビリに付き合ってやってくれ。場所は上田城跡公園だ」
蓮司は、隼人と先週から始めて、夏休みを体作りに充て、休み明けに入部を目指しているという計画を丁寧に説明した。
青木は静かにその話を聞き、やがて楽しそうに頷いた。
「いいね。僕は入部するかどうかは分からないけど、せっかくだから参加させてもらうよ」
「……よし、決まりだ」
蓮司が突き出した拳に、青木が自分の拳を軽く合わせた。
「それにしても、橘くんって野球が本当に好きなんだね。……昔からやってたの?」
青木が隼人の背中を見ながら呟く。
蓮司は、それが隼人の過去や事故に関わる繊細な内容であることを分かっていたため、「それは本人に直接聞け」とだけ答えた。
昼休みが明ける直前、青木が隼人の肩を叩いた。
「橘くん、次の授業の社会科……歴史の先生は、野球部の顧問の木山先生だよ。応援してるからね!」
「そうなんだ! ……蓮司から聞いたの? ありがとう、頑張るよ!」
5時間目の歴史の授業が終わり、チャイムが鳴る。
隼人は教科書を片付けると、教室を出ようとする木山先生を追いかけた。
その後ろを、蓮司と青木が静かに付いていく。
「木山先生!」
「おや、橘くん。どうかしたかい?」
木山先生は足を止め、穏やかな笑みを浮かべた。
隼人は一歩前に出て、真っ直ぐに先生の目を見つめる。
「野球部に入りたいんですが、今はまだリハビリ中なんです。……もし可能であれば、夏休み明けから入部させてもらえませんか?」
木山先生の表情が、パッと明るくなった。
「もちろん! いつでもウェルカムだよ。リハビリということは、怪我をしていたんだね。その状態についても、入部前で構わないから詳しく教えてほしいな」
「ありがとうございます! あと……」
隼人が蓮司に目配せをする。
蓮司は一瞬、緊張で強張った表情をしたが、すぐに深々と頭を下げた。
「……木山先生、今までの俺の態度は、本当に申し訳ありませんでした。俺も、こいつと一緒に野球がやりたいんです。お願いします!」
木山先生は驚きに目を見開いたが、すぐに蓮司の肩を力強く叩いた。
「よし、櫻井も含めて、入部前にゆっくり話をしよう! もちろん大歓迎だ!」
先生が去った後、3人の間には安堵の空気が流れた。
「木山先生、やっぱり優しいなぁ」
「よかったね、蓮司!」
「……おう。ありがとうな」
3人は晴れやかな表情で、それぞれの席へと戻っていった。
………
放課後。
青木と別れ、隼人と蓮司はいつもの上田城跡公園へと向かった。
バッグの中には、大切なグローブとボール。
2人は慣れた手つきで着替えを済ませると、入念なアップを開始した。
この1週間で、隼人のピッチングとバッティングのフォームは、驚くほどの速さで固まり始めていた。
家での地道なトレーニング……祖父に買ってもらった『フロッグハンド』による足指の強化や握力トレーニングの効果が、確かな感覚として体に現れ始めている。
それ以外にも、父が組んだメニューをできる範囲でやっていた。
来た当初よりも、僅かではあるが強く踏み込めるようになり、インパクトの瞬間のブレも少なくなったように感じていた。
(……でも、まだだ)
隼人は自分の体と対話するように腕を回す。
疲労が溜まってくると、どうしても左側の麻痺による違和感が強くなってしまう。
それを克服するための「スタミナ」と「筋力」を身につけること。
それが夏休みの最優先目標だった。
それは蓮司も同じだ。
ブランクを埋めるために、必死でかつての感覚を取り戻そうとしている。
2人がキャッチボールを終えようとした時、背後から元気な声が響いた。
「おーい! 待たせたね!」
振り返ると、ジャージ姿の青木康介がグローブを手に走ってくる姿があった。
「おう、本当に来たか」
蓮司が手を挙げて迎える。隼人は驚いて尋ねた。
「どういうこと? 青木くんも練習に来てくれたの?」
「櫻井くんに誘われてね。橘くん、よろしく!」
