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17番を継ぐ日まで ―消えた天才の成長譚―  作者: 道雪ちゃん


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12/20

蓮司、橘家へ行く

ゆるゆると書いてます。

変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。

翌朝。


窓の外に広がる空は、ここ数日の突き抜けるような青とは一転し、重くどんよりとした灰色に沈んでいた。


「ねぇ隼人、今日はこの後、雨が降るって予報だよ。練習、お休みにしたら?」


リビングで荷物をまとめる隼人に、莉奈が心配そうに声をかけた。


「いや、やれるだけやりたいんだ。天気が怪しくなったらすぐ帰ってくるから」


隼人はトレーニングシューズを履き、力強く答えた。


「行ってきます」という声と共にアパートを飛び出す。


その足取りは、昨日よりもさらに速く、力強い。左足の指先の麻痺を意識しつつも、新しい「目標」が彼を突き動かしていた。


いつもの上田城跡公園。


いつもの壁当てスペースへ辿り着くと、そこには先客がいた。


「……蓮司?」


そこに立っていたのは、いつもの不良じみた服装ではなく、動きやすそうな黒のジャージに身を包んだ蓮司だった。


「遅ぇよ、隼人。アップはもう済ませた。さっさと始めろ」


ぶっきらぼうに言い放つ蓮司。


けれど、その準備万端な姿からは、彼がいかに今日という日を心待ちにしていたかが透けて見えた。


(……練習仲間が、できたんだ)


その事実が、隼人の胸を熱く焦がす。


ただの「リハビリ」だった孤独な時間が、今、明確に「野球」へと昇華された瞬間だった。


「蓮司、ありがとう。……本当、すごい嬉しいよ」


「っ、そんなんいいから、早くやれっての!」


照れ隠しに声を荒らげる蓮司の耳が、少しだけ赤くなっている。


隼人はその不器用な優しさに微笑みながら、入念にストレッチを始めた。


「……手伝おうか?」


蓮司がボソッと呟く。


その言葉には、隼人の怪我を、そして麻痺の残る身体を気遣う繊細な響きがあった。


「大丈夫だよ、ありがとう」


その気遣いだけで十分だった。


身体を解し、ゆっくりとしたペースでランニングを行う。


土を蹴る感触が、昨日よりも鮮明に脳に伝わってくる。


「――キャッチボールするか」


ランニングを終え、呼吸を整えていた隼人の前に、蓮司が歩み寄ってきた。


その左手には、使い込まれ、美しく手入れされたキャッチャーミットが握られていた。


ステータスで見た通りの『捕手:S』。


それが単なる数値ではなく、長年積み重ねてきた努力の結晶であることを、そのミットの艶が証明していた。


「良いミットだね。……ずっと、手入れしてたんだろ?」


「……癖みたいなもんだ。軽くでいい、気をつけろよ」


蓮司が少し距離を取り、腰を下ろさずに構える。


隼人はまだ足を高く上げるフォームは使わず、立ち投げの状態で右腕を振った。


シュッ――スパンッ!!


静かな公園の空気を切り裂き、乾いた音が蓮司のミットに吸い込まれる。


「……ナイスボール」


蓮司が小さく、けれど重みのある声で呟いた。


「隼人、お前、こっちの球は捕れるのか?」


「……いや、グローブがうまく閉じられないんだ。手入れはしてるけど、まだ硬いし柔らかくしボールも受けてないし、指に麻痺があるから……」


正直に打ち明ける隼人に、蓮司は鼻で笑って見せた。


「なら、初心者みたいだけどよ、両手で捕ればいいじゃん。慣れるまではそれで凌いで、グローブが柔らかくなれば、指3本でも抑えられるようになるだろ」


そう言うと、蓮司は優しく、山なりのボールを投げ返した。


隼人は言われた通り、左手のグローブにボールが入る瞬間に、右手を添えて包み込んだ。


バフッ。


「……本当だ。捕れる。……なんで、思いつかなかったんだろう」


「慣れちまうと、そんなもんだ。片手で捕るのが当たり前になっちまってたからな」


蓮司はパンッ、と右手の拳をミットに叩きつけた。


「……俺のミットも、今のままじゃ小さすぎる。新しいの、買うかな」


「えっ! だったら、一緒に見に行こうよ!」


「……ああ、そうだな」


2人の間に、野球人としての自然な会話が流れる。


しばらくキャッチボールを続けていたが、ふいに蓮司がボールを握り直したまま、足を止めた。


「……お前、俺が野球を辞めた理由……聞かないのか?」


その問いに、隼人は迷うことなく首を振った。


「聞かないよ。蓮司には、蓮司の理由があったんだろ?」


「……俺は、お前に色々と聞いちまったんだけどな」


蓮司の表情が、一瞬だけ曇る。


後悔と、申し訳なさが入り混じったような、暗い影。


「蓮司が話せる時に、話してくれたらいいよ。俺は気長に待ってるから」


隼人がニコッと笑って答えると、蓮司は一瞬だけ目を見開き、それから小さく「……ありがとな」と呟いた。


その瞬間、2人の心の距離が、また一歩近づいたのを感じた。


「……よし、どうする? そろそろ座るか?」


蓮司の言葉に、隼人の背筋が伸びる。


キャッチャーを座らせて投げる。


それは、最後の練習以来だった。


マウンドからホームベースまでの距離、18.44メートル。


蓮司はそれよりも短い距離で、どっしりと腰を据えた。


「ほい、いいぞ! 来い!」


隼人は集中を高める。


転ばないための体重移動、そして踏み込みの強さ。


壁当てではセットポジションを意識していたが、蓮司のミットを見つめると、身体が自然とワインドアップの形をとっていた。


右腕をスッと上げ、大きく胸を張る。


左足を高く上げ、一点に力を溜める。


そこから、解放するように左足を踏み込んだ。


可動域を最大限に活かした右腕が、ムチのようにしなる。


スパンッ!!!


