初登校
ゆるゆると書いてます。
変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。
翌日。
隼人は蓮司と共に大型スポーツショップへと向かっていた。
蓮司の手には、昨日決意した通り、新しいキャッチャーミットが握られている。
「……やっぱりこれ、いいな」
蓮司が選んだのは、隼人のグローブと同じ『IZUMO』の軟式モデルだった。
漆黒の革に、鮮やかな黄色のステッチが映える。
まだ型もついていない真新しいミットを、蓮司は愛おしそうに何度も叩いていた。
その後の週末も、2人は多くの時間を共に過ごした。
練習の合間、蓮司の周りには時折、以前のような不良仲間たちが集まることもあった。
けれど、今の蓮司にはもう、虚勢を張る必要はなかった。
「俺、これから本気で野球をやるわ。もう、ふらふらした遊びはしねぇ」
蓮司の突然の宣言に、仲間たちは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに顔をほころばせた。
「……なんだよ蓮ちゃん、やっぱりそうこなくっちゃ」
「蓮ちゃんが野球やってる時が一番かっこいいもんな。応援するぜ、マジで」
仲間たちの言葉は、意外なほど温かかった。
彼らの中には上田西中の生徒もいれば、別の学校に通う者もいたが、誰もが蓮司の「再起」を心から喜んでいるようだった。
公園での練習中、まだ硬いミットでボールを弾いてしまうたびに、蓮司は「すまん!」と顔をしかめて謝った。
「謝んないでよ、蓮司。俺だって、転んでばっかりなんだから。お互い様だよ」
隼人が笑って返すと、蓮司も照れくさそうに笑い、再びミットを構えた。
家に戻れば、隼人は勉強の遅れを取り戻すために机に向かった。
そして合間には、祖父が買ってくれたトレーニング器具を使い、地道なリハビリに励んだ。
『フロッグハンド』で左足の親指と人差し指のグリップ力を鍛え、ハンドグリップで両手の握力を高める。
日課にしているトレーニングも欠かさない。
すべては、あのマウンドに再び立つため。
そして、蓮司のミットに最高の球を投げ込むためだった。
そして、運命の月曜日。
隼人は、袖を通したばかりの新しい制服の感触に、少しだけ背筋が伸びるのを感じた。
「隼人、準備はいい? 忘れ物はない?」
莉奈が玄関で声をかける。
彼女もまた、どこか緊張した、それでいて嬉しそうな表情をしていた。
「うん、大丈夫。行こう」
2人でアパートの階段を下りると、そこには意外な人物が待っていた。
「……蓮司! どうしたの?」
「初登校だろ。……迎えに来たんだが、早すぎたか?」
蓮司もまた、少し窮屈そうに学ランに身を包んでいた。
いつもの威圧感は鳴りを潜め、どこか落ち着いた雰囲気を纏っている。
「蓮司くん、おはよう! 迎えに来てくれたのね、ありがとう」
「……あ、おはようございます。……お邪魔してます」
莉奈の笑顔に、蓮司は少し照れくさそうに頭を下げた。
「心強いわ。じゃあ、3人で行きましょうか」
莉奈を先頭に、隼人と蓮司は並んで歩き出した。
爽やかな朝の空気が、新しい生活の始まりを祝ってくれているようだった。
上田西中学校の校門。
少し早めに到着した3人は、朝練に向かう生徒たちが活気ある声を掛け合う中を通り抜け、職員室へと向かった。
ちょうど職員室から出てきたのは、教務主任の山崎先生だった。
「山崎先生。今日から隼人をよろしくお願いいたします」
莉奈が丁寧にお辞儀をすると、隼人もそれに続いた。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします。……ん? 櫻井、お前はどうした? お前が学校に来るなんて珍しいな」
山崎先生の鋭い視線が蓮司に注がれる。