隼人は、青木がどれほどの野球経験者なのかをまだ詳しく知らなかった。
無意識のうちに、隼人はスキル『観察眼』を発動させ、青木の姿を捉えた。
■ 青木 康介
【投打】右投左打
◆野手能力
ミート: E (成長率:A)
パワー: F (成長率:D)
敏捷: D (成長率:A)
肩力: F (成長率:D)
守備力: E (成長率:S)
捕球: E (成長率:S)
◆ポジション適正
二塁: S
◆スキル
守備職人: 反応速度、捕球安定性が向上し、球際に強くなる。
(……うわっ。典型的な守備型だけど、適正が『S』だ。それにミートも良い……なんて贅沢な練習相手なんだ)
隼人は、ポテンシャルの高さに、背筋が震えるのを感じた。
「青木くんも野球をやっていたんだね」
「うん。小学校までね。結局、櫻井くんのチームには1回も勝てなかったけどさ」
青木が笑って答えると、蓮司が補足するように言った。
「こいつの守備は本当に上手かったんだ。足も速いし、何より一番嫌なのが、こいつは『空振り』をしない。ピッチャーからすれば、粘られて出塁されるのが一番厄介なバッターなんだわ」
キャッチャーである蓮司にとって、青木のようなタイプは最も戦いたくない相手なのだろう。
「それ、一応褒められているんだよね?」
「まあな」
「ありがとう。……で、2人はこれから何をするの?」
隼人はこれからピッチング練習に入ることを伝えた。
すると、青木が意外な提案をした。
「なら、僕がバッターボックスに立つよ。キャッチャーだけが相手なのと、バッターがいるのとじゃ感覚が全然違うでしょ?」
「えっ、でも危ないよ! 俺の球、まだ安定しないで荒れるんだ」
「大丈夫だよ。グローブをつけてやるし、やってみようよ」
青木のその一言で、隼人は意を決してマウンドを想定した位置に立った。
距離はおよそ18メートル。
蓮司がどっしりとキャッチャーミットを構える。その横には、真剣な表情の青木が立った。
(……景色が、全然違う)
バッターがそこに立っているだけで、隼人から見える景色はこれほどまでに圧迫感を増すのか。
隼人は今までの反省点を脳内で反芻し、左足の指先に全神経を集中させた。
「……いくよ!」
シュッ――スパンッ!!
放たれた白球は、美しい回転を伴ってアウトコースいっぱいの位置に突き刺さった。
「へぇ……綺麗で躍動感のあるフォームだね。球も悪くない」
青木が感心したように呟く。
「だよな。こいつ、元サウスポーとは思えないんだよ」
「えっ!? どういうこと!?」
青木がひっくり返るような声を上げた。
「それは、後で本人の口から聞いてやってくれ。正直、俺はここまで投げられているのが奇跡だと思っている。……それに、この1週間だけでも、確実に伸びてきているんだ」
蓮司が誇らしげに言い、2球目を構える。
スパンッ!!
今度はインロー――わずかにシュート回転した球が、青木の膝元を襲う。
「青木くん、ごめん!」
「いいよいいよ、大丈夫! どんどん投げて!」
青木の励ましを受け、隼人は何度も腕を振り抜いた。
力加減を調整し、以前のように転倒することは減ってきた。
それでも、少しでも気を抜けば麻痺の残る足が地面を捉えきれなくなりそうになる。
逆に、転ぶのを恐れて加減を弱めれば、上体だけの「手投げ」になってしまい、球威は極端に落ちる。
(……ここだ。この感覚を忘れるな)
夕暮れの空の下、何十球と投げ込みを続ける。
次第に疲労が溜まってくると、左足のしびれが強くなっていくのを感じた。
踏み込む足が微かに震え、制球が乱れ始める。
「……橘くん、無理しないで」
青木が心配そうに声をかける。
隼人は肩で息をしながら、空を見上げた。
「……一旦、休憩するか?」
蓮司がミットを外し、隼人のもとへ歩み寄る。
「そうだね。……ちょっと座ろうか」
3人は、夕日に包まれ始めた公園のベンチに座った。
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