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MOTHER  作者: 村上呼人
27/28

【27 】産まれた瞬間から死に向かって歩いていく




ふうふう、と息を吐いて、篤子あつこがニコッと笑った。


「陣痛かしら。初めてだからわかんないけど」

「え。病院に行かないと」

「大丈夫よ。先生に5分間隔になったら連絡してって言われてるから」


予定日までまだ二週間あった。

初めてのお産は遅くなりがちだと聞いていたが、ケースバイケースなのだろう。


篤子が額に滲んだ汗をハンカチで押さえる。

想像以上の痛みだった。

しかしこれはまだ始まりだ。


心配そうにしている四人に、大丈夫、ともう一度

言った。


「ほら。食べましょう。いただきます。

ねえこれ、のどぐろ?」

「あ、そうだけど、お前ホントに、」

「心配しなくてもここで産まないわよ。コナ、四季しき

いただきましょ。おいしそうよ」


篤子の笑顔にみんなが安心した表情になる。

オーナーとせりなが出て行った後、三人で刺身を食べた。


「うまい。てか篤子さん。陣痛って、もうすぐ産まれるってこと?」

「そうよ。でも長い人なら丸一日はかかるみたい」

「そんなに?枝折しおりさんに報告しないと」


ひらひら、と篤子が手のひらを振って、パクッと刺身をひとくち食べた。


「あの人には産まれてからでいいわよ。

事後報告で」

「え?」

「だって、男の人ってお産の時にいてもなんの役にも立たないらしいわよ?