蓮司は一瞬だけムッとしたような、苦々しい表情を浮かべたが、それをぐっと堪えた。
「先生。蓮司くんは隼人と友達になってくれまして。この数日間、リハビリやトレーニングにもずっと付き合ってくれていたんです」
莉奈が助け舟を出すように、笑顔で言った。
山崎先生は、信じられないというように目を見開いた。
「……本当ですか、それは」
「本当です。もう、友人っていうより『相棒』って感じなんです。な、蓮司」
「……おう。山崎……先生。今まですいませんでした。俺、こいつとちゃんと野球をやりたいんで。これからはしっかり学校にも来ます」
蓮司の口から出た言葉に、山崎先生は絶句した。
今まで、素行不良で登校もまばら、周囲からは「手の付けられない不良」と評価されていた蓮司。
その彼が、自らの意志で更生を誓ったのだ。
「先生、今一度、蓮司くんを信じてあげてください。お願いします」
莉奈が深く頭を下げると、蓮司も、そして隼人もそれに続いた。
「……頭を上げてください。わかりました。櫻井、自分の家族はもちろん、こうして君を信じてくれる人たちがいるんだ。その人たちを二度と悲しませないように、全力でやり遂げるんだぞ」
「……はい。わかってます」
蓮司の力強い返事に、山崎先生の表情がわずかに和らいだ。
「では、橘くん。校長室へ行こうか。櫻井は、自分の教室に行ってなさい。お母様、ありがとうございました。大切にお預かりします」
莉奈に見送られながら、隼人は山崎先生と共に校長室へと向かった。
校長室には、穏やかな笑みを浮かべた校長と、1人の若い女性教師が待っていた。
「おはよう、橘くん。面談の日から今日までは、どう過ごしていたかな?」
「新しくできた友人と、ずっとリハビリとトレーニングをしていました。あ、もちろん勉強も頑張りましたよ」
隼人が少し照れくさそうに頭をかくと、校長は声を立てて笑った。
「ははは、それはよかった。面談の時、体を動かせるようにしておくって言っていた通りだね。……さて、こちらが橘くんの担任を務める、高畑美月先生だ」
「初めまして! 2年2組担任の高畑です。橘くん、これからよろしくね!」
高畑先生は若く、元気いっぱいの太陽のような印象の女性だった。
「橘です。よろしくお願いします!」
校長室を出ると、廊下の壁に背を預けて立っている蓮司の姿があった。
「蓮司! 山崎先生が教室に行っておけって言ったじゃん」
「お前のクラスがどこか気になってよ……」
「櫻井くん、橘くんと知り合いなの?」
高畑先生が不思議そうに尋ねると、隼人は胸を張って答えた。
「蓮司は、俺の相棒です」
「……おう、相棒だよ」
蓮司も、少し誇らしげに頷いた。
「なんだ、よかった! 櫻井くん、よかったね、橘くんと同じ2組だよ! 3人で行こうか。あ、でも山崎先生に見つかったら怒られるから、静かに移動してね」
小声でいたずらっぽく笑う高畑先生に、隼人と蓮司は顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
………
教室が近づくにつれ、中から漏れ聞こえるガヤガヤとした喋り声が大きくなっていく。
「よし、じゃあ私が『どうぞ』って言ったら入ってきてね。櫻井くんは、私と一緒に先に入ろうか」
高畑先生の言葉に従い、蓮司が先に教室内へ足を踏み入れた。
その瞬間。
溢れかえっていた会話が、潮が引くようにピタリと止まった。
(……あぁ、高畑先生が入ったからじゃないんだな)
隼人はドアの外で悟った。
クラスメイトたちは、めったに姿を見せない「あの櫻井蓮司」が朝から登校してきたことに、強烈な衝撃を受けているのだ。
教室の中からは、高畑先生が明るく今日の連絡事項を話す声が聞こえる。
隼人は深呼吸をし、これから出会う仲間たち、そして蓮司への印象を変えたいという強い思いを胸に秘めた。
「橘くん、どうぞ!」
