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17番を継ぐ日まで ―消えた天才の成長譚―  作者: 道雪ちゃん


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10/20

沈黙の掌と、新しい足跡

ゆるゆると書いてます。

変なところがあれば都度ストーリーに関わらない程度に直しております。

「……なんだよ、あの球」


上田城跡公園の薄暗いベンチ。


櫻井蓮司は、仲間たちが騒いでいる輪から少し離れたところで、先ほどまで壁当てをしていた少年の後ろ姿を思い出していた。


来週から同じ西中に通うというあの少年が放った2球目――あの壁に突き刺さるような鋭い音。


球速自体は、おそらく100キロ程度だろう。中学生としてはそこまで驚く数字ではない。


だが、そのフォームは洗練されていた。


無駄のない体重移動、しなやかな腕のしなり。


まるで、何万回と反復練習を繰り返したプロのそれを見ているような錯覚に陥った。


(……誰かに似てんだよな、あのフォーム)


記憶の隅にある、プロ野球のダイジェスト映像か、それとも。


蓮司は喉元まで出かかった答えを飲み込んだ。


「ねぇ、何ぼーっとしてんだよ、蓮ちゃん。さっきの、あの転んでた奴のこと気にしてんの?」


仲間内の1人が、冷やかすように肩を叩いてきた。


蓮司は鬱陶しそうにその手を振り払う。


「……いや、なんでもねぇよ」


「そういえば、蓮ちゃんも前は野球やってたよな? 結構有名なチームだったんだっけ?」


別の仲間が、思い出したように繋ぐ。


蓮司はポケットに手を突っ込み、空を見上げた。


「あぁ……前にな。もう、とっくの昔の話だ」


「もうやらないの? もったいないじゃん。蓮ちゃんなら、どこの部活でも活躍できそうだけど」


仲間たちは笑いながら、他愛もない話題へと移っていく。


蓮司は鼻で笑って、ぶっきらぼうに吐き捨てた。


「……やってるんだったら、こんなとこにはいねぇよ」


「確かに!」と周囲が笑い声を上げる。


その輪の中心で、蓮司は無意識に自分の右手の掌を強く握りしめた。


不良として遊び歩き、野球なんて捨てたつもりでいる。


けれど、その皮の厚くなった掌には、今も鮮明に数え切れないほどの「まめ」が残っている。


誰にも見せず、夜中に1人でバットを振り込み、ボールを握り続けている証拠が。


蓮司の瞳には、隼人が放ったあの一球の残像が、消えない熱となって焼き付いていた。



………



翌日。


上田の空は、昨日よりもさらに高く、青く澄み渡っていた。


朝からアパートに顔を出したのは、祖父の隆正だった。


「おーい、隼人。準備はいいか。買い物に行くぞ」


隆正は、玄関先で待っていた隼人を呼び止めた。


莉奈がキッチンから顔を出し、「私もついて行こうか?」と声をかけるが、隆正は豪快に手を振ってそれを断った。


「いいんだ、莉奈。今日は男同士で話したいこともある。留守番しててくれ」


「あら……。隼人、おじいちゃんに甘えすぎちゃダメだよ?」


莉奈が心配そうに見送る中、隼人は「わかってるよ」と笑って外に出た。


夏の陽光が降り注ぐ上田の街を、2人でゆっくりと歩き始める。


アパートの近くには、大型スポーツショップがあるという。


そこまで散歩がてら歩いていくのが隆正の提案だった。


「ねぇ、おじいちゃん。男同士で話したいことって、何?」


しばらく歩いたところで、隼人が気になっていたことを尋ねた。


すると、隆正は「わはは」と愉快そうに笑った。


「そんなものはない! だがな、莉奈が一緒にいると、買いすぎだの、無駄遣いだのと、その場でうるさいだろう? 莉奈に気兼ねなく、好きなものを選ばせてやりたかっただけだ」