だからあんたたちも産まれてから来てちょうだい」


そうは言ったものの、今は立ち会い出産が主流らしい。

シングルで産む人もいるだろ、と篤子は疑問に思っていた。


それにやっと目を覚ました枝折に負担になることはしたくない。

産むのは自分だ。自分さえいればなんとかなる。


コナと四季に微笑んで篤子はまた刺身を食べた。



その日の深夜3時。

陣痛の間隔が5分おきになった。

病院に電話をすると入院の支度をしてタクシーで来るように言われる。


「ヤバいわ。こんなに痛いとか聞いてないんだけど」


ギリギリまで家でゆっくりできて良かった。

篤子は用意していた入院グッズが入った

キャリーケースを陣痛の合間に玄関に運んで着替えた。


タクシーの中でも陣痛は襲ってくる。

運転手も妊婦とわかっているので急いでくれた。

病院の救急入り口のインターホンを押すと待っていてくれたのだろうか、助産師がすぐに出て来て篤子を車椅子に乗せて病棟へ上がる。

フットライトだけの廊下を進み、篤子を乗せた車椅子は【陣痛室】に入った。


佐藤篤子さとうあつこさん。子宮口測りますね」


手袋をはめた助産師が篤子の足の間に手を入れて子宮口の大きさを測る。

そうしているとまた陣痛の波が押し寄せて

きた。


「ううう」

「痛いね。でももう少しがんばって。まだ全開じゃないから」


助産師が篤子の腰を押すようにして揉む。

不思議と痛みが和らいで楽になった。


「ありがとうございます」

「ナースコールここに置いておきますから。

耐えられなくなったら押してね。

またすぐに来ますけど遠慮なく」


耐えられなくなったら?もうすでに耐えられない。

ここからまだ痛くなるのか。

篤子は気が遠くなる気がした。


陣痛室はカーテンで仕切られているようだ。

隣にも先客がいるようで、カーテン一枚なのでうなり声も聞こえてくる。

旦那と思われる人が、大丈夫かと言いながら

オロオロしている声が聞こえた。


こんなところまで旦那がついてくるのね。

そんなことを考えられる自分はまだ余裕がある、と篤子は自分に言い聞かせて陣痛に耐えていた。



佐藤さとうさん8cmです」

「初産よね。明け方…はまだ無理かな。

一応オペ室に連絡しといて」

「はい」


陣痛室に二人目の妊婦が入ったと聞き、先ほど出勤してきた医師がパソコンで篤子のカルテを見ていた。


「NICUにも連絡入れといて。エコー行ってくるわ」


看護師が内線で手術部とNICU(新生児集中治療管理室)に連絡をする。

予定日より少し早いのと、篤子が高齢出産なのを考慮してあらかじめスタンバイだけはしておかなければならない。


「そうだ。そういえばご主人来てなかったわね」

「連絡しておきます」


夜勤帯の看護師二人が顔を見合わせる。

篤子は事前に、立ち会い出産はしないと申し出ていた。

立ち会いはしなくても連絡は、と思った看護師が枝折の携帯に電話をかけた。



意識がなかったとはいえ、今までぐっすりと眠っていたからなのだろうか。

枝折は眠れなかった。

病室の窓からは時折走る車が見えるだけ。

深夜なので仕方ないが、銀座はまだ眠っていない時間なのでなんだか淋しかった。


枕元に置いていた携帯が震える。

窓際に立っていた枝折はベッドに戻り、携帯を見ると自分が今いる病院からだった。


「はい」

佐藤枝折さとうしおりさんですか?夜分遅くにすみません。

私、新橋中央病院の三階西病棟…」


やはり枝折が入院している病院からだった。


「佐藤篤子さんが先ほど入院されました。

明け方には難しいかもしれませんが、立ち合いではないと言うことなのでご連絡だけさせていただきました」

「え?産まれるんですか?」


今、何日だ?昨日まで眠り続けていた枝折はとっさに日にちがわからない。

もう予定日だったのか。

そういえば篤子のお腹ははち切れんばかりに大きかった。


「帝王切開になる可能性もありますので、その場合は…」

「もう産まれるんですか?」

「いえ。明け方には難しいかもしれませんが、

産まれましたらまたあらためてご連絡させていただいて、」

「行きます。今から」

「わかりました。まだ佐藤さんは陣痛室におられますので来られたらナースステーションに声をかけてください。三階西病棟です」


電話を切った枝折は部屋を飛び出そうとしたが、勝手に出られない。

ナースコールを押して夜勤の看護師を呼んだ。



「佐藤さん。しんどいね。赤ちゃん元気ですよ。

えーと、36週は過ぎてるから体重も大丈夫かな」


医師がそういうと、篤子が汗まみれの顔で小さく頷く。

もう話すこともできないほど陣痛の間隔は狭かった。


「子宮口が全開したら分娩室にいきますからね。

もう少しがんばって!」


返事ができない篤子がシーツを引きちぎりそうなほど握りしめる。

医師と入れ替わりで助産師が入って来て篤子の腰を揉んだ。


となりの夫婦の声がいつのまにか聞こえない。

もう分娩室に行ったのだろうか。

自分も早く行きたい。あと何時間もこんな痛みに耐えるなんて気が狂いそうだ。


篤子は浅い呼吸を繰り返しながらひたすら時間が過ぎるのを待つ。助産師が腰を揉んでくれたのでほんの少しだが、頭がハッキリとしてきた。


窓のない陣痛室は朝なのか夜なのかわからない。

壁に時計はあるが見上げる気力もない。


腰を揉んでくれている助産師も疲れてきたのだろう。

もっと強く揉んでほしいのに、さっきよりも

力強さがなくなっていた。


「うううう」


出るのはうめき声だけだ。

もう陣痛と陣痛の間の休憩もなかった。


「う…ううう…」

「篤子」

「…」


背中の方からいるはずのない枝折の声がする。

カタカタ、と小刻みに首を動かして篤子が振り向くと、車椅子に乗った枝折が腰を揉んでいた。


なんで枝折がいるのか。もう篤子の頭は回っていないのでわからない。

しかし枝折の顔を見て篤子は安心してベソをかき、涙を流した。


「こんなんになっちゃったからえらそうに言えないけど、立ち会い出産にしなかったの?