ミットの芯に収まる、気持ちのいい音が響き渡った。


「いいねぇ。その足でこれなら上出来だろ。……っていうか、マジで橘選手にそっくりだな。元サウスポーとか、言われなきゃ信じられねぇよ」


蓮司がミットからボールを取り出し、感心したように溜息をついた。


「……父さんのトレーニングメニューに、左右でシャドウとスローイングをするのがあったんだ。それをずっと、日課にしてたから」


「なるほどな……」


納得したように頷く蓮司。


その後、何球か続けていたが、空の厚い雲がさらに低く、黒く立ち込めてきた。


「蓮司、雨が降りそうだ。今日はここまでにしよう」


「それがいいな。明日はここも泥でぐちゃぐちゃだろうから、次は明後日か」


道具を片付け始めた蓮司を見て、隼人はふと思いついたことを口にした。


「あ、蓮司、今日この後、時間ある?」


「おう、あるからここに来たんだろ。どうした?」


「……うちに、来ない? 父さんのグッズとか、蓮司が見たことないようなものも、たぶんあると思うんだ」


「えっ、いいのか!? ……いや、でも、いいわ。俺みたいのが行ったら、お前の母ちゃんも迷惑だろ……」


一瞬だけ目を輝かせた蓮司だったが、すぐに自分の容姿に触れ、卑下するように表情を曇らせた。


「何言ってんだよ。友達だろ? それに、父さんのファンだって言ったら、お母さん、絶対に喜ぶよ。……だから、行こう?」


隼人の真っ直ぐな言葉に、蓮司は言葉を詰まらせた。


「……あ、ありがとな。……わかった、お邪魔するわ」


蓮司の顔に、いつもの不良のそれではない、年相応の少年の笑顔が戻った。



………



2人は並んで歩き始めた。


アパートへ向かう道すがら、話題は上田市の暮らしや学校のことへと移っていく。


「田舎だけどよ、意外と何でも揃ってんだぞ、上田は。ドンピもあるし、イヨンも、他にもデカいスーパーがいくつもある。飯も美味いしな」


蓮司が地元愛を滲ませながら教える。


隼人はそれを聞きながら、未来の自分たちを想像した。


「……これから、蓮司とか、他にも友達ができたら……みんなで行けたらいいな」


野球漬けの毎日と、その後の長い入院生活。隼人には、そういった「普通の放課後」の経験が圧倒的に欠落していた。


その言葉を聞いた蓮司は、ぶっきらぼうながらも力強く答えた。


「『いいな』じゃねぇよ。……やるんだよ。行くんだよ、みんなで」


出会ってからまだ3日。


けれど、蓮司の内に秘めた熱さと優しさに、隼人は心を許していた。


「……ありがとう」


笑顔で蓮司の肩に手を置くと、蓮司は「おう」とだけ短く返し、照れくさそうに前を向いた。


やがて、2人は隼人の住むアパートに到着した。


玄関の前で、蓮司が少しだけ緊張した面持ちで立ち止まる。


「……本当に、いいんだよな?」


「当たり前だろ!」


隼人は勢いよくドアを開けた。


「ただいま!」


「おかえり! やっぱり天気が怪しくなってきたね、間に合ってよかった……」


キッチンの奥から莉奈が顔を出す。


「お母さん、今日、友達を連れてきたんだけど、上がってもらってもいいよね?」


莉奈の動きが止まった。


上田に来て、まだ1週間も経っていない。


その息子が、もう「友達」を家に連れてきた。その驚きと喜びが、彼女の表情を明るくさせる。


「ほら、入ってよ! 蓮司!」


「……し、失礼します……!」


隼人の後ろから現れたのは、隼人と同等か、それ以上にがっしりとした体格の少年だった。


黒髪をサイドで短く刈り込んだフェードカットに、鋭い眼光。


一見すれば不良に見える強面の風貌。


けれど、莉奈は一瞬だけ驚いたものの、すぐに満面の笑みを浮かべた。


「いらっしゃい! 隼人と友達になってくれて、本当にありがとう。隼人の母です」


「……あ、お、お邪魔します……」


緊張でカチコチになっている蓮司を、莉奈は温かく迎え入れた。


「さぁ上がって! 隼人、早くお部屋に案内してあげて」


隼人に促され、蓮司はどこか申し訳なさそうに、けれど好奇心を隠せない様子で隼人の自室へと足を踏み入れた。


その背中を、莉奈は優しい眼差しで見つめていた。



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