「……あはは、なるほどね。お母さん、怒ると怖いもんね」


隼人もつられて声を上げて笑った。


隆正は少し真面目な顔になり、隼人の肩をそっと叩いた。


「……隼人。誠一郎くんのことがあって、お前も莉奈も、本当は寂しくて仕方ないんだろう。爺ちゃんも、婆ちゃんも、お前たちの力になりたいんだ。だからな、なんでも頼れ。わがままを言ってもいいんだぞ」


その温かな言葉に、隼人の胸の奥がじんわりと熱くなる。


「……ありがとう、爺ちゃん。色々考えるし、寂しくないって言ったら嘘になるけど。でも、今は目標があるんだ。お父さんが見ててくれてるから。だから、俺、頑張るよ」


「……そうか。そうだな」


隆正はそれ以上何も言わず、大きな掌で隼人の頭をわしゃわしゃと乱暴に、けれど限りない愛情を込めて撫でた。


スポーツショップに到着すると、そこは野球用品だけで1つのフロアを占めるほどの大規模な店だった。


隆正の動きは早かった。


「よし、まずはバットだ。それからスパイクに、トレーニングシューズ。練習用のジャージも洗い替えがいるな」


次々と商品をカゴに放り込んでいく隆正に、隼人は慌てて制止に入る。


「おじいちゃん、買いすぎだよ! これ、お母さんに絶対怒られるって。ダメだよ、そんなに……!」


「いいんだ! 怒られるなら、後で爺ちゃんも一緒に怒られてやる。それに、これは爺ちゃんと婆ちゃんからの『再起祝い』のプレゼントだ。可愛い孫は、黙って受け取っておけ」


隆正の勢いに押され、隼人は恐縮しながらも、その心遣いに甘えることにした。


「……本当に、ありがとう。大事にするね」


「おう、他に欲しいものはないか? 遠慮するな」


隆正の問いに、隼人は少し考えてから、「1個だけ、あるんだ」と答えた。


彼が案内したのは、トレーニング用品のコーナーだった。そこで隼人が手に取ったのは、シリコン製の不思議な形をした器具だった。


「……フロッグハンド?」


隆正が不思議そうに商品名を読み上げる。


「これ、足の指のグリップ力を鍛えるためのものなんだ。……俺、麻痺が少しあるじゃん?」


「あぁ……」


「昨日、公園で投げてみてわかったんだ。左足の親指と人差し指が踏ん張れないと、全力で投げた時にバランスが崩れる。だから、これで足の指を鍛え直したいんだ」


隼人の目は、真剣そのものだった。


ただ与えられたリハビリをこなすのではなく、自分の弱点を冷静に分析し、克服しようとするアスリートの目。


隆正はその姿に、亡き誠一郎の面影を重ねた。


「……そうか。わかった。なら、これも持っていけ。握力を鍛えるハンドグリップと、体幹を鍛えるトレーニングチューブだ。カゴに入れろ」


「えっ、そんなにいいよ!」


「いいから入れろ! 隼人が元気に、やりたいことをやってくれるのが、爺ちゃんたちにとっての1番の幸せなんだからな」


隆正の真っ直ぐな優しさに、隼人は深く頭を下げた。


「……ありがとう。絶対に恩返しするよ」


その後。


大きな紙袋を提げた2人がアパートに戻ると、案の定、玄関で莉奈が仁王立ちで待っていた。


「ちょっと! 隼人! 甘えすぎちゃダメだって言ったでしょ! 2人して何考えてるの!」


烈火のごとく怒る莉奈。


それを見た隆正と隼人は、同時に顔を見合わせ、吹き出すように笑った。


「悪い悪い、莉奈。だがな、これは男のロマンなんだよ」


「そうだよ、お母さん。俺、これで明日から猛特訓するからさ!」


呆れたように溜息をつく莉奈だったが、その口元も、どこか嬉しそうに緩んでいた。


隼人が広げた新しい道具の匂いが、アパートの部屋を満たしていった。



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