私、立ち会う気満々だったのに」


泣きながら篤子は笑った。

枝折は、汗で顔に貼りついた篤子の髪を取って、体を抱きしめた。


「一人で背負い過ぎよ。私だってまだ動けるんだから。

ずっといるからね。大丈夫よ」


助産師が来て篤子の子宮口を測る。

明け方には難しいと言われていたが思ったよりも早く分娩室にいけることになった。



篤子が分娩室に入ってからそろそろ一時間。

ナースステーションの隣にある分娩室の前で

枝折は車椅子に座ってドアを見つめていた。


ドアのすぐ横に男の子と女の子のイラストが描いてある看板のようなものがある。

二人ともオムツをしてニコニコと笑っていた。


夜間なので施錠してあるが病棟の入り口の

ガラスのドアにも哺乳瓶やおもちゃ、赤ちゃんのイラストが貼ってある。


枝折がそれを見ているとすぐ後ろにある

デイルームの大きな窓から日が昇る。

すぐに空を明るくした朝日が枝折の背中を照らしていた。


産まれた瞬間から死に向かって歩いていく。

死に向かうが、生きるために懸命に人生を歩く。


その時間にどれだけの幸せに出会えるのだろう。

産まれてくるこの子がたくさんの幸せと出会えますように。


あちこちの部屋から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声を聞きながら枝折は手を合わせた。


ポン、と男の子のイラストが描かれた方の看板に青いライトが点灯する。

枝折がそれを見つめていると、分娩室のドアが開いて中から助産師が出て来た。


「佐藤さん。おめでとうございます。

男の子ですよ」

「…男の子」


助産師の腕の中で白いタオルにくるまれた赤ちゃんが大きな声で泣いていた。


「パパ、抱っこされます?」


枝折が戸惑っていると、助産師がふわっと枝折の腕の中に赤ちゃんを乗せた。


「可愛い…。ありがとう。

生まれてきてくれて…会いたかった」


赤ちゃんを抱いて枝折は号泣した。

病気になって、もうこの子に会えないと心の底では覚悟していたのだ。

腕の中で大泣きしている赤ちゃんの声は力強い。

枝折にも元気をわけてくれた。


「体重も3000gありましたよ。

NICU内の新生児室で二日間お泊まりして、

その後母子同室になります」

「よろしくお願いします」


再び赤ちゃんを抱っこした助産師が、隣の小児科病棟にあるNICUに赤ちゃんを連れて行った。

しはらくしてベッドに寝た篤子が分娩室から出て来た。


「篤子!」

「枝折ー。ありがとねー」

「こっちこそよ。ありがとう。

よくがんばった」

「産んだ瞬間スッキリして薔薇が咲いたわよ」


ベッドを押している看護師がくすくす、と笑う。

いつもの篤子に戻ったのを見て枝折は安心した。


篤子が病室に入り、枝折も車椅子で入った。


「明後日には赤ちゃんがここに来ますから 

それまでぐっすり寝てくださいね。

赤ちゃん来たら眠れませんから」

「わかりました」


篤子の血圧や体温を測って看護師が出ていく。

もうすっかり日が昇り、気持ちの良い朝だった。


「赤ちゃん見た?」

「抱っこしたわよ。でも泣いたからあんまり顔覚えてない」

「泣いたって、枝折が?」

「赤ちゃんが泣いてたからね。もらい泣きよ」

「なにそれー」


枝折の命を繋いだ。篤子にはそれもうれしかった。

これで枝折はきっと長生きしてくれる。

枝折が泣いた、と聞いただけで篤子の目は熱くなった。


「名前、お願いね」

「私?センスないけどいい?」

「枝折がセンスないのは昔から知ってるわよ」


水が飲みたいと言った篤子に、枝折が水を飲ませる。

枝折がいてくれるだけで心強い。

疲れ切った篤子はうとうと、と眠りに落ちていった。





昼過ぎにコナと四季がやってきた。

篤子と一緒に新生児室のガラスの向こうにいる赤ちゃんを見ていた。


「枝折さんに似てない?」

「そうよね。私も思ってた。全部そっくりだけど特に鼻」

「ホントだ!鼻がまんま枝折さんだ」


赤ちゃんは真っ白な布団を被って眠っている。

コナが携帯で写真を撮った。


「可愛いね」

「小さいな」

「コナと四季も…こんなに小さかったのよね」


この子もすぐに大きくなるだろう。

コナや四季のようないい子に育ってほしい。

うれしそうに赤ちゃんを見ている二人の背中を見て篤子はそう願っていた。



続けてコナと四季は枝折の病室に行く。

中に入ると枝折が立ってストレッチをしていた。


「あら。お揃いで」

「枝折さんもう起きてもいいの?」

「うん。ごはんも全部食べてるから先生が歩いてもいいって。退屈だから筋トレしてたのよ」

「良かった。赤ちゃん見て来たよ!」


コナが赤ちゃんの写真を見せる。枝折にそっくりだと四季が言うと枝折は照れくさそうに笑った。


「二人とも美人だからどっちに似てもいいよね」

「まあ。四季は素直ねえ」


枝折がベッドに戻り、コナと四季は長椅子に座る。

三人で笑いながら話していると主治医がやってきた。


「こんにちは。佐藤さんおめでとうございます」

「まあ、先生にももう伝わってたんですか?

ありがとうございます。がんばったのは嫁ですけど」


枝折がうれしそうに笑っているのを見て主治医も微笑んで頷いた。


「体調はいかがですか?」

「息子たちも来てくれたから元気もりもりです」

「退院早められそうですね。明日、抗がん剤を受けてもらって、退院は週明けぐらいにしましょうか。

あとはまた抗がん剤の点滴を通院でね」

「はい。ありがとうございます」


主治医が部屋を出ると、コナと四季が枝折に抱きついた。


「良かった!でも枝折さん。これからは変だなと思ったらすぐに言ってね。我慢しちゃダメだよ」

「ありがとうコナ」

「俺もすぐ飛んでくるから」

「ありがとう四季」


抗がん剤治療ができるうちはがんばろう。

無理するとみんなに迷惑をかける。

篤子や子どものこともあるのだ。

無理せずにぼちぼちやっていこう。


コナと四季もいつのまにか頼れる存在になっている。

枝折はそれもうれしかった。


「コナは、南風、四季は四つの季節…」

「ん?」


コナと四季と手を繋ぎながら枝折は何かを考えているように一点を見つめていた。



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