高畑先生の声が響き、隼人はゆっくりとドアを開けた。
一斉に注がれる視線。
窓際の席では、蓮司がニヤニヤとしながらこちらを見ている。
隼人は一瞬だけ、冗談めかして彼を睨みつけてから、教壇の前に立った。
「新しく皆のクラスメイトになる、橘隼人くんです。橘くん、自己紹介をお願いします」
「皆さん、初めまして。東京から来ました、橘隼人です。しばらく怪我で入院をしていたので、学習面などで遅れているところがありますが、早く皆に追いつけるよう精一杯頑張ります。よろしくお願いします!」
隼人が深々と頭を下げると、教室内には温かい拍手が沸き起こった。
その中でも、窓際で誰よりも大きく、力強く手を叩いているのは蓮司だった。
「はい、ありがとう! じゃあ橘くんの席は……あぁ、櫻井くんの隣が空いているね。そこでいいかな?」
クラスメイトたちが、「えっ、あの櫻井の隣……?」と動揺を見せる中、隼人は「はい!」と元気に答え、蓮司の隣へと向かった。
「蓮司、よろしくな」
隼人が右手の拳を突き出すと、蓮司も「おう」と短く返し、力強くグータッチを交わした。
その様子を、クラスの面々は驚愕の表情で見守っていた。
朝のホームルームが終わり、1時間目の授業が始まるまでの短い休み時間。
興味津々のクラスメイトたちが隼人の周りに集まってきたが、誰もが隣に座る蓮司を恐れて、なかなか声をかけられずにいた。
隼人はその空気を察し、まずは自分の前の席に座る少年に声をかけた。
「ねぇねぇ、よろしくね! 名前、なんていうの?」
「……あ、青木だよ。橘くん、よろしくね」
青木という穏やかな雰囲気の少年が答えると、それをきっかけに少しずつ、周囲の生徒たちも口を開き始めた。
「橘くん、東京のどこから来たの?」
「入院してたって、大丈夫なの?」
次々と飛んでくる質問に答えていた隼人だったが、ふと、隣で腕を組んで黙り込んでいる蓮司の存在に気づいた。
「なんだよ蓮司。なんで黙ってるんだよ」
「……俺が喋ると、空気が悪くなるだろ。気にするな」
蓮司が自嘲気味に呟いたその言葉に、隼人はムッとして立ち上がった。
「皆、ちょっと聞いてほしいんだ!」
隼人の大きな声に、教室内の視線が再び集中する。
「俺には、事故の影響で、左手と左足の指に軽度の麻痺があるんだ。長い間入院していて、こっちに来たばかりの俺のリハビリやトレーニングに、ずっと付き合ってくれていたのが蓮司なんだ。……確かに、今までは皆に迷惑をかけたこともあったかもしれないけど、蓮司はこれからちゃんと学校に来て、俺と一緒に野球をやるって決めたんだ。だから、俺の親友として、クラスメイトとして、蓮司を受け入れてほしい。……お願いします!」
隼人は、深々と頭を下げた。
教室内に、重苦しいまでの静寂が流れる。
クラスメイトたちは、東京から来た爽やかな転校生と、あの恐ろしい不良の櫻井蓮司の間に、そんな深い絆があるとは夢にも思っていなかったのだ。
「……皆、今までのことは本当に申し訳なかった。これからは、ちゃんとやるから」
蓮司もまた、ゆっくりと立ち上がり、不器用に、けれど誠実に頭を下げた。
その光景に、誰もが言葉を失っていたが、最初に口を開いたのは、前の席の青木だった。
「櫻井くん、橘くん。改めて、これからよろしくね!」
青木が明るく笑って手を差し出すと、それを合図にしたように、周囲からも次々と声が上がった。
「なんだよ櫻井くん、野球やるのか! 応援するぜ!」
「橘くんも、大変だったんだね。何かあったら力になるよ!」
静まり返っていた2年2組の教室が、一気に活気づく。
蓮司は驚いたような、どこか照れくさそうな顔をしながら、青木の手を握り返した。
その隣で、隼人は確かな手応えを感じていた